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生きている人の役目

2015年 9月 13日

 祖父が亡くなって一夜が明けました。判っていることだけど、起きて‥くるはずもない。かといって、寝ているかのように横たわっているだけなので、まだ亡くなった実感もない。
 15時から葬儀のあれやこれやがあるので、それまでKおばあちゃんのところにある自転車を借りて、ちょっと、でかけます。


 こんな時にIngressやってる場合かって?よく判りません。いつもの習慣のようなものだから‥


 宇佐に来ると、この海岸に立ちたくなります。遠浅になっていてね‥


 和間海浜公園付近では、昔、潮干狩り(アサリ)をしたよね。叔父にも連れて行ってはもらったけど、じいちゃんにもよく連れて行ってもらった。


 小さい頃、この滑走路みたいなところに、満潮が押し寄せてくるのが少し怖くて、どこまで水は迫ってくるんだろう、とか思っていましたっけ。
 潮干狩りが終わったら、ペンキ職人のじいちゃんの軽ワゴンは、ビニールの座席で、その上に砂にまみれながら乗ったんだっけ。帰ったら水着脱いでシャワー。


 ちょっと早い彼岸花が咲いています。
 じいちゃんは、ふうたろうの別府から宇佐まで、40kmの自転車の旅を気にかけて、いとこの‥誰だったかな、真ん中のMegかな、彼女を乗せて、ほぼ別府中心街から宇佐の家まで、行ったり来たりしながら追いかけてきてくれていた気がします。その時の自転車、当時波方町(現・今治市)に住んでいた叔父(定義上叔父ではないが)に買ってもらったっけ。その叔父も1999年4月4日、亡くなったんだよね。
 社会人になって以降会ったじいちゃんは、随分口数も動きも減った。2008年に久しぶりに会った時(おそらく5年ぶり)、年をとったと思った。
 ‥あと何年、ここで会えるだろう。不謹慎にも、そんなことを思ったこともありましたね。


 今日は通夜です。19時過ぎまで数時間、葬儀を行いました。驚いたことに、参列者の7割程度は親戚外の人たちのようでした。何か役職などのあるような人達もいっぱい来ていたようですが‥その数百人レベルの参列者からの挨拶のたびに立ったり座ったり。ふうたろうはカメラ係を命じられていたのでその場面からはちょっと距離を置きながらでしたが、正直、めんどくさいと思いました。いや、興ざめすらするものでした。事情というものはあるのでしょうけど、みんな、祖父の何を悼みに来たんだろう、と、思ったりしましてね‥
 もし、ふうたろうが死んで葬式なんて開いてくれようとする奇特な人がいるなら、その葬儀代、生きている人が生きている人のために使ってほしいと思います。その時間を、その場にいる人がふうたろうの最期の前で楽しむために使ってほしいです。昨日の夜じいちゃんが横たわっていた横でやっていたように、みんな集まって、どんちゃんやるといい。集まる口実にして‥。墓を立てたり、仏壇を置いたり、そんなことしなくても、ふうたろうは化けて出やしないからさ‥
 通夜も、昨日以上に会場でドンチャンしていたようです。やっぱり、生きている人は亡くなった人になり変わって楽しまなきゃダメなんだよ。


天気:晴れ(大分県宇佐市)

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