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若者の、人間の尊厳を賭けた闘い

2007年 5月 20日

 この3ヶ月くらいで最も天気の良い日です。筑波山がこれほどはっきり見える日は、ありません。
 今日は若者の、そして何より、人間の尊厳を賭けた闘いが、『青年雇用集会』という形で行われます。お誂え向きな日ではないか。


 その尊厳を賭けた闘いに、僕は遅れて行きました。やっぱり距離が遠くて億劫だったことと、一番の問題は、明治公園がどこにあるのかが解らないことでした。
 しかし、現地に行ってみれば、これだけの警察。ネコでも解る日本の集会の原風景。


 あいやー!人が多い!!天気も最高。そこら中で幟(のぼり)を立てて、演台で苦悩や喜びを語る人々に視線を送ります。


 遥か向こうまで、人、人、人…。30代くらいまでの人が集まっております。一昨年はこんなにはいなかったかな。


 隣で真剣にメモを取っている女性。こっそり撮らせてもらいました。我が事のように感じられる感性に、胸を打たれます。



 …今年は報道関係者の姿が目立ちます。TBS、NHKの他、日本テレビ、テレビ東京、聞いた話では朝日テレビも来ていたそうです。他、新聞社多数。おかげで、僕が好き勝手に写真を撮れませんがな!
 で、フジ系列は?…いたのかもしれないけどね。


 さて、もうこの女性は既にネットに上がっているくらい有名になっているので、載せてしまいます。
 16歳の少女。茶髪である事を理由に解雇されたそうです。…が、労組で闘い、解雇を撤回させたそうです。彼女がギャルっぽい格好をしているのは確か(というか、ギャルでしょ)。しかし、それを理由に解雇するのを妥当とするかどうかは、自分の良心と理屈に照らしてみれば解ることなので、ここでは述べない。


 野党(民主・共産・社民・日本新党)に、喋ってほしいと主催者側から依頼したそうです。結果、来たのは、日本共産党だけでした。僕にはどんな事情が他の野党にあったのかは知らないけど、この集会に来ない妥当な理由を見いだせない僕には、推し量る術もない。
 それでも、せめて、社民党くらいは来ると思った。…が、買いかぶっていたようですね。


 一歩演台の後ろに引いてみると、人だかりは相当大きい。あとで述べますが、この集会の意味を物語る大きさなのです。


 アピールウォーク(錆びた言葉で言えば、デモ行進)が始まります。報道関係者が場所を取り合い、僕がカメラを持ってうろついていると、「撮っているのでちょっと…」と言われ、追い払われました。…う~ん、複雑。


 さて、アピールウォーク。人だかりですね。灼熱の太陽と強風の中、歩きます。
 え?逆風?まさか!!ここを歩く人にとって、こんなものは逆風のうちに入らないさ。



 「外苑前」交差点。ここで隊列の写真を撮り始めたのは15時43分。最後の列を確認したのが16時12分。30分以上も続く列。カメラを持つ手がさすがに疲れます。これでも全部を見届けることは出来なかった…。
 けど、車で相当分断されていますね。デモ行進ですよ、仮にも。


 ヘリも飛んでいます。神宮球場で何かをやっているみたいなので、そっちのヘリかもしれません。


 渋谷駅近く。道でコンタクトレンズの宣伝用ティッシュ配りをしている人がこの列に釘付け。何を思っているのかは知らないけど、何かを感じているのだろう。


 この交通整理の警官もね、ちょっと笑顔。警官も、人間であれば、何かを思っているだろうよ。


 僕はアピールウォークを歩道から、時には列の真ん前から、写真で追っかけていました。沿道を歩く人々の声、表情をイヤでも感じることになります。
「デモ行進できるだけマシだよ。本当に辛い人は…」
 なんて事を言っていく人もいたりしました。しかし、この列に加わっている人には、自殺を図るくらいの人だって、身体がボロボロになるくらいの人だって、何より尊厳を傷つけられた人たちがたくさんいるのです。これは、何より動かしがたい現実なのです。
 一昨年、同じようにカメラで追っかけていたときは、もっと多くの罵声を聞いた。憎かった。沿道にいるそういう人々が。
 しかし、知識の無さによる(知識を得る環境がないためか)歪んだ認識は歪んだ行動を生む。あるいは、もっと複雑なものもある。どんな行動、それが罵声であろうが声援であろうが、理由がある。どんなことがあっても、僕はそれを責めるべきではないのだ。今日はその思いを強く、沿道を歩いた。
 「デモ行進は嫌い」…僕は一昨年の日記でこう述べた。「沿道の人に伝わっていない」「命令調が嫌いだ」「声が合っていない」「棒読み」などの理由をひっくるめてそう述べた。でも、このアピールウォークは個性の集合体なのです。性格の違う3000人の人々が思い思いに作った手書きのプラカードやステッカーなどを身につけ、それぞれに出来る範囲で精一杯歩いているのです。挨拶に唯一駆けつけた志位和夫氏(日本共産党委員長)は、「賃金が低いとかサービス残業をやめさせるとか以上に、人間が人間として扱われていないことに対する、人間の尊厳を賭けた闘いなのです!」と言ってのけました。そう、ここにいる人たちは、その尊厳を賭けて、力を合わせて歩いている。これに気が付いたときは、歩きながら泣きそうになりました。
 僕は、一緒に歩くことすら恥ずかしくて歩けないのです。一緒に叫ぶことすら出来ないのです。でも、こうしてカメラを手に、みんなの姿を撮る。地下道でこけて両膝をケガしても追いかけて撮り続けたかったことは、事実。そして、今僕に出来る最大のことであることも、事実。そう、ここで闘う人たちのことを肯定できてこそ、その自分につきまとう事実をも認められるようになるのです。
 アピールウォークが終わってから、仲間が一堂に会しました。左に茨城の、正面に職場の、右に長野の、それぞれの仲間が。その場がどれだけ温かかったことでしょう。かつて、理屈のない「孤独」に苛まれていた時期もありました。しかし、それがいかに理不尽な幻想であったかを、改めて実感します。

 夜は、大学時代の仲間と募る話を、食い物と飲み物交えて3時間ほど。実際は仲間が仲間を呼んで「ちゃんぽん」同窓会になってしまったのですが、あまり細かいことにはこだわらない方がいい。といいますか、みんな、砂糖の結晶が水に溶けるが如く、…でしたね。


 闘いは、誰かを憎むためにやるのではありません。誰かを陥れるためにやるのではありません。自分の、仲間の、人間の尊厳のためにやるのです。逆に言えば、誰かを憎んで闘うことなど出来ないのです。
 今日は自民・公明与党や財界のひどい人権侵害を聞くことになりましましたし、それに怒りを感じもしました。しかし、今日の「闘い」は、その怒りを凌駕している気がします。「人間の尊厳を賭けた闘い」…それは外からではなく、内から湧いてくる、至って純粋なもの。憎しみとはまた別なのかもしれません。

天気:晴れ(東京都新宿区・渋谷区・茨城県取手市)

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