度胸と協力の結晶
寝たりないなあと思いながら、伊那パークホテルにて、目覚め、いざ出発です。ふうたろうの方が早く起きていたと思ったのに、JとNは既に準備も済ませていて、迎えに来ました。ふうたろう、歯磨きの途中。
伊那市は概ね曇っていて、権兵衛トンネルを抜けるまで、雲が分厚く、木曽谷に抜けたところで、ようやく雲が切れ始めました。
その雲も、南下するうちに、殆ど消えました。低気圧が去り、寒気が入る直前の、疑似好天。
コンビニで小休止。トイレだけ借りるのも悪いので、買い物も少しだけ。
JR中央線野尻駅付近で迷っています。道路地図の縮尺が甘いので、ウロウロと。
しかし、空気の澄み方が異様です。
ここは阿寺橋。そう、ふうたろうたちは、あの、阿寺渓谷に向かっています。原発のためにダムの底に埋まろうとしていた、阿寺渓谷。
しかし、所詮疑似好天。常に天気が崩れることを意識しています。木曽駒ヶ岳方面もあんなにきれいに見えますが、天気が持つのはせいぜい午前中の前半くらいでしょう。
渓谷の入口付近に車を止め、いざ出発。ふうたろうはそれなりに歩きなれているけど、JとN、大丈夫か?
かつてトロッコが走っていたと思われる鉄橋。一応橋の上に乗れますが…。
空気の澄んだ渓谷。
実は、ふうたろう、あまりこの時体調がよろしくなく…、この写真よりもくすんだ感じの景色に見えました。
河原に下りるポイントはいくつかあります。ふうたろうは余裕ですが、JとNは付いてきているかな…
紅葉の赤(とはいえ枯れたような色をしている)と澄んだ青い水。
複雑に削られた滝。
…どうしてこういう場所を平気でダムの底に沈められるのか、その精神を理解できない。
歩いて1時間半くらいでしょうか。そろそろ3人とも疲れてきたのですが、ようやく、牛ヶ渕に着きました。この淵の青の濃さは、今でこそこの程度ですが、10年前は青空のような、銅イオンが溶けたような、群青色でした。
10年、いや、11年前、夏休みに大学の仲間たちと泳ぎに来たよな、ここ。
谷から見えていたあの橋の上から、撮影しています。清らかで、途絶えることのない流れ。あの時から続いている流れ。しかし、時の経過とともに土砂で変貌しつつある流れ。
下りの景色はまた見えるものも違います。さっきまで目に付かなかった風景だって見られます。
阿寺渓谷の景色はさっきので終わり。写真もそこそこに、3人は早歩きで下り、次なる地、上松町の寝覚ノ床へ。
ふつうは奥まで入る人はそんなにはいない。でも、ふうたろうたちはその「ふつう」の範疇には入らない。
よどんだ水の流れる渓谷。この写真を見るだけでは岩の大きさが判りませんね…。
この穴、3年前に来たときにも書いたかも知れませんが、ポットホールといいます。阿寺渓谷では、甌穴(おうけつ)と表記していました。
渓谷を見上げると、巨大な壁が見えます。あの上に中央線が走っています。
ふうたろうは一人奥に進みました。これは浦島太郎関連の社、らしいです。13年前に来たときも、ありました。
寝覚ノ床を一筋の光が差し込んでいます。そのため、曇り空が鮮やかです。こんなコントラストは、なかなか見ることはできません。
紅葉が美しい、と思ったら、残念ながら、植樹です。しかし、落葉松中心の信州ですから、こういう場所は珍しい。
J相棒のキートン、阿寺渓谷にも寝覚ノ床岩場にも連れて行くのを忘れていたようです。駐車場で記念撮影。
まだもう少し時間があるので、濁河(にごりご)温泉に向かおうとしました。
…なんだか、ふうたろうの思い出の地巡りみたいですね。でも、ふうたろうが行ったことある場所でないと、案内はできません。
しかし、濁河温泉は遠かった。途中で引き返し、ふうたろうが気を失って(要するに寝て)いる間に、権兵衛トンネルを通過していました。
トンネルを抜けると大雨だった。
伊那に戻ってきたら、なんだか冴えない気分で、産直市場のグリーンファームに行きました。それが、この写真。
この市場、成功しているそうです。実際、客はたくさん入っていますし、それを満足させるだけの品揃えと価格を維持しています。うちのコープさいたまにも見せてやりたい。
夜、Jの知り合いのBさんとAさんが中心となってやっている、有報堂(こんな字だったか?)という店で、JとNの歓迎パーティーが執り行われました。
これは大学芋です。
集まったのは11人ほど(ふうたろうたち3人とBさん、Aさんを含む)。みんな色んな理由を付けて集まっているのでしょうが、なんにせよ、こうして集まってくるのが、本当にすごいと思います。しかし、すごいのは、料理や、人が集まっていることだけではありません。
M(前述)が採ってきたクリタケを使って作った炊き込みご飯です。クリタケのうま味がじゅっと染み渡ります。コック長(?)のAさん、若いのに、メシがうまいッス。
暖かい雰囲気の有報堂。この店、建設が始まるときから、結束力と人情と努力とが、惜しげもなく注ぎ込まれていたようです。食べ物は周辺に住む、農業を営む仲間たちから集めているところまでは、まだ想像できる範囲かも知れません。しかし、インテリアに使う小物、床に敷き詰められた煉瓦、屋根を覆う断熱材、そういうものさえもが、安全性を究め、仲間たちの手で直接拵えられたものなのです。理由は、アスベストやガラスウールが危険であるという化学の観点からのものもあれば、煉瓦を敷いてもらう大工料を払えないという経済の観点からのものもあるようですが、なんにせよ、この出来は実質上の価値を超越しています。
ここに迎え入れられた人は幸せ者です。ペチカという暖房設備と天井に敷き詰められた天然ウールのせいで部屋はとても暖かいのですが、それに加えて人の手がこの部屋を暖めています。
Aさんたちは前の仕事を辞め、貯金をはたいてこの店を作りました。人に使われる仕事から離れ、勇気が要ったであろう出店を、仲間たちとやり遂げました。
その話を聞いていて、ふうたろう、ずっと、「今のままでいいのか」と問われている気がしてなりませんでした。昨日、ふうたろうのかつてのアパートの前でJたちと話していたことを思い出しながら、自分たちがAさんたちのような仕事をやりたいと思っていました。しかし、そんなことできるのか、今の収入を投げ捨ててこの先生きていけるのか、本当にそれが自分のやりたいことなのか…。頭の中を行ったり来たりします。
Aさん曰く「度胸だよ。」
度胸、か。そうですね、こういうときに使う言葉ですよね。でも、ふうたろうにはそんな度胸もなければ、みんなが持っているような人徳、信頼関係なんか、ない。…少なくとも自分ではそう思っている。
M曰く、「そんなのはやりながら付くものだよ。」
本質、ですね…。少し、一人にさせてくれ。
ふうたろう、奥の図書室(こんなものまである!)に身を潜めました。それを見て、しばらくして、Jが来ました。けっこうJにはふうたろうに似たようなところがあるので、話も通じるのですよ。
…何が、どこが、違うんだろう。ふうたろうも、ふうたろうたちも、その中に、どうして入れないんだろう。
次元の違う世界に圧倒され、感銘を受けながら、22時になりました。今夜泊めてもらうところは、I村さん邸です。あまり遅くならないようにしなきゃ。
I村さん、布団を温めてくれていました。ただの居候なのに、どうしてそこまで…?
不思議ですよね、人って。
でも、ありがとう。暖かに眠れます。
外は、雪が降り出していました。
天気:晴れのち雨、夜は雪(長野県木曽郡大桑村・上松町・伊那市、移動中は含まない)