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ふうたろうは生きています。

2012年 1月 25日

 今日も銭湯に行きます。家の狭い風呂というか、シャワーを浴びるのが、わびしすぎて、ね…。
 銭湯に行くと、誰かはいます。家でずっと一人で過ごすのではない、職場でいつも同じ人と話しているのでもない、違う世界があるものです。
 この銭湯には、震災後から何度か通い始めたけど、今日は初めて、番台のおっちゃんと話をしました。ふうたろうが山に登る、という話を昨日帰り際にちらっとしたので、そこから。
 詳しい話はするつもりはないけど、ふうたろうがずっと思うのは、みんな、同じ世界を違う方法で生きていて、それゆえに吐き出す結論も違い、合うとこ合わないところがたくさんあるのだなあということ。
 今更気が付いたのか、というところだけれども、この前の熊本交通バスの運転手、パン屋の旦那、いや、一致しているところが多い人であっても、きっと同じなんだろうな、共感するには努力と体力が必要なんだと思います。
 ふうたろうは、誰と話しても、必ず政治と社会の話に行き着きます。ええ、これが生物学や化学に行き着けば楽しいのですが、そんなコアなところにハマる人はいませんから。嵐の中の南アルプス中岳避難小屋は、特例でしたがね。
 話が逸れましたが、要望は、生きている環境が違えばみんな違いますが、それ以上に違うと感じるのは、同じ対象に与える言葉、表現しかた、です。そして、次にその、要望が生まれてくる源泉です。
 今までふうたろうはそんなことを深く考えてこなかったけど、よく話を聞いてみると、ふうたろうが首をかしげてきたようなことも、あながち不思議なことではないのだと思います。公務員の話、生活保護の話、等々。
 きっと、相手の真意を知ろうとすることが対話なのですね。今日の番台のおっちゃんはふうたろうとは違う根っからの自民・保守系なんだなと感じましたが、湯冷めするくらいの時間話してみて、思いの丈をある程度聞けて、真意のほんの一部を知ることができたので、悪い気がまったくしません。
 …もし仮に、今のわが党に足りないところがあるのだとしたら、このふうたろうなりに定義してみた「対話」なのかも知れません。
 ああなるほど、この人間の生き方に、山の上も下も、党の中も外も、無いんだな。板橋区という大都会の中に住んでも、ここよりずっと田舎だった所沢や取手のときより、そこに暮らしているという気持ちを強く感じます。山の中で話をする気持ちに似たようなものさえ感じます。
 …パン屋さん、時計屋さん、自然食品屋さん、米屋さん、風呂屋さん。ああ、確かに、ふうたろうはこの街に"living"=生きています。


天気:くもり時々晴れ(東京都板橋区)

  1. オクラ
    2月 16th, 2012 at 07:51 | #1

    なんだか、だいぶ前の日記にコメントって、間が抜けてますね。

    西東京30代女子銭湯同好会会長(自称)は黙ってられません。

    銭湯、いいですよね。一人暮らししていた20代からずっと、
    銭湯大好きです。もやもやすると、銭湯行きます。
    今では子供連れて。あんまり、頻繁に行くもんだから、
    番台のおばちゃんに自宅に風呂がない人かと思われていたらしいです。
    子どもも、2歳から通いつめて、バンダイのおじちゃんや、なじみのおばあちゃんたちにおやつもらったり、着替えが上手だとほめられたりして、育ってきました。
    小学生銭湯マスターを自任しているようです。

    ふうたろうさんの日記を今日、久しぶりにのぞいていましたが、
    (久しぶりに有給を取ったもんで朝からのんびり)
    人と対話することから逃げない、という姿勢がすごいですね。
    山を登ることもあきらめない。クタクタに疲れても人と対話する。

    私もそうですが、ニンゲン、人生を長く歩いていると、人と対話することも、
    普段の生活から離れて、山を黙々と歩くことも、あきらめがちなんですよね。

    私も世間の人と意見が食い違うことが多い人間です。
    ただ、議論をするというのではなく、じーっと人の話を聞いてしまいます。

    議論するというのは、対人関係の中で、積極的な行為で、
    自分と人との接点を見出そうという努力ですよね。

    私は、いつも、聞いて、咀嚼して、考えて、おしまい。

    ふうたろうさんの、エネルギッシュな生き方は
    周りの人に、なんか、すごく、色々な力を与えてそうですね。

  2. ふうたろう
    2月 16th, 2012 at 09:46 | #2

     おはようございます。お久しぶりです。確かに、しばらくいらっしゃらないなと思っていました。あのストロンチウムの話の頃から、ですね。子どもがいればなおのこと、心配な問題だから、それに答えられなかったのは力不足(あらゆる意味で)だったと思います。

     それはそうと、昔の日記にコメントをする人はそれほど多くはありませんが、少なくもありません(何 随分前に山で出会った人が思い出したように、とか、しばらく見ていなかったのを溜め読みして、とか、はたまた、スパムとか(大笑 この日記を管理するときは、コメントが、日付の新しい順に並んで出てくるので、実際のところ、昔の日記だったのか新しい日記だったのか、それほど気にはなりません。

     銭湯は、大好きと言うほどでもなく、そんなに便利であるとも思わないのですが、家の風呂(シャワー)がドライに思えてくるとき、ちょっと外に出たいとき、なんかに行こうと思ってしまいます。値は張りますが、湯船もあるし、洗い場も広い。いっそのこと、風呂なしの家を安く借りて、銭湯通いというのもいいのではないかと、思ったりしているほどです。ふうたろうは「女子」ではないので、同好会には属せませんが(笑

     話をするときに疲れるポイントがいくつかあります。お互い、持っている情報があまりにも違いすぎることです。そして、その情報の使い方。ふうたろうは、ただ現状や目の前で起こっている現象を、記憶・解釈・反復しているだけの人とは、非常に話しづらいなと思います。
     例えば、原発一つをとっても、原子力は火力よりも原理的に熱エネルギーを多く生み出す、放射性物質がかなり出る、事故が起これば不可逆的なダメージを受ける、太陽光よりは安定している(?)、などが同じ記憶(知識)であっても、「現状では原発に頼るしかない」となるのか、「それなら原発に代わるエネルギーをどうやったら使い続けられるか」となるのかで違います。ふうたろうは後者です。議論ができる相手、というのは後者だと思います。前提が変化することを前提に(ややこしいですね)話をするのか、変化しないことを前提に話をするのか、大きな違いです。他の問題でも同じですね、それは…。だから、いわゆる「ガチ保守」と話をすると、その辺の「哲学の違い」に疲れます。しかし、黙ってられないふうたろうは、話を長引かせて余計疲れます(滅

     仕事はそれほど熱心ではありませんが、最近は、毎日それなりにエネルギー収支カツカツで生きています。まあある意味、それが「充実」というのかも知れないけど。良く言えばエネルギッシュだし、そうでない意味ではがん化した細胞というか、猪突猛進というか、原発というか(大笑)。

     ふうたろうももう、オクラさんのように、子供がいてもおかしくないトシですが、その辺は意気地も気力も猪突猛進はできないようですね。

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