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昨日の都(比叡山:滋賀県)

2010年 7月 10日

 凄まじく寝苦しかった岩手県の盛岡行き夜行バス「キラキラ号」よりは遙かにマシだったとはいえ、やっぱり夜行バスというのはお年寄りには厳しいです。そして、予定よりも17分早く京都駅烏丸口に着いて、放り出されました。
 眠たい目をこすりながら登山靴に履き替え、シャッターが下りている地下のトイレに面食らい、京都市営地下鉄の一日乗車券を買い、まずは蹴上(けあげ)駅に向かいます。
 今日のミッションは複雑です。比叡山攻略、同窓会攻略(?)、福井県へ移動、+αで世話になった元バイト先へのご挨拶。すべてをこなすには、この繁雑な荷物をどうにかしなければなりません。それで、同窓会(退職パーティ)会場のある駅である、蹴上駅のコインロッカーに、スーツ類をぶち込んでから行くのです。でなければ、比叡山に行くのにそんな遠回りはしません。


 やたらと長い待ち時間(都会のくせにというバイアスがあるので)とマナーの悪い乗客(浜大津駅)に閉口しながら、ふうたろうは何とか京阪電鉄の坂本駅に到着。何気にここ、滋賀県ですが。


 ふうたろう、飯食ってません。寝不足で食欲がないにしても、さすがにキツいです。でも、坂本駅周辺にはお寺以外のものがないというか、まだ7時半なのでどこも開いてません。これは大ピンチ。


 というわけで、ベンチに座って、非常食をいきなり食べました。
 まあ、都会の中の方が非常事態は発生しやすいので(何
 ついでにK産党の宣伝カーが通ったので手を振ったけど、手振り役の人は向こうを向いていて気が付いてくれませんでしたと(滅


 比叡山の登り口。気温は、京都にしては(滋賀だけど)低めで、ぎんぎらぎんの下を歩くことを考えれば、今日の天気はくもり時々晴れレベル。それでも寝不足と飢餓はツラいけど出発しましょう。


 最初の階段。階段って、何気に登山の中では強敵なんですよね。


 一難去ってまた一難。


 今度はアスファルト。登山という気がしないのは、八溝山(茨城県)の時とかなり似ている。ただし、あの時は4月ですから。今は、猛烈に暑い7月。っていうか、ちょうど3ヶ月後ですね。


 しかし、ちょっとだけ琵琶湖が見えると、少しは気分も良くなるかも。


 それでも、農作業道のような道を歩き続けるのはツラいかも。


 道が抉れています。最近の大雨の影響なのか、道が元々こうして荒れていく運命なのか。これは上に行ってもひどい。


 頭の上を鉄塔が通る。若狭湾の方から電気を運んでいる送電線なのかな。


 樹林帯の真っ暗な道。そういえば、ここで、8年前、HやCと一緒に比叡山をハイキングしたとき、猿の大群に出会ったっけ。


 苔生した石柱。
 猛烈な暑さで、汗が滝のように流れます。これでスーツなんか持ってたら(ありえないけど)死んでいます。


 再び舗装路。もうすぐ延暦寺の境内です。


 霧に覆われています。


 延暦寺会館。さて、ここで休憩しましょう。暑さも空腹も何もかもシャレになりませんがな。しかも腹が痛くなってきたし。


 汗だくのままトイレに駆け込んで15分くらいして出てきました。喫茶店のようなコーナーがあったので何か食べられるかもと思ったら、ここでも、ふうたろうが持っている非常食レベルのものしかなくて…(滅


 30分ほど休んだら、更に上に行きます。延暦寺は頂上よりはずっと下の方にありますから。


 そういえば、もうすぐ、原水爆禁止世界大会ですな。今年は広島県がメインだったんじゃなかろうか。


 そして、折り鶴コーナー。
 宗教者はその生業上戦争状態は好まないのでしょうかね。いや、人類社会の発展がそうさせたのですね。その昔「正義の戦争」に加担してしまった、その反省の上に立って(と、確か仏教の人が語っているのを見たことがある)。


 ところで、さっきふうたろうが非常食を食った会館を通り過ぎてすぐのこの広場のあずまやに、トイレもあり、地下には蕎麦屋もありました。若干犬死にしたような気分ですが、まあ、しょうがないでしょう。蕎麦屋は準備段階だったので、どのみち食べられなかったでしょうから…。


 霧の針葉樹林。いいですね、こういうのは。


 しかし、ふうたろうのスットコドッコイ山行は続きます。道を間違えてしまいました。何だ、この車専用道のトンネルは。


 仕切り直して(戻って)境内の中を歩きます。


 仏閣はいいですね。この朱塗りなんて、やっぱりベンガラ(酸化鉄)か(高校の化学の時にそう聞いた気がする)。
 とりあえず、きれいな塗りですな。


 しかし、とにかく正規の登山道が何処なのか解りにくくて…。朱塗りの建物の裏とか探したらやっとボロい階段が…。


 まるで戦場の廃墟のようにボロボロになった階段とか。


 あるのかないのか解らないような山頂を示す、指示版とか。


 鬱蒼とした針葉樹林を抜けます。


 山頂近いというのに、なんか高いところにはフェンスが。


 何だか、ケモノの踏み跡のようなものが左にあるようですが、まさか?!


 (゜ε゜;)
 何だ、このしょぼい三角点は。
 比叡山の、これが山頂ということですな…


 すこーし空が晴れてきたようですが。


 比叡山の広大な駐車場。ここまでバスも通っています。バスで京都駅まで行けてしまいますが、北山の方に用があるので、使えません。


 もう10時になってしまいました。13時には蹴上のホテルに着いていなければならないので、ロープウェーとケーブルカーで下りてしまいます。
 …ハァ、疲れた…


 ロープウェー、下り。人はひとりしか乗ってません。


 ケーブルカーも似たようなもん。


 線路が素晴らしい(何


 八瀬駅周辺を散策…
 ってワケではなく、25分くらいバスを待たないとイケないだけです。北山方面にダイレクトに行くバスはないけど、国際会館行きなら何とかあります。


 国際会館から北山まで烏丸線。懐かしい名前だなあ。
 そして、北山駅から南下して京都府立大学正門前を歩きます。嗚呼、懐かしい…
 …というのは、実は校舎を見るだけではあまり思わないです。やっぱり、懐かしい対象は、人かなあ。


 その懐かしい対象がここにいます。
 セルフィー下鴨。昔は市営の公設市場だったと聞きますが、ふうたろうはその時代の歴史を殆ど知りません。そして、ふうたろうがここでバイトをしていた頃からも、何度か改装しているようです。この赤いルーフも昔は緑でしたし。


 懐かしいなったら懐かしいな。
 行ったら、覚えていてくれていました。もう、あれは6年も前です。最後に会ったのは5年前の12月30日です。思えば、数いたバイトの中のひとりだろうに。
 …この戦場とも言える作業場。特に午前中は大変忙しいと、当時も言ってましたっけ。


 親よりももう少し年を召している部長と奥さん、そして、変わり者のAさん、ひとりふうたろうが去った後に入ったお爺さん。
 ここは、別の意味でツラかった研究生活の中で、本当に愛情を注いでもらったところのひとつでした。思い出すと、嗚呼、捨てたものではないなと、思います。


 そして、研究室でもよく使っていたこのパン屋さん。Cornes de Gazell(コルヌ・ドゥ・ガゼル=ガゼルの角)というパン屋さん。確か、ここにバイトで勤めていた女の子とも知り合ったっけ。まあ、話をする程度でしたが。
 うん、何もかも、懐かしい。教師との確執は泣くほど辛かったけど、こういう場面をひとつひとつ思い出すと、ふうたろうはこの時期がもっとも幸せだったのかも知れないと思います。
 あの時もよく食べたプリンのデニッシュパンを買っていきました。写真撮っとけば良かったな。


 セルフィー下鴨でお土産をいただいて、ふうたろうは賀茂川を渡り、北大路駅に。


 北大路駅の改札前では農家が産直販売。あの頃はまだこういうものはあまりなかったと思います。
 …思えば、中国産冷凍ほうれん草のクロルピリホス(殺虫剤)違反事件や、ベビーフードや漢方薬などの残留農薬で、食の安全問題が急速に話題になったのは、あの前後の頃だったのですね。考えれば、たった6~7年ほどでこれほど変わったと、思うべきなのかもしれない。


 ここはもう蹴上のホテル、ウェスティン都ホテル内です。でも、ふうたろう、蹴上駅に着いてから、まったく逆に進んでしまい、いきなり疲れました。幸先が悪いというか何というか。


 猛ダッシュで更衣室に駆け込み、ズボンは山の格好のままで上だけスーツに着替えて、みんなの前に姿を現したふうたろう。
 まあ、当然みなさまは…(略(笑


 H先生はふうたろうの命の恩人とも言うべき人です。そして、述べることにも含蓄があり、常識にとらわれない姿勢が、院生生活2年の最後の方になって、本当に好きになりました。その先生の退職パーティーですから、当然来ない選択はありません。
 まあ、スーツがぐちゃぐちゃにしか着られないほど慌てるまで山に登っていたという話ではありますが。


 そして会食。
 目の前には、さっきふうたろうを見て大笑いしていた皆様方がいらっしゃいます(笑
 猿の比叡山を一緒に登ったCもね。
 みんな、あの時のまんま。胸がいっぱいで、料理へ箸が、いや、スプーンやフォークが、進みませんわ。


 みんな、せっせと食えー!
 って、みんなふうたろうよりもよく食べる人ばっかりでございます。女子ばっかりの学科ですが、何せ、食保健学科という名前ですから、みんな食い物に余念なし。


 鰻のちらし寿司。ふうたろうはこういう素朴なものが食べやすくて良いですね。豪華な皿にのっかっているものを出されると、貧乏病が発症します。


 制作にはだいぶ手間がかかったであろう過去回想録。H先生、若い頃は…(笑
 ふうたろうもこの中にいます。
 …H先生、最後の最後、3ヶ月くらいでしたが、本当に濃厚な指導をしていただいたと思っております。傲慢だったふうたろうを、論文の添削や審査で、実験の方法で、機械のメンテナンスで、夜の小話で、単刀直入な一言をもって助けてくださいました。
 ふうたろうは、先生の下で、もう少し勉強すれば良かったと、後になって思います。研究室の権威主義に嫌気を指して飛び出してしまったけども。
 …H先生はそういう権威主義からはもっとも縁の遠い、理系の学者にしては珍しい、本当の意味で「優秀な学者」だったと、思います。


 このパーティが終わったら16時を回っていたでしょうか。着替えとか色々して、記念撮影とかして、2003年卒業のCと2004年修了のAとKとふうたろうの4人で、京都駅にて茶をシバきました。


 この雰囲気、やっぱり懐かしかったですよ。
 そもそも、こうして側で話をできる環境自体が、今は懐かしい感じがしますが…。
 ともあれ、みんなありがとうね。


 まるで昨日のことのような、京の都での出来事です。ふうたろう、あと30分もしたら、もう福井県に向かわなきゃ。


 湖西線に乗り、電車が福井県に入りました。
 ここは福井県敦賀市(つるが―)。30分ほどの待ち時間があったので、スーツを宅急便で送る手続きを。ファミリーマートが駅から10分くらい歩いたところにあって、何とかなりましたが、無かったらかなりピンチでしたね。
 21時前でした。夜遅くまで働いている人のお陰で旅が続けられるということですね。本当はこういう業種に深夜労働をさせるべきではないのかもしれませんが。


 敦賀駅を出て、北陸本線の越前花堂(えちぜんはなんどう)駅。ここから越前大野駅まで、越美北線(えつみほく―)。さすがにここまで来るとふうたろうも今日のハイパースケジュールにクラクラです。


 ふうたろう以外にあまり利用者はいない。若い子3人くらいがいたような気もするけど。
 ホームの端に直接腰掛けて電車を待つと。


 …でも、越前大野駅に着いてから、予約していた旅館を探すのに、かなり冷や汗をかきました。駅前にもちろん看板はないし、真っ暗で方向も解らない。
 そこで、遂に出てきたGPS。今日は、山以外で山の緊急用具を使う機会がありますね。さすがネタだけしかないふうたろう。
 最終的には、旅館をピンポイントで探し当てることは、山用のGPSではできません。そんな、ふうたろうが困り果てている姿を見てか、夜な夜な犬の散歩をしていたおっちゃんが、場所を教えてくださいました。最期の最期まで、飽きない旅をする。


 そうして、23時を過ぎてチェックインした旅館『阿さひ旅館』で、今度は買い出しのために自転車まで貸してもらいました。うおおおーーー!何たる至れり尽くせりなんだーーー!
 無事、買い出しミッションクリア。ありがとうございました。


 ふうたろうの長い一日が、こうして終わります。明日は、メインイベントその2の荒島岳登山です。今日のエネルギーを糧に、がんばりましょう。みんなありがとう。
 #213比叡山クリア。


天気:くもりのち晴れ(滋賀県大津市・京都府京都市左京区・北区・東山区・下京区・福井県敦賀市・大野市、移動中は含まない)

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