悔いなく生きよ
ついさっき、友人がぽつりとつぶやいていた。どうやら、訃報らしい。いや、ふうたろうやその友人に直接関わる人の訃報というわけではないんだ。
…どうも、その友人が好きなバンドの、楽器演奏者が亡くなったらしい。
そのバンドというのが、FUNKISTというらしい。ふうたろう、POP系の音楽なんてまったくといっていいほど聞かないので、このバンド名も、どこかで聞いたことはあるのだろうけど、まったく知らなかった。そして、楽器演奏者がフルート吹きであったことも、もちろん知らない。
でも、どうしてかね…、妙に切なさが伝わってくるのだ。その演奏者は、2年前の4月11日に同じバンドの仲間と結婚していたらしい。
ああ、その日は、ふうたろう、辛さからの復活祭と称して、百名山49個目の四阿山攻略に出かけたんだ。まだまだ深い雪山だったね。その日のことは、とてもよく覚えてるよ。これから、また山へと向き合っていくときだったんだ。3月まで、合計3回しか山に登れないほどの辛い時期を越えて、ね。
きっと、彼女も、これからだったんだろうね。楽器を弾くことも、結婚生活も。そして、山に登ることも、次元の違うジャンルだけど、向ける思いの強度には似たようなものがあるのだと、ふうたろうは思うんだ。
ふうたろうもしばしば考える。死に至る病に冒されたらどうしよう、とね。餓鬼岳に登ったとき、テントの中でそんな夢を見ていたような気がするよ。
だけど、人間が死ぬことなんて、自分の死期を知るなんて、一ヶ月後の山の天気を予測することよりも無理なことだ。だから、いつでも、自分の生きざまを、
「俺は目を血走らせながら山に登ってた」
「私はずっと仲間とフルートを吹いていた」
「僕は社会変革のための活動を諦めなかった」
…というような形で語れるくらいの生き方をしたいものだよ。何だっていい。今ここで、自分が満足だと思っていることを自覚できれば。
ふうたろうは死ぬ間際まで山に登っていたい。明日ガンを告知されても、2ヶ月後に死んでも、悔いがないように。冥福なんて祈らない。死んでしまったらそこまでなんだ。生きている自分が、悔いがないように、生きたいものだよ。
…そういえば、ZARDのボーカルや、農水省の大臣が立て続けに亡くなったときがあったけど。あの時はそこまで思えなかったな。ふうたろうにとっての客観的事実は変わらないはずなのに、ね。
天気:晴れのちくもり、夜遅く時々雨(東京都板橋区)
こんにちは、今週は関東はあいにくの天気ですね。
日本のどこか、青空の下、山道を歩かれているんでしょうか?
訃報を聞いて、自分の歩いている足元をふと、見つめることってありますね。
最近、親しい(これからもっと親しくなりたかった)友人が亡くなりました。
最後に会ったとき、別れ際、もっと話したいなあ、と思ったんです。
もっとたくさん話したかったなあ。大人の付き合いって遠慮ばっかりしているから。
とても、後悔が残ります。
ふうたろうさんに、お聞きしたいことがあるんです。
山の話ではなく、お仕事のお話は、苦痛だったら、「あまりよく知らない」との返事で結構です。実は、先日、横浜で検出された、Srのことなんです。実際、食品中のSrは、3月以降今まで日本の検査機関で、検査自体されてこなかったのでしょうか。ご存知の通り、私も、検査業務の末端で働いていて、企業の放射線セミナーというのにも、聞きに行ったりしたのですが、話題になるのは、CsをGe半導体検出器で測定することに焦点が当てられていて、ICP-MSでPuやSrを測定するには、色々とまだ研究が必要だ、ということ以外、聞けませんでした。
自分は15年ほど前に、学生ボランティアで成り行き上(友人に駆り出された)チェルノブイリの子供たちを日本に呼んで、長期滞在させて、放射能被害から守ろうという活動に参加したことがあるんです。日本の子供たちと、ロシアの子供たちの世話をしていましたが、ロシアの子供たちの体の弱いこと!浅間山のふもとの石尊山にハイキングに行きましたが、ちょっとつまづいて、手をついただけで、骨折してしまったんです。そのほか、しょっちゅう貧血や鼻血で休む子もいて…今にして思うと、Srなどに体が汚染されていて、そんなふうだったんだな、と思います。
私が、昨日のニュースを聞いて、やっぱりな、とは思いました。どうして今まで、Srの話題が出なかったんろうと、友人たちと話したりはしてました。でも子どもがずっと、小学校で給食の牛乳を飲み続けています。やめさせたいのですが、根拠がありません。
検査業界で、Sr自体検査されてこなかったが、入っている可能性があるから、という話を先生にしたいのですが、私は食品検査業界に居ないので、実際のところがわからないのです。もし、ふうたろうさんが、仕事関係の話をされるのが苦痛でしたら、何か、情報を得るヒントをおしえていただくだけでもいいです。
すみません、コメントでこんなこと書いて。今後絶対しませんので(T_T)
聞いていただいたのに申し訳ないのですが、ふうたろうは、放射線の検査には関わっていません。他のみんなが放射線に専念できるように、ふうたろうは今まで通り、残留農薬の分析に専念しています。ストロンチウムに限らず、セシウムやヨウ素についても、特に追いかけていません。
ところで、横浜で見つかったストロンチウムは195ベクレルとかいっていましたか。それが、「骨が折れやすくなる」ほどの影響を与えるのでしょうか。ふうたろうには放射性ストロンチウムの毒性が解りません。もし子どもに牛乳を飲ませるのをやめさせたいと思うのなら、この国に予防原則の徹底を図らせるしかないと思います。ストロンチウムの毒性や分布は判らないことが多いのですよね?だとしたら、安全が確認されるまで、控えさせる、という以外にありません。これには、根拠はありません。純粋なひとりひとりの価値観ですから。
一方で、では、子どもたちには何を食べさせるのか、とも思います。もはや放射性物質に汚染されて、東日本が居住に耐えられるところではないと判断したところで、みんな、どこに逃げればいいでしょう。ふうたろうが目指している日本300名山の中にも、汚染されたところがありますが、ふうたろうはそれでも行くつもりです。放射線の毒性を無視しているのではなく、行く価値があると思うから。東電や政府の責任は厳しく追及するべきですが、事実として、汚染されていないものはもはやないでしょう。食べ物や水は、今ある検出器であからさまに出ていると判るものでなければ、許容するしかないとも思います。牛乳にしても米にしても、本当はそういう意味では、ストロンチウムも含めて、せめて子どもが食べるものくらいは、検査してもらいたいものですね。
気のない返事しかできませんが、放射線の話題そのものに正直うんざりしています。測ったはいいけど、それをどうする、という話にはなりませんからね。除線(?)や出荷停止などは緊急避難に過ぎません。生活や生産の現場から追い出された人々を救ったり、原発からの撤退を決意したり、ニンゲンの技術というものの不完全性に対してもっと謙虚になったり、というような動きは見られませんね。
<生活や生産の現場から追い出された人々を救ったり、原発からの撤退を決意したり、ニンゲンの技術というものの不完全性に対してもっと謙虚になったり、というような動きは…
確かに、自分も、おそらく、ほかの多くの人も、そういう部分でこの国の政策にがっかりしてます。検査業界で打ち出している「科学的な」数値だって、ニンゲンの操作でいかようにもなります。何を信じていいのか、個々の価値観、判断が問われる時代ですね。
こんな国に生まれて、ああいう政治家たちを選出したのは自分たち…という気持ちから、私も、放射能汚染にさらされるのは厭いません。でも、子ども達には何の責任もないのですけどね。
どうもありがとうございました。
…ちなみに、ストロンチウムは、分析するのに公定法では1ヶ月かかるそうです。セシウムと違うところはそこかも知れません。だから、いちばんの近道は、原発と核兵器を廃絶すること。それをやんないで、ストロンチウムだのセシウムだのの分析だけやってもマッチポンプってことですよね。
…僕は、分析屋という仕事は基本的に好きではありません。目的がふうたろうの中でもぼやけまくっていますから。