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本当に、さようなら

2015年 9月 15日

 葬儀がひと通り終わって、火葬後の夜、明け方まで(なんと5時!)従姉妹と話し込んでいました。いつもはゴルフだの山だの、お互いばらばらに行動するので、そんなにゆっくりも話せないのですが、葬式となればやることは一つしかありませんから。
 亡きじいちゃんが最後にふうたろうたちに贈ってくれたもの、だったのかもしれませんね。
 そんなふうたろうは当然寝不足で、かつ、東京帰りたくない症候群です。6時間の新幹線に耐える気力も正直無い。ということで、ここは北九州空港です。


 朝、慌てて予約しました。当日の予約は若干高いのかな、よく判りませんが、予約そのものがけっこう煩雑でした。航空機の株主優待券は、買っておくと便利そうだということもわかりましたが、いつ乗るかもわからないのに、期限付きのものを買うとなると‥


 しかし、飛行機はめんどくさい乗り物だと思っていたのですが、使い方次第ではいかようにもなるものですね。最近では新幹線を使うのとさして変わらない料金で行けますし。


 国東半島、だと思います。
 思えばふうたろうがここ大分県に初めて一人で来たときは、船で一晩かけて大阪南港から出たものです。従姉妹たちの家族はじいちゃんたち入れて7人の拡大家族。まるで大旅行・大合宿の気分でした。10・11歳の時には8月丸一ヶ月、ここで過ごしましたね。帰る日にちを延ばし延ばし‥


 そして、10歳のときは、8月31日の朝に大阪に帰ってきたら、何かとんでもないところに連れてこられたような気になって、「何でみんないないの?ここはどこ?早く(大分に)帰してよ」という、絶望的な気分だったことを、よく覚えています。最後には、「あっち(大分)に転校する!」なんて言い出したりして。


 でも、じいちゃんは言っていました。特に理由を述べるもなく、穏やかな口調で「お前は大阪の学校に通え」と。
 家族が離ればなれになるなんて、ましてや自分の娘(母)の家族ですから、ありえない話です。でも、それを言ったところで小さいふうたろうに伝わるとは思えません。それに、一時的な感情でそういう気分になっていることも、判っていたのでしょう。これに関しては、母親も悩んだそうです。
 ‥でも、あれから四半世紀が過ぎようとしているのに「強制送還」という言葉を使いたくなるトラウマであり、夢に出てくる‥。


 でも、普段旅好きな母親には、奈良公園や京都、他にもいろいろなところに連れて行ってもらいました。父親にも釣りに連れて行ってもらうこともありました。高校や大学などで、高等教育を受けさせてもらいました。
 今ではその時のおかげで、科学を通して物事を見る機会を得、全国を股にかけて山に登るようになり、それぞれでいろんな影響を受けながらここまで来ました。歴史に「たられば」はないけど、転校していたら、なかったことだった、かもしれません。
 結果的には、大分県なんて、その気になればサクッと行けるほどのふうたろうになりました。先週は白神山地にいたのですから‥。
 きっと、あの時、じいちゃんや両親が取った判断は、正しかったんだよ。もちろん、その後に会った人々の影響も忘れないけどさ。
 あの10歳の時のふうたろうが見ていた日本列島が、今では、ほんの少しですが、小さくなった気がします。
 本当に、ありがとう、さようなら、じいちゃん。


天気:くもり(大分県宇佐市・福岡県北九州市・東京都板橋区、日豊本線その他)

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