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20年(宮崎県~山口県)

2008年 8月 15日

※記録:8月18日7時台

 5時38分起床。
 山旅の中では遅い方の起床です。この3日間ほど、朝の天気があまり良くないので、寝坊気味ですが、今日はもうちょっと早くてもよかったようですね。


 昨日の夕方から既にヤヴァかったのですが、雨も降っていないのに、紙や衣服類が猛烈な勢いで濡れていくのです。乾かすつもりで置いていた雨合羽も、登山靴も、スパッツも、そしてテントも、全部ビチョビチョです。


 夜中、24時頃まで騒いでいたパーティです。
 こういうところに来ると夜遅くまで語り合って、騒ぎたくなる気持ちはよく解る。でも、他の利用客のことも考えてもらわなければならないという現実も、ある。お陰で睡眠不足です。
 実は、1時過ぎにもう一つ闇テントを張りに来た男5人くらいのグループがいましたが、それもまた騒いでいました。困ったもんだね。


 シルエットしか判りませんが、夜明けの湖面を滑るカモの家族。


 御池の縁に日の光が差し始めました。8月15日、本当の九州滞在最後の日の始まりです。


 昨日は気が付かなかったけど、この池、ジャンボタニシの巣窟です。この赤い卵は、間違いない。


 僕らが寝泊まりしていた場所にも日が差し始めました。日が当たらないと、濡れまくったこれもあれもが乾かない。


 片づけをする前に便所に行きました。
 便所のことなんかわざわざ書かなくても良いといいたいところなのですが、実は、女子便所に間違えて紛れ込んでしまったのです。男子用、女子用のマークがなくて(あるいは判り易いところになくて)、大きい方をやっている間に、やたらと女性の声がすると思って気が付いたのです。
 ふうたろう痛恨の一撃4発目。


 御池キャンプ場から最寄りのバス停まで、直線上で行けば1kmもない。でも、車社会だから、遠回り(坂が急にならないように)ルートしかなく、4~5kmは歩かされます。
 キャンプ場の管理人に写真の場所のショートカットを紹介してもらいましたが、昨日のアレもあって、地面を注意深く見ていると、やっぱりおりました。
 こんな所素足に近い状態で下りられるか!
 僕はもう、普通の運動靴姿です。


 国道に出て、やっと半分。バス停までまだ遠い。でも、時間は15分くらいしかなく、かなりピンチです。


 祓川バス停。祓川は「はらいかわ」と読みます。
 最後の方ダッシュで何とか間に合いました。
 バス乗車中前半は僕と運転手さんだけだったので、何度目になるかな、今回の旅の行程を話していました。
 思うけど、茨城から来た、という方が、埼玉県よりも箔が付くような気がします。茨城だもんねぇ…。本当にそう言えればよかったなぁ。


 高原駅前。高原は「たかはる」と読みます。九州では、「原」を「はる」と読むことが多いようです。宮崎県知事のそのまんま東も、「ひがしこくばる(東国原)」ですから。


 高原駅前のロータリー。全然人がいない。
 当初の予定では、ここが出発地だったんですけど、今となっては、アレを最初に食らっていなくて良かったと思っています。


 今日は、思い切って、日豊本線経由で帰ってみようかと思います。吉松経由のしんぺい号はもうイヤです。


 都城駅で1時間くらい待ち時間があったので、見物。
 …何だか、ちょっと寂れた感じのする町だなぁ。
 地方都市なんて、どこも同じかも知れない。それに、昔の地図を見ていると、かなり鉄道路線がなくなっていることにも気が付きます。


 東国原知事についていえば、オオサカの橋下と違ってずっとマシな知事だとは思います。
 しかし、ことあるごとにマスコットとして使うのは怪しい新興宗教みたいだからやめて欲しい。


 …こういうの、どこにでもあるんだね。


 都城から南宮崎まで、成人式に行く、という母娘と少し話をしていました。この季節に成人式…?とは思ったけど、それよりも、名古屋大学で作業療法士(理学療法士だったか?)目指してがんばっているという彼女に、エールを送りたいと思います。
 で、この駅は宮崎駅を過ぎて北に向かっているところの、ベッドタウンの無人駅、蓮ヶ池駅。感じとしては、取手駅や藤代駅が無人化されている気分。


 延岡に向かう電車は次第に海沿いに。広大な太平洋、青く輝いていますね。


 延岡駅に着いた頃には、かなり腹が減っていました。
 駆け込んだ店は、駅中の『弁慶』という食堂。駅構内は観光客でごった返して蒸し暑かったけど、弁慶はまだ空いている感じでした。
 古いラジカセから、『ダイの大冒険』のエンディングテーマが流れていて、九州で思い切り遊んでいた15~20年前頃を思い出しました。


 延岡駅前に掲げられた横断幕。
 高千穂線とは、何年か前、台風で鉄橋が落ちたと記憶しています。しかし、「復活」というのは…?


 延岡駅は快晴。
 猛烈な日差しです。暑さは、みんながバテているほどではない。


 高千穂線の「復活」の意味がここで判りました。
 高千穂線は2年くらい前の1月にどうやら廃線が決定されたそうです。
 高千穂線は元々国鉄だったようです。それが、民営化された。
 ほら、全国、北海道から九州まで、同じことが起こっているじゃないか。本気で何度もいうけど、資本主義社会が自由をもたらすなんて、嘘です。不採算部門が切られるというのが資本の原理です。


 延岡から佐伯まで、鈍行列車は1日1本。必然性を以て、特急列車を使うしかありません。しかし、僕は時刻表を見間違えて、別府まで特急券を買ってしまいました。


 佐伯を通過するにちりん号は、懐かしい車窓風景を見せてくれました。鈍行列車ならもっと爽快だったろうけど、言ってもしょうがない。
 蒲江町にあった、義理の祖母(なのかな?)のいたところが、凄く懐かしい。また行きたいですね。
 あ、九州北部は雷雲が発達し始めていて、荒れる予感です。


 別府駅です。
 雨が降った痕があって、なおかつまだ小雨がぱらつきつつ、雷が遠くで鳴っています。
 駅前は非常にエントロピーの大きい状態です。何でこんな所に止まってしまったのかと、自分の行動を悔いるくらいです。


 本当はここで過去を懐かしむ予定でしたが、こんなに開発が進んでいては面影もない。
 雷雲垂れ込める海でも見ていようではないか。


 防波堤の上は遊歩道です。
 宮崎県の地方企業が作る『スコール』という飲み物を懐かしみながら飲んで、少しでも癒しを。


 ネコの親子がいました。親ネコはもう少し左におります。


 別府の商店街はシャッター通り。
 八百屋に陳列された桃は、傷みが入ったところを隠すように安値で投げ売りされていました。元気なのはパチンコ屋だけ。別府駅前通の喧噪からすれば、この商店街の人通りの少なさは不気味です。
 …たまたま今日が、ということかな?


 別府から柳ヶ浦行きの電車に乗りました。柳ヶ浦は「やなぎがうら」と読みます。その柳ヶ浦のひとつ手前、豊前長洲駅(ぶぜんながす―)で下車。
 たまたま1時間半の待ち時間があったので、ここから数百メートルの祖父母・叔父叔母のいる家に顔を出そうと思いました。
 20年前から11年前にかけて、毎年のように、夏休みは行っていました。塾で不可能になった1ヶ月滞在、しばしば見た「強制送還」の夢。それでもよく考えたらここは僕にとって桃源郷だったと思います。いとこのこと、よくいじめたっけ。
 大阪に帰る数日前になると、イヤでも鬱になる。ツクツクボウシの鳴き声がそれと被る。
 …今となっては、その大阪に帰ることもなくなったけどね。
 久しぶりに訪れた家では、たった1時間半の間に、最大のもてなしをしてくれました。息つく暇もないくらい話し始めるばあちゃん、ペンキ職人として生きてきたけど今やペットボトルのふたも開けられないくらい力が落ちたじいちゃん、ビールを飲んでいるいとこのM、全然変わらない元気な叔父と叔母。
 20年前から何も変わらない、でも、色んなことが変わった。


 旅愁と追憶の1日が終わりました。ここは大分県最後の中津駅。これから、下関まで。
 一本の鉄道が現実世界と過去の世界を繋ぐ唯一のルートです。


 元々祖父母の家による予定はなかったけど、豊前長洲に着いたらやっぱり寄ろうという気持ちになりました。
 夏の九州は、思い出がつまっています。新たに登った山で新たな思い出が作られてきましたが、未だに消えない古い思い出もまた、20年前から蘇ってきました。
 これから、ムーンライト九州号で大阪に向かいます。夜はきっと寝られません。さようなら、九州。また来年。


天気1:晴れ(宮崎県北諸県郡高原町)
天気2:晴れ(宮崎県都城市)
天気3:快晴(宮崎県延岡市)
天気4:くもり一時雨(大分県別府市)
天気5:くもり(大分県宇佐市)

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