再びあの南港へ…
昨日の夜、荷物を送ったあのコンビニで、見たことのない乳酸菌飲料があったので買ってみた。空のペットボトルに詰めて、蓋ができるようにしておいたのだけど…
まあ、この製品はすぐに寿命が尽きるでしょうね。古参のピルクルの方がずっと美味い。
今日は明るいうちに大阪に着くように行動したいのです。夜になってからの移動は最近身体に堪えます。ふうたろうの活動時間は明るいうち…。
で、早く出てきたのはいいのだけど、小倉から乗った新幹線が死んでいました。東京(有楽町)で火災事故が発生したらしく、東京まで行くのぞみ号が動かないようです。そのために、他の新幹線も引っ張られています。ふうたろう、9時40分頃に9時22分頃初の新幹線に乗りました。
広島くらいまでは何とかそこそこ進んでいましたが、岡山から停車時間が長くなりました。大枚をはたいて乗った新幹線も、これじゃ意味が薄れる…新幹線なんて、スピードがなければただの乗り物ですからね…
およそ1時間半遅れて新大阪に着きました。これが東京まで帰る日ではなかったことがせめてもの救いです。東京まで帰らなきゃならないという話なら、既に諦めてどこかに泊まっていたかも知れません。
実家の南港に着いたら、まだ明るいので散歩することにしました。明るいうちに到着する、という意味はここにもあります。真っ暗だとそのあとは寝るしかありませんからね。
南港中央公園という場所で、ポートタウン東駅の、道路挟んで東側のところに作られた、いかにも人工的な様子を表現した箱物です。
でも、昔はその極めて限られた条件の中でも、基地作りとか何とかで遊んだっけ。
今住んでいる東京都板橋区の家の周りとはまた違ったしんどさのある南港。南港は今の住居とは違って、車の出入りや常時人が歩いている状態などはあまりないので、家に居るときと散歩はやりやすいかも知れません。でも、街というよりは箱庭みたいです。
中央公園も、ふうたろうが大阪を去る頃はまだ工事中だったのではないですか。例えば公園中央の丘の上にこんなバーベキュー場なんてなかったと思います。
冬季閉鎖で事前連絡しないと使えないらしいけど、使う人居るのか?
こんな遊具もなかったと思います。ただ土が盛られただけの場所だったような記憶があります。
あのWTCを見ると、忌まわしいものを思い出します。まあ、そこはあえて伏せておきますが。
集合住宅群があります。見れば見るほど、特殊な環境です。東京の今の住居とは違った意味でしんどい環境です。しかし、…まあ、言い訳にしかならないのでやめとこう。
中央公園には野球場があります。これは昔からあったと思いますが、立ち入った記憶はありません。
高速道路やニュートラムなどが交錯するエリア。1980年代には既にあった景色。近代的とかそういう意識はまったくありませんでしたね、当時から。ニュートラム路線沿いにあった貯木場から漂ってくるニオイだけがやけに印象的です。当時は中ふ頭から大阪港の間の海底トンネルはありませんでしたから、みんな住之江公園から来ていたのです。
南港はやっぱり良い想い出がありませんね。人間関係の中心だった小学校や中学校も、特に行きたい場所ではなかったし。まあ、今だから言えることではありますがね。
実家がここでなければ決して立ち寄ることはないでしょう。本当なら九州に居た方がいい。
天気:晴れ時々くもり(大分県宇佐市・大阪府大阪市、日豊本線・山陽新幹線など)