絶望(今のところ)
Sが泊まっていって、夜遅くまで、「常識論」を語っていました。そして、その明くる朝、8時にねずみ業者が来て、粘着シートを回収していきました。Sはねずみ業者が来たことさえきっと気が付いていなかったでしょう。でも、来ていたのです。
あと、取手にいた時の友達の息子(赤ん坊)が携帯でふうたろうに電話をかけていました。でも、去年の市房山で携帯を殺しているので、友達だと判別できず、普通ならしないのだが、かけ直したら、Nさんでした。「子どももたまには良いことするね~。」だって。まったくそうですね。
あと、
ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 韓紅に みつくくるとは
の百人一首の意味も解りました。知力や体力を鍛えるのは、元気の源ですね。
夕方まで、元気出してがんばってみました。ようやく、絶望と無気力に打ちひしがれていたスキー交流会のアルバムを完成させることができ、その気力が落ち込む前に、PC2台がかりで8人分CDを焼き、封筒詰めし、あとは郵便局に出すだけの状態にしておきました。
他にも、米を買いに行ったり、「(モスや駅ソバなんか食ってると)頭が悪くなるぞ」と言われていたのもあって、麻婆豆腐のための準備もしました。でも、ショウガを買い忘れて、所持金(現金)がなくて、作れないという罠。
あとは、封筒に宛名を書くだけ。3人ばかり住所の解らない人がいたので。U地区委員長に確認してもらっていました。
そして、U地区委員長、昨日も電話があったのですが、ふうたろうの様子が良くないことを判っていたのでしょう、「最近どうよ?」と。
100歩譲っても、良いとは言えまい。
ふうたろう、3月17日付で、「精神疾患で、~病!って言ってくれたらいいのに。中途半端によく判らない無気力状態で、周りの視線を痛く感じながら、周りに攻撃的になって、何をやってんだか。病気療養という名目で、本当に半年とかいうレベルで、休んでしまいたい。名目?いや、実質だな。明後日の精神科では、この頃の無気力、抵抗力の弱さ、ちゃんと言うとしよう。
…もっとも、世間ではこういうのを「怠けている」とか言うんだろうけど、そんな「常識」を語った「非常識」に聞く耳は持たない。」
と書いていたのですわ。27日金曜日に同僚や本部の人からああいわれた時は上記の状態であることを述べるのを完全に忘れていましたね。何も言い返せなかったし、その通りだと思いこまされていましたし。
Uさん、説教や正論で物事を問わない、数少ない大人です。しかも、自分の経験論だけではものを語らないのです。ふうたろうの状況を話すと、医者を変えた方が良くないかと、進言。
ふうたろう、この無気力と絶望感を圧して仕事に行くより、医者を変えて根本解決を図る方がひょっとしたら、より前向きなのではないかと心の片隅に思いました。でも、今より良い医者に当たるとは限らないのです。医者を変えるというのは、勇気の要ることです、特にメンタル面ですから。新たに不信感を募らせるのか、信頼できる人を増やせるのか、の瀬戸際ですから。それに、正直、自分の力で判断する力が失われています。悪く言えば、いつでも丸め込まれる状態ですから。常識って怖いですね。数の暴力ですよ。
というわけで、22時を過ぎた頃、さんざん悩んだ挙げ句、主任ではなく、同僚Sに電話で「明日から出られる状態ではない」と告げました。27日の話で言えば、あの精神科医と主任とが同意見なのは明白なので、埒があかんのです。苦肉の策ですよ。ついでに、所長や財務担当の人も同じ。こういうのを四面楚歌といいます。四字熟語を覚える時はそうやって心に焼き付けるようにすると良いでしょう。
とにかく、とても悪い方向に向かっていると思います。どうなるんでしょう?ふうたろう、生きていけるんでしょうかね。本当に、山の中でテント暮らしを続けることになるんですかね、それとも。本当の意味での狩りをしながら?
つらいですね。2003年10月、大学院2年の時、教授に恵まれなくて、ふうたろうも何をすればいいのか判らなくて、入院までしたあの時に比べても、何十倍もつらいです。当時もたくさんの人が支援してくれたけど、そして今回もかなりの人が支援してくれているけど、学生と社会人では違うんですよね。あの時は、今の職場が支援者側だったので、相当救われたというのもありますし。でも、今は?
あ、そういえば、2月20日、ふうたろう、とんでもないこと書いていましたね。孤独感のあまり、「屍を踏み越えて」みたいなことを。そうだ、支援者はいるのでした。ふうたろうが相談に踏み切れなかっただけでした。何日か前のちょいさんのコメントは、そういう意味だったのかも知れないですね。
とりあえず、今日はもう、寝ようか。イヤな夢見そう。
天気:晴れのちくもり(埼玉県所沢市)
覚え書き:刻みネギ・段ボールおよび新聞紙等くくる・ジョリーパスタ大盛りNG