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あなたの道を歩くのは私ではなくあなた(何

2011年 9月 8日

 今日は昼下がりから病院へ。
 日中は相変わらずふうたろうは暇で、みんな忙しそうに動いている割には、どうしてか入っていけない。みんな、仕事をやってしまうんですよね、自分で。入る隙がない。放射能の分析、ふうたろうも手伝おうと思っても、入りづらい。
 愚痴っていてもしょうがないんだけど、ふうたろうは農薬の分析(抽出作業)でしか出る幕がない。
 しかも、いつものように、具合も悪い。ま、今日はそれでもましだったか。


 夜、MSのHKでした。
 10月23日、全国青年大集会が明治公園であります。それに向けて、ちょっと自分たちが何を訴えるのかを纏めておこうとか、誘い合わせの段取りとかを話していました。
 …おお!久しぶりに会議じゃないか(何
 集会、ただ惰性で行くのはあまり良くない。自分が行きたいという思いを、ちゃんと言葉にしないと、誰も一緒に行こうなんて思わない。そして、殆どの場合、自分のそういう思いを相手と共有しているなんて思わない方がいい。
 ふうたろうは今日話していて思ったんだけど、最初から貧困問題に意識を持っている、当事者や関係者なんてものは、そんなに多くない。だから、普通は来る人の方が少ない。でも、これに来ることで何かを見つける人は、潜在的には必ずいる。少なくとも、人が集まる場所だから(5000人以上だろう)、気があれば、誰かと話をするでしょう。
 「そんな集会に行く意味があるのか」
 と思う人には、はっきり言いたい。
 「行く意味を自分で見つけようとしなければ、行く意味なんて絶対にない」
 と。
 ああ自分に言っているようで痛いなあ(棒読み)
 少なくとも、この集会の第一の意義は、自分の置かれている現状(貧困)を変えるために、意見を表明することだったり、貧困に悩む人たちのことを知ることだったり、貧困という問題が自分を含めた社会全体の問題ということを捉えたりすることです。まじめな意味で、貧困に関わる何かに関心があるのなら、時間が許す限り、まずは行ってみることです。
 一方で、集まっているから何となく顔を出してみるというのもありだと思います。湯浅誠さんが、以前そんなことを言っていました。友人に誘われたから、とか、何となく、ってのも、発端はアリだと。ひょっとしたら、その後に発展があるかも知れないから。触れてみないことには、何も始まらないから。


 ふうたろうは、とりあえず10月23日の集会には行きます。これは、山登りを続けるための行動という意味をも含んでいます。誰もが山に登るチャンスを与えられるという意味を。ふうたろうがより楽しく山に登れるという意味を。
 ま、それ以外は山三昧ですが(黒笑


天気:晴れ(東京都板橋区)
覚え書き:特定疾患受給者証届く

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