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地球温暖化の哲学

2007年 7月 25日

 今日は睡眠不足解消。天気もそこそこ、出勤可能。
 しかし、腹が痛い。水様便。直後に血圧測ったら87/52。職場に来ていた韓国の見学者に挨拶もできず、休憩室で死んでいました。


 右の画像は、虫の嫌いな人は決してクリックしないでください
 午後になると、体調は回復。抽出作業も終わって、部屋の掃除。サンプルは一定期間保管義務があるので、保管しているのですが、あまりにも長く保管していると、虫の住処になってしまいます。固い青大豆に穴開けるなんて、すごい。


 帰り、本屋で屋久島と開聞岳の地図と、化学物質に関する専門書を買って帰りました。後者は化学系薬学の本とセットで見るとしよう。
 で、まだ、この前買った「Newton 8月号」を読み終わっていません。Newtonの今月号は、地球温暖化問題。この雑誌の主張は、「温暖化は否定の余地が無く、その原因は人為的な要因が大きいと考えられ、温暖化の度合いによっては破局的になる」というものです。僕も、疑う気はありません。基本的なことで解らないことはありますが、温暖化を食い止めなければならないという意見には賛成です。
 それで、問題は、こういう温暖化現象に対して、懐疑的というか、敵対的な発言をする人がいるということです。帰りに寄った本屋で、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」という本を見かけました。立ち読みしたのですが、その中に、「温暖化が問題だというが、平均気温が現在15℃。一体何℃であれば適当だと思うのかと、ある専門家に尋ねたが、回答が得られなかった。」というのがありました。
 僕がこう質問されたらどう答えるだろう?そして、その専門家の人が回答しなかったのはなぜだろう。
 僕がたとえば、15℃のままといえばどうなるだろう。きっと、「過去には何度も温度が変化してきた」と言うだろう。17℃といえばさもありなん。13℃といえば、「寒冷化で被害が出る」と言うだろう。
 だから、僕はこう問う。あなたがどう思うのか先に言いなさい。もちろん、ツバルが海に沈み、珊瑚が白化し、ホッキョクグマがいなくなり、農産物の収量が激減するという可能性があるのを踏まえた上で判断してもらいます。IPCCは、その可能性を発表したにすぎないのです。
 Newtonのその温暖化特集の最後に、「温暖化問題の権威」であるというシュナイダー博士の発言が載っていました。

 疑い深い科学者の多くは、「無病誤診」をきらいます。絶対に確信できる予測でないかぎり、むやみにそれをいうべきでない、という考え方です。私はもう片方(「有病誤診」を嫌う)の立場です。つまり、どんな対価を払ってでも、破局的な気候変動がおきる事態を避けなければならないと考えているのです。(略)

Newton8月号 p.74-75

 これを、シュナイダー博士は「哲学のちがいといってよいでしょうね」と述べています。
 哲学…か。本当にそうかな?本当にそれだけかな?お金が絡んだり、権力が絡んだり、単に自分の意見を目立たせたいだけだったり、人間はかなりわがままだから。やっぱり似てるんです。軍事問題とか「慰安婦」問題とかと。
 シュナイダー博士の言ったことに従うなら、結局、根っこで「どうしたいか」が違ったら、それが一致するまで限り分かり合えることはないでしょう。温暖化を食い止めたい、「慰安婦」にされた人たちの尊厳を取り戻したい、と思うなら、逆にどんなに論争の過程が荒れていても、解り合えるはずです。
 …一概に言えないけど、その「哲学」の形成過程から考え直さなきゃな…。難しい。社会科学的に見れば、哲学(≒認識)は究極的には環境(≒経済的諸関係)に規定されるから、ううむ…。
 思ったより大変です。温暖化も、慰安婦も、何もかも。どうしよう。当たり前だけど、僕一人じゃどうにもならない。みんな、力を貸してください。

天気:晴れ時々くもり(東京都板橋区・豊島区・茨城県取手市)

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