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強さという弱さ

2006年 9月 25日

 今朝はまず病院に行きました。潰瘍性大腸炎の。やや脱肛気味で、胃部不快感もある。そのことを医者に告げましたが、脱肛はステロイド座薬、胃部不快感は原因不明(またこれだ…)。最近、機能性胃腸症(Functional Dispepcia)という病気(症候群?)が言われているようですが、これは原因も治療薬もなし。治験に参加する人を募っているようなのですが、潰瘍性大腸炎の僕は参加できません。プリンペラン(塩酸メトクロプラミド製剤)で対症療法するしかない。

 今日の血圧。


 僕には、潰瘍性大腸炎よりも重い難病があります。それが今日の題名。ひょっとすると、潰瘍性大腸炎と軌を一にするのかもしれない。
 僕は、人に悩みを相談することを、ことのほか恐れていることに、改めて気付かされました。現象として、人に悩みを話しているとき、異常なくらい怯えています。
 怯えてるって、何に?傷つく言葉で返されることに?…違う。相手が疲れることに。相手が嫌な思いをすることに。
 …僕が逆に相談を受けた時どうだろう。僕はそれも恐い。相手に寄りかかられるような気がして。
 つまり、僕は「相談」っていうものを「依存」だと思いこんでるのね。相手に依存しない力は、相手に依存させない力でもあるんだろうな。本当に悩みを相談できて、強く生きられる人は、その力があるんだろうな。
 ずっと、化学なり政治なり、ついには愛情や自己肯定感まで「勉強」して、ひたすら「自給自足」を目指してきた。しかしその勉強は単なる逃げでした。「自給自足」は、人との関わりを持つことからの逃げでした。
 でも、たまに会う人には相談できるじゃないか。…いいえ。あくまでも、たまにです。しかも、心のどこかで怯えている。後ろめたさを感じるくらいなら「自給自足しちゃえ」となる。
 …その果ては、独善、傲慢。さらに人を遠ざける、悪魔のサイクル。幸運にも、何人かの人は僕を支えてくれようと、心を開いてくれています。でも、開けないのは誰よりも僕自身。どこまでも愚かではないか。
 けれども、誰に相談できる?いや、相談できる人がいるというだけでも違うんだろうな。実際に相談するかどうかは別。いてくれるだけで励まされる感性が必要(8月31日付写真館)。それが自立なのかもしれません。それでも、出来れば近くにいてほしい。そう、家族のような人が。パートナー(結婚相手)が、娘や息子が。友達や恋人でもいいのかもしれない。
 さっき、ある人との電話で、すごくひどいことを言ってしまった。「君自身、俺のことを少しでも支えることが出来るのか。」…愚問だね。それに「出来るよ。」なんて答えられるはずがないじゃないか。ひいき目に見ても信頼している言葉ではない。
 出口は見えない。仲間が見えない。目の前に像としてあっても、見えてない。いったい、愛だの平和だの幸せだの言ってきた今までは何だったんだろう。
 …最近、泣き言が多いな。疲れてしまった。

天気:晴れのちくもり(茨城県取手市・千葉県我孫子市・東京都板橋区)

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