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ハイゼンベルグの苦悩

2007年 3月 28日

 …今朝もなれ合い的に、生化学の教科書を読みながら納豆と酸味の出たキムチとアシタバの炒め物を食べていました。においの強いもの尽くし。そこに生化学だから、人のよっちゃ、地獄の朝かもしれないね。
 朝の電車では新聞。これも当然の日課。だから毎日の区別が最近付かなくなってきたのです。危ない。
 そして、右の写真。変わったスイセンだなー、と気になりました。職場最寄り駅の前です。

 今日の帰り、『日本の科学者』4月号を読んでいました。昨日の続きだった外来生物についての論文は読み終わりました。あの続きですが、経済的な打撃という観点以外に、文化的・社会的領域にまで視野を広げながら外来生物について考えることが大事だと書いてありました。…人は金の勘定だけで生きているわけじゃないから、当然だな。
 で、もう一つ、『日本の近代化、工業化における忘れ物』と題して、哲学の論文がありました。その中の一章に、『西欧人、ハイゼンベルグの苦悩』というのがあります。
 ハイゼンベルグは、量子力学の基礎を作った人だそうです。確かに、物理化学の教科書に彼の名前は出てきました。今となっては量子力学は、僕が今使っているパソコンを動かすにも、そのための電気のことを考えるにも、欠かせない学問領域。しかし彼が基礎を作り上げた頃、量子力学は古典力学と一定隔離されたような世界だったと、僕は記憶しています。その中で、彼は苦悩しました。

『日本の科学者』4月号(39ページ)より

 …彼は科学者としては量子力学が自然の真の姿であることを承知しながらも、人間的には、それが社会に混乱をもたらしかねないという矛盾が彼の苦悩となっていたのである。(…中略…)彼の背後にある西欧社会の長い歴史と文化、思想、宗教などすべてを人間として受けとめている西欧人としての姿がそこにはある。

引用終わり

 彼は「量子力学が自然の真の姿であることを承知し」ても、真実だから当然受け入れるべきであるという立場をとらなかったのですね。それどころか、「西欧社会の長い歴史と文化、思想、宗教など」を受け入れた。筆者の言葉を借りると、「折り合いを付けるべく努力して」きた。
 「真実を受け入れない奴が悪い」
 そんな風に考えてしまう自分が情けなくなりました。
 実は、この論文、ハイゼンベルグのことを紹介したものではないのです。彼の生き方をほんの一例にして、「なぜ働くのか」、「生きがいは何か」、そんなのを日本人はもっと考えてほしいということを言っているのだと思います。そこで、この論文の最後の締めくくりを引用します。

同(41ページ)より

 …若手の社会科学研究者への提案がある。「働く喜び」および「社会の豊かさ」についてもっと研究してほしい。「働く喜び」とは何かを自ら明らかにし、次の世代を担う子供たちにそれを伝えてほしい。ただし、それは言葉だけでなく「実践」による具体的裏付けがなければならないことを胆に銘じる必要がある。

引用終わり

 僕は、これを研究すべきは「社会科学研究者」だけではないと思う。万人に、それを考える義務と、考える機会を与えられる権利とがあると思う。給料が高ければいい、休みが多ければいい、そんな基準で電車の吊り広告をみることもある今、本当にそう思います。
 そして、僕自身、「働く喜び」を模索中です。液体クロマトグラフィーでアフラトキシンを分析することがなんなのか。筆者の言葉を借りれば、「実践」によって確信し、伝えていかないといけないんだなと、思いました。

天気:晴れ時々くもり(東京都板橋区・茨城県取手市)

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