記憶の宝(白神岳十二湖縦走コースおよびガンガラ穴付近:青森県)
宴の終わった白神岳山頂。翌朝起きてみたらどうなっていたか。何だか、昨日の快晴の空とは様子が違うようです。
山頂はひどいガスです。誰かが小屋の戸をガラッと開けた音で目が覚めたのですが、その時の光の感覚で、モロ、ガスっているなと悟ったのでしたね。毛勝山ばりにがっかりでしたわ。
でも、うすら明るくなったりならなかったりで、昨日の展望台に出てみると、まあ、雲海の方は幻想的できれいでした。これくらい、ガスにも変化があればむしろ縦走も楽しいでしょうけど、晴れてくれる保証はあるでしょうか。高気圧の位置的に(昨日の昼の天気図だけど)回復する見込みではありそうですが…。
あの若者たちにバイバイして、ふうたろうはまずは先に出ていったご夫婦を追いかけます。二人は蟶山コースで下山する、周遊コース。
ふうたろうが山頂付近で油を売っていたので、だいぶ進みましたね。それにしても、展望ゼロ、か。ブロッケンくらい見ようにも、ヤブや稜線の形上、ここでは難しそうです。
この分岐でご夫婦に追いつきました。十二湖と蟶山に別れる分岐。お二人にもここでバイバイして、ふうたろうはまた一人、十二湖に向かいます。
6年前の記憶が薄れそうな感じですが、この道は当時も相当厳しかった。あのときのふうたろうは初めての一人旅で、今考えれば、歩き方ひとつしても、全然なってなかった。もちろん、体力・根性は皆無に等しく。
それでも、そういうものを勘案しても、当時のこのルートは、妙高の焼山~金山のネマガリタケヤヴゾーンくらいの大変さはあったかと思います。
しかも、どうやら今日も、天気は良くなさそうで、ガスがひどい。そのあたりのブッシュや笹は露をふんだんに浴びて、合羽なしで歩けば、シゲクラ尾根(雨飾山の)の二の舞の餌食になること間違いありません。
広葉樹林帯は幻想的ではありますが、むしろ、濃霧で暗いほど。あのときもこんなだったかなあ…。
考えても見れば、当時はこれで十分脅威でした。ガスと滑りやすい道と、ヤブというものだけで、十分怖い。焦るから道迷いを誘う。でも、今歩いていると、このくらいで焦るものなんて全くなし。ふうたろう、やっぱり山、登ってきたんだな。
この道しるべ、無惨にも破壊されています。雪?雪でこんな壊れ方するか?
標高によって、明るくなったり暗くなったりするようですが、晴れることはありません。葉に付いた雫がバラバラと降ってきます。ぶっちゃけ、大粒の小雨が降っているようなもので。
大崩までのほぼ半分地点、大峰岳。展望も何もあったものではないけど、晴れていて乾いていれば、快適に歩ける場所なんじゃないかな。
しかし、この大峰岳(1020mの南峰)は尾根が二股になっているので、左に行かないように。まあ、間違うことはないか、6年前のふうたろうじゃあるまいし。
明るくなっているような気もしますが、非常に濃密なガス。いいかげん飽きてきた。
これ、コシアブラかな。これ一本採ってもしょうがないので、ほんの先っぽをつまんでみて、においを嗅いでみました。コシアブラ…っぽい?
疲れたので餡ドーナツを食べました…が、本当はMERUNのパンを食べるつもりだったという件。数歩前に思っていたことを忘れるって、頭悪っ…(滅
崩山。以前は、ここでやっと人に出会えて、かなり感動した覚えがあります。ほんと険しかったんですね。
それにしても、一向にガスが晴れる気配無く、幻想的な樹林帯が続きます。
大展望だろうと思われる大崩は、ガスどころか、霧雨まで降る始末。もはや\(^0^)/オワタ
下っていくと、ガスが徐々に消えていきます。まあ、雲の下に出ただけですがね。
道途中に、何だかロープが張られ、大袈裟に迂回路が設置されていましたが、倒木が1本転がっているだけ。んなもん跨ぐなり潜るなりしろよ(`皿´#)
鶏頭場の池の登山口が見えてきました。大崩からの下山路は、当時もっと厳しかった記憶があります。すごい急坂で…。でも、今回は意外と楽でしたね。
鶏頭場の池登山口のすぐ近くに、十二湖でもっとも有名な青池があります。確かに青く、澄んでいます。6年前に来たときは濁り水が入って、青というかマリンブルーのようになっていた気もしますが。
ここで荷物の編成をすると邪魔でしかないので、登山口のベンチで合羽を脱いだりしました。左足がずぶぬれ…(滅
さて、まだ10時なので、散策しますか。沸壺の池に寄ってバス停まで行く感覚で。途中のブナ林は大きくて、すがすがしい。
これをまっすぐ行くと、リフレッシュ村というキャンプ場みたいなところ。沸壺の池はここを右へ。
シダ植物大繁茂。パソコンの壁紙になりそうな生え方をしていましたな。
暗いですねえ…。もっと、見かけは青く見えるのですが、こうも暗くては、青黒いじゃなくて、黒い。
沸壺の池を出て、ここで出会ったおばちゃんたちと話をして、ふうたろうはこの挑戦館にやってきました。ここが奥十二湖バス停。中にある土産物は、ハイパー・キノドク・スーベニア系が多いですが、荷物預かりもしてくれる(200円)ので、ありがたいです。
っていうか、ここで飯が食えないという罠。リフレッシュ村のアオゲラという食堂まで行くしかないと言われました。
…というわけで、また鶏頭場の池の畔を歩いて、青池の上まで行って、さっきのブナ林を。大きなブナ林だなあ(棒読み)
このあたりは小さな池が多数散在します。十二湖と呼ばれているけど、実際は33個、あるようです。十二湖は大崩あたりから見ると12個の池が見えるのでそう呼ばれたのだそうです。なお、これらは、後述するバスの運ちゃんの案内に依るものです。
しかし、今はナントカの池より、ふうたろうにエサが必要。これがアオゲラの裏口。
表玄関付近で待っていた従業員たちに山菜そばを注文しました。山菜はこのあたりで採れたものだといわれたので、これにしましたが、まあ、可もなく不可もなし、ってところですな…
このリフレッシュ村、泊まったあの8月14日の夕方、猛烈に具合が悪くなりましたっけ。去年9月9日に悪くなったくらいのレベルで悪くなりましたっけ。もうダメかと思いましたっけ。…そういう記憶しか残っていないという、リフレッシュ村。
さて、メシの間に晴れ間が見えてきました。午後から若干天気が回復傾向のようなので、散策、本格的に始めますか。
特に宛てはないのですが、進みます。リフレッシュ村で迎えた、本当に雨上がり30分後くらいの、朝日に輝く朝、8月15日の朝ですが、あれは本当にすがすがしかった。あれを思い出しながら、歩こうではありませんか。
長池の南の端。ここも青い。写真を撮っていた兄ちゃんが、どこか木の枝っぽいところを指して「あれ、モリアオガエルの卵ですよね。」なんてことをふうたろうに聞いてきましたが、当然知りませんがな。ごめんね。でも、木の枝に泡みたいな卵を産むカエルがいることは知っています。
明るくなってきた広葉樹林帯をただ一人歩きます。鶏頭場(けとば)の池や青池付近と違って、本当に人は少ない。ってか、いない。
これが四五郎の池。湿性遷移が進んで、もう埋まってなくなっちゃいそうです。
金山の池の端っこにある橋の上に座って、落ち葉で茶色になった水面を眺めています。青もいいけど、茶色の澄んだのも、悪くない。ポリフェノール褐変反応。
日が差したり差さなかったり。こうしてマッタリする時間も必要なんだよね、ふうたろうには。
糸畑の池。こちらも少しずつ湿性遷移が進んでいるのか…?池に木が生えていますが、池の中から、マングローブみたいに生えているような…??
糸畑の池を過ぎると、徐々に疲れがにじみ始めたふうたろう。でも、まだまだ見足りんぞ。ずっとガスってたからね。それで、舗装路から獣道のように分かれていたところに入っていきます。
道芝の池。これを発見するのはなかなか難しいでしょう。隠し通路みたいなもんですからね…。
どうやら、ここからそのまま森の中の散策路に抜ける道はないようで、さっきの隠し通路を戻ります。
あんまりパッとしない。33個制覇、ということであれば通りますが、まあ、そうでなければ、いいかな、みたいな。
ここで、またさっき沸壺の池で会ったおばちゃんたちに出会いました。運命を感じますか(何
さすがに疲れたね。バスで温泉行ってしまおう。あまり使いたくはないけど、サンタランド(現・アオーネ白神)まで。
バスの運転手のサービスで、日本キャニオンの写真を撮らせてもらいます。
ヌオッ(゚Д゚;)
休業だと!?挑戦館ではここを勧められたのに…(滅
風呂に入れなければ、こんなキノドクエリアに来た意味は皆無じゃん。ぬおお…犬死に感満載(壊滅
バスで再び下りてきて、十二湖駅前で下ろしてもらいました。さっきの運転手さんと同じ。気前のいい運転手でしたなあ。ありがとう、おっちゃん。
で、向かった先は、6年前お世話になった土産屋のご夫婦のところ。
…しかし、そのご夫婦は、廃墟になった店を残し、いなくなっていました。サザエやウニを捕っていたダンナはどうしたんだろう。不安そうなふうたろうを見つけてくれた奥さんは…。
隣に、食堂がありました。そこに入りましょう。お客は14時半ということもあり、ふうたろう一人。煮魚定食を注文したら、カワハギが出てきました。更に、サザエまで…(ふうたろう、サザエ食えません)
ここは宿泊もやっているところで、温泉施設を持っているらしく、ふうたろうがサンタランドで風呂に入りそびれたことを話したら、うちのところに入っていくか、と、誘ってくださいました。
そして、その店番の婆ちゃんが軽トラックで5分ほどのところにある宿の温泉へ連れて行ってくれました。お代の方は…いいって言われました…。維持にはお金が必要なのに…。
しかし、全体的に相当使い込まれた感があって、メンテナンスは完璧には行き届いていない様子もありました。ふうたろうが6年後に行ったとして、今温湯に浸かっているここに同じ格好して座ったときのことを想像していると、何だかやりきれない気分になります。
宿の名前は静観荘。自転車で来た学生なんかなら、ただで泊めていくこともあるなんて、婆ちゃん言ってたけど、なんというか、超新星爆発のような、最後の輝きみたいなこと言わないでくれよ。
行政にも、サンタランドみたいな箱物作らず、もっと地元のこういう施設を活かしてもらいたい。いつも思う。地元で働く人、生きる人に還元しろと。
婆ちゃんに、ガンガラ穴の入口に当たる道路で下ろしてもらうようにお願いしたら、ガンガラ穴まで連れてきてくれました。もう、ふうたろう、甘えすぎだぜ。甘々だ!
しかし、とりあえずガンガラ穴に来てみたかったので、これから散策です。
このあたり、起伏の大きいところで、賽の河原とか、かなり海の展望が良かった記憶があります。行ってみましょう。
複雑な入り江が広がっています。ここ、津波が来たら、なんて思ったりもしましたが…。
さっきのグランドキャニオンみたいな岩場を上から覗いてみます。
賽の河原の先端には、ほこらがあります。ここから、日本海を、毎日毎晩、夏も冬も、雨の日も晴れの日も、あのほこらは見つめているのですねえ。
もっと天気が良ければ、白神岳もばっちり見える素晴らしいロケーションなんだろうけどね。
賽の河原から、ガンガラ穴を見ます。あの岩の左の部分にぽっかり穴が開いているはずです。
うち捨てられたような家屋がありますが、なぜか周りの草が刈り取られています。誰かが手入れ、しているんでしょうか…?
磯の小道を歩いて向こう岸に出ますと、ガンガラ穴の方に続いているような浜が。
南房総や石廊崎を思い出すような風景。癒しの風景です。山にしっかり登ったからこそ、楽しめる風景です。
ふうたろうが進んでいく先々で、フナムシがガサゴソいっています。あの気色悪い多足類に、たかってくる習性が無くて心底良かったと思います。
しかし、くぐった後、その先はガンガラ穴までは進めなさそうです。そのまま海にストンと。
ふうたろう、海でも川でも池でも、何となく身体を全部沈めるのに抵抗がありまして、泳いでいってみようとか、あまり思えないのですよね。
この海岸を歩いていたら、あのおみやげ屋のダンナに思わず再会して、サザエが食えなくて、代わりにウニを一口もらったんですよね…。
懐かしいけど、二度と来ないあの夏。
夕焼け小焼けが流れています。田舎の方で流れるこの曲は、なんと風景にマッチしているんだろうといつも思います。メロディも何となくもの悲しく、そして何となく人情を感じる、そういうメロディ。
ふうたろうはそのまま十二湖駅に進みます。
6年前、ここはまだ建設途中だった。でも今は、こぎれいになった道路だけが目の前に広がっている。どうするんだろう、こんなものを作って…。
遙か遠く、あのガンガラ穴(正確にはガンガラ穴ではないが)の岬。ふうたろうが今立っているところは…文字通り住民不在のコンクリート施設。もちろん、周囲に人は一人もいない。それとも、夏になったら、これを利用する観光客はいる(いた)のだろうか。あの6年前の夏も、あのダンナ以外に会った人はいなかったと記憶している。
能代方面行きの電車は18時43分。18時20分頃に、婆ちゃんが食堂に戻ってきて、ふうたろうの預けていた荷物を引き渡してもらうことになっていました。ほんとに、何から何まで世話になって…。
ちなみに、この静観荘で1泊2食で5000円。ほんとに、まったり旅をしたくなったら、ここに来ようかと思います。冬とか、どうかな。
そういえば、あの児玉民宿旅館(北海道天売島)、どうしてるかなあ。あの息子さんがウトウの案内をしてくれたっけ…。飯もうまかったのに、あそこも5000円だった。年賀状も届いていたけど、引っ越しで転々としてしまってから、届かなくなってしまったなあ…。
こうして、ふうたろうは旅先で記憶の宝を作っていく。
五能線に乗って、能代駅に到着。歯ブラシをどこかで紛失したので歯ブラシを買いたかったのですが、コンビニもなく。でも、正常な暮らしをしているということで、それはそれで嬉しいことです。ここで歯ブラシを買えないことでふうたろうが死ぬわけではないですから。
また、飯をどうにか食べようかと思ったのですが、店の前にある一軒の屋台しかありませんでした。その屋台では酒盛りしているのでチョー入りにくかったけど、入ってみたらこれが!
…飲んでいた3人のおっちゃんとマスター、またいい雰囲気でした。思わず山や山菜の話、物を作って出すということに対する思いなんかを語るとか、なんかもできましたよ。その地に生きる人々と話をすること。それもふうたろうの旅の、大事な記憶の宝です。
ふうたろうが広東風のラーメンを食い、みんなとくつろいでいると、これから東京に出て、雷門浅草寺に行くという人がやってきました。ふうたろうと同じキラキラ号に乗るんだそうで。せっかく同じバスだったのだから、ちょっと話ができれば良かったなあと思いつつ、席が離れていたのでそれっきりになってしまいました。残念です。
ふうたろうは、どこに行ってもいい思い出が作れるようです。もちろん、悪いこともあるけど、それも含めて、いい思い出を。状態を楽しむのではなく、変化を楽しむ。それは、山に限ったことではないのかも知れませんね。
20時半に能代駅前を出たキラキラ号は、その後、秋田市や大曲、横手などで客を拾い、東京に向かいます。大曲と横手の間で休憩があるのですが、そこにはローソンとサークルKがあって、ありがたく、歯ブラシを買わせていただきました。あるので使わせてはもらったけど、こういうのは限られたところだけでいいですね、やっぱり。無ければ無いで、ふうたろうは諦めますから。
6年前を常に思い出す旅でしたが、6年前とは、良くも悪くも、色々変わった。あのとき一緒に笑ったり励ましてもらったりした人がいなくなっていた。一方で、優しい婆ちゃんに新たに世話にもなった。不安と技術・体力不足で緑を味わう余裕がなかった白神岳も、友達思いの若者や山好きの夫婦と一緒に、雲海まで楽しんだ。6年前から変わらず緑をたたえる白神。6年前から変わったふうたろうたち。フレッシュなあのころとは違って、勝負師の余裕みたいなものもある今。悲喜こもごも、納得のいかない天気や自分があっても、やっぱり来て良かった、白神。
#140白神岳2度目クリア。(記録上の登頂カウントは1回とする)
天気:くもりのち時々晴れ(青森県西津軽郡岩崎村・秋田県能代市、移動中は含まない)
6年前を思い出しながらの白神岳。すごいなあ。桁違いの成長で。
それに比べると、自分の5年はほとんど成長してない感じ。
気の持ちようが違うんですねきっと。
なんか田舎のものさみしさが伝わってきました。みんなどうするんだろう。どうなるんだろう。自分の心配とはうらはらになんとか人は受け入れて生きているみたいです。そうするしかないからか。
ところで天気は回復するほうに賭けていたんですけどねー。
成長って何でしょう。成長と言うよりも、変化、なのかもしれません。ふうたろう、あれから確かに変わりましたけど、それが、絶対的に良いこととも思わないです。フレッシュで、疲れやすくて、オロオロしているからこそ見えていたものも、ひょっとしたらあるのかもしれませんし。感性は、気持ちが落ちたときに高くなることが多いことを、ふうたろうは知っています。
田舎の人たちを哀れむようなことはしたくないのですが、本当にこれでいいのか、という思いは常にあります。都会思想中心で、少なくともふうたろうが好きな風景や自然が壊される理由に、過疎地域の貧困があるとすれば、それはたださなければ、と思うわけです。
それと、こういう田舎でも何でも、~年前と比べて道路がよくなったとか、建物が建ったとかいう「変化」はあっても、それが決して発展だとは限らないんですよね。小さいけど、元気に幸せに営んでいた店がなくなることが、発展の結果だとは、それは決して発展だとは…思えないですね。
ま、ふうたろうはそれでも山旅を今までと同じように、続けます。
天気は、駄目でしたねー。無念です。白神恐るべし(笑
変化かー!そう言われると気が楽になるわ。
成長なんていいかたは偏見入りなのかもね。
成長はすればいいけど、しないとだめなものとなっているから。
外面的には体力や技術が格段あがったわけではないけど、山に行くようになって精神が安定しているよ。これだけは言える。
山のせいか。自分の心の持ちようのせいか。好きな山があるから他はあまり必要ないということになってしまったのだ。他がなくても仕方ないとか。すっかりあきらめたわけではないですけど。
山でも色々考えるけど、道中が長いので車の運転しながら考えることの方が多いな。
とりあえずこんな感じでも山に入るときは命がけ(笑
そうですね。山に、全力で登るようになってから、だいぶ他のものを見るときの見方も「変化」したと思います。良い、悪いは別にして…。少なくとも、休日をぼーっと過ごしてまた仕事に出て行ってた頃に比べれば、充実しています。
ふうたろう、車は運転しないけど、車窓を見てたら、やっぱり色々考えちゃいます。特に、帰りの電車とかは、非常に感情も高ぶっています…。行きは行きでけっこう不安とか(苦笑