日常を揺るがし、引き裂くもの
今日はサンプルが全くありませんでした。なので、添加回収試験をして分析品質の管理をしようとしました。1人欠勤してはいたものの、職場は比較的のほほんと、作業を進められていました。そして、昼飯を14時くらいには終わって、午後の作業にかかったのでした。
しかし、突然、小さな揺れが起こり始めました。ふうたろうは、また震度2くらいの地震で終わるのだろうと、それほど慌てることもありませんでした。そして、エバポレータに手をかけたその時、揺れがどんどん強くなり、洗剤槽の洗剤が半分くらい飛び出し、ふうたろうの席の横に置いてあった顕微鏡のプロジェクタやプリンタが落下し、窒素ボンベが倒れて空になるまでガスが噴出し、机の引き出しは全開、書類は飛び出す、という状況でした。
ふうたろうは、命並みに大事なカメラを持って、みんなと共に避難することになりました。
地震発生後しばらくして、一旦部屋に戻ろうとすると、階段のところに砂埃が散乱しています。どうやら、壁にヒビが入り、そこからコンクリートの粉砕物が散ったようです。
特にふうたろうのいる実験室の前の壁がひどく、天井のコンクリートが押しつぶされて落ちてきているようでした。
被災後の実験室は、壊れたものはないものの、洗剤液が周辺に広がっていました。奇跡的に物的被害は免れました。
余震が続くため、仕事は中断。ふうたろうの添加回収試験も中途半端なまま停止。これから続けようと思うとまだ1~2時間はかかります。
この後、家の近くのスーパーに行き、物資を買いました。まだ明日山に行けるという希望が少しはあって。でも、店の中でも余震を感じるレベルで、その店も数時間ほど閉店していたようです。希望の裏には絶望を覚えつつ。
家に戻ってくると、これもまた奇跡的に、壊れたものはまったくありませんでした。圧力鍋や皿などは首の皮1枚で落ちずに済み、パソコンも若干配線が外れていた程度で、棚も倒壊はしていませんでした。しかし、首の皮1枚状態なので、特にスチール棚に関しては、釘を打ったり紐で結んだりして補強。
余震が数分おきに起こるので、その度に驚き、次第に麻痺していく自分がいました。
死亡者の発表がある度に死者が増えていく。日が暮れていくので被害の状況が判らないままイライラが募る。でも、あの阪神大震災よりも遙かに甚大だと思います。原発の近くからも待避するような状態です。
明日の朝、改めて夜が明けると、被害の全貌が徐々に判ってくるでしょう。残念ながら、死者は数千人で済むかどうかと思います。
天気:晴れ時々くもり(東京都板橋区)
覚え書き:東北太平洋沖地震M8.8
ご無事で何よりです。
こちらも、大丈夫。夫は会社で一夜を過ごし、妊婦さんを送って
ようやく帰宅。娘と私は自宅で無事でした。
娘の高校では、体育館泊まりになった子もいたようです。
東北は甚大な被害になっていますね。
生きてて消息が分かるのが、何よりです。
みなさんもご無事で何よりです。
つい数週間前に行った五葉山の麓が壊滅しているみたいです。破滅前の写真を見ると、悲しいですね。まるで被爆後の広島や長崎を写真で見たような風景です。陸前高田市は街そのものはほぼ全滅したとか…。
人が生きていれば街は復活できます。今となっては、生存だけが願いですね。
ご無事でしたか。よかったです。
とんでもない被害の地震になっちゃいましたね。
土日で山の予定でしたがさすがに中止にしました。
津波の恐ろしさを初めて知りましたが、陸前高田の映像を見たら言葉になりません。
これ以上被害が拡大しないことを祈るばかりです。
あの地震の時は、本当に建物が倒壊するかと思いました。しかし、なんとか持ってくれて、生き延びましたね。
本当は、西吾妻山に登る予定だったのですが、交通機関が寸断されて駄目でしたね。陸前高田市はもう全滅ですか。他にもほぼ全滅したところもあったみたいですが…。
今は原発の方が危機的ですね。放射能漏れは尋常ではないです。