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ふうたろうと猫

2011年 11月 30日

 小秀山の写真です。いや、小秀山よりも車道か(黒笑

アルバムの場所: 冬山きらきらセット
小秀山登山道途中、夫婦滝の男滝


 今日の帰り、久しぶりに家の近くの自然食品店に寄りました。前にも写真は載せたことがあるけど、そこにはネコが2匹いるんです。よく懐いているネコで、とてもかわいい。
 …ふうたろうがまだ小学生の頃から、この家(店)にはネコがいたらしい。主人は、愛猫が死んでしまった日、様子、そんなのをみんな覚えていて、何度も「これで飼うのは終わり」なんて思ったらしいけど、今、2匹いるんですよね。
 ふうたろうの実家にいるネコは、1992年6月30日にパチャが、1995年7月31日にタンゴとデモ太がやってきました。
 小学3年の頃、1988年6月6日、突如やってきた犬のクンを数ヶ月か1年か忘れたけど飼いました。あの時はあまり彼を愛せなくて、色んな悪さをする彼の印象が悪く、ペットというもの全体にトラウマでした。…パチャが最初に来た1992年6月30日も同じで、いい気分じゃなかったなあ。
 でも、パチャたちはイタズラもいっぱいしたけど、やっぱりかわいかったね。夜の間に、開いていたドアから出ていって、どこかに行ってしまったことも何度かあったけど、あの時は家族騒然で、探し回ったっけ。夏休み最後の日、同じ年の8月31日だったかな。それとも、次の年だったかな…。鼻の頭にカラシ塗ったり(ぇ いたずらに頭に来てペンペンしまくったり、色々ふうたろうイタズラしまくったけど、それでも、かわいかったなあ。
 そんなパチャも、2004年4月15日、腎臓障害でBUN(尿素窒素)が280とか、ふうたろうのねずみの実験でも出たことがないようなひどい状態で、死んでしまった。タンゴも、数年前、同じような理由で死んだ。残されたのはデモ太一人だけ。
 目の前にあるものが、生きているのと生きていないのとでは、違うんだよね。店を出て帰ってくるとき、ふと考え込んでしまった。考えたら、生きているものの肉体を切り取って食べることで、ふうたろうもみんなも、生きているんだなと。別に、飼い犬や飼い猫を食べるとかいうのではなくて、その犬や猫と同じように生きているものを食べるから自分も生きていられるんだと。可哀想とかそういうんじゃない。その肉が、その魚が、その野菜が、米が、今さっきまで生きていた、ってことを日頃忘れてるなあと思ったのさ。


天気:晴れのちくもり(東京都板橋区)

  1. wine
    12月 3rd, 2011 at 09:55 | #1

    ふうたろうさん 優しい人ですね (=^. .^=)ミャー
    私はどちらかというと犬派ですが、山男にはネコ好き多いですね・・・何故かな?

    「蒜山」一度しか行ったことないけど、とてもいい山でした。
    気をつけて行ってきてください。報告楽しみにしています!!!

  2. ふうたろう
    12月 5th, 2011 at 11:36 | #2

     猫好きが山男(山女)に多いかどうかは判りませんが、ふうたろうは完全に猫です。犬はあまり良い思い出がないというか…。

     蒜山、ネタバレすると、雨降りまくりで、風邪気味になっています(滅

     それにしても、猫の鼻に辛子を塗る時点で、「優しい」のかなあ(苦し紛れ笑

  3. wine
    12月 5th, 2011 at 14:04 | #3

    ふうたろうさん やっぱり優しいですよ。
    「生きているもの=命」を毎日頂いているなんて、皆あまり考えたりしないと思います。

    それから猫って「単独行の山ヤ」みたいなところがありますよね。
    人に媚びないというか・・・ちょっと気難しげで・・・猫好きにはそこが魅力とか?

  4. ふうたろう
    12月 5th, 2011 at 14:34 | #4

     大仰に「生きているものをいただいている」と、考え尽くしているわけでもないですが、やっぱりそれは思いますよね。ふうたろうは胃腸が弱いので、食べている途中で突然食えなくなってしまうこともあり、やむを得ず捨ててしまうときは、悲しいものです。捨てられるために死んだはずではないですからね、この魚や野菜や米は…。それは確かに、そうです。

     単独行のふうたろう、昔はそれこそ、ひどいもんでしたね…、まあ、今もそんなに変わってないかもしれません。ええ、この話は愚痴になるので、辞めときましょう…。

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