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山行中休み

2010年 1月 2日

 10時半頃の遅い朝ご飯を食べました。とりあえず、正月の餅が大量にあるので、去年同様、大量に餅を食べるのでした。雑煮で。そして、叔母のお母さんに当たる、K祖母ちゃんのところに出掛けました。
 春霞のような空です。昨日までの極寒とは違い、一転温かい正月二日目です。
 K祖母ちゃんの家には、K祖母ちゃんとその長女Hさん(いとこは「はっちゃん」と呼んでいる)が居て、これまた去年同様、ご挨拶をば。家の雰囲気ものどかですが、人柄もまたのどかなので、何の不安も無く居られます。ありがたいです。


 つい13時頃まで、長居してしまった後、出掛けていたM叔母に、今度は山道具の郵送と由布岳の地図を買いに行くのとを手伝ってもらいました。まあ、チャリでも行けるのですが、チャリがどこにあるのか解らないので、甘えさせてもらいました。
 そのついでに、宇佐市の平和戦跡巡り。宇佐市には防空壕などがもろに見えるところにあったりしますが、じっくり見ようとするのはこれが初めてです。
 この写真は、掩体壕(えんたいごう)と呼ばれる施設で、軍用機を爆撃から守るために設けられたそうです。
 もう65年も経っています。近寄って今の様子を見てみましょう。


 中はのっぺりと広い。奥にひとつ穴が開いていますが、これはデフォルトで開いているのか、それとも爆撃で開いた穴なのか、解りません。
 そもそも、これでどの程度爆撃から飛行機を守れるのでしょうか。


 掩体壕の上には雑草が繁茂しています。宇佐市が遺跡として保存しているため、壊されることなく残っているそうです。


 掩体壕のある辺りですから、飛行機が飛び立つ場所が必要です。このコンクリートで固められているのは、その飛行機が飛び立つために作られた飛行場の一部だそうです。


 畑の仕切りになってしまっている瓦礫は、元々このコンクリートを剥がしたものらしいです。戦時中、飛行場を確保するためにこの辺りの田畑を舗装して埋めてしまったのですが、今は再び一面田畑です。


 近くを通る片側一車線の道路には、「海軍航空隊滑走路」と書かれた碑があります。


 この石柱はずっと先まで続いています。


 午前中は良かった天気ですが、ずいぶん厚い雲に覆われてしまいましたね、夜は崩れるのでしょうか。


 これは落下傘の管理をする施設だとか。1階と2階の間の床は無いらしい。


 次に来たのは、小学校。壁に穴が開いていますが、経年劣化で崩れたのか…?


 いや、違うらしい。「機銃掃射の弾痕」らしい。


 この弾痕、中央につまっているのはまさか銃弾?触ってみたけど、ただの石っぽい。いや、本当のところはよく解らないけども。


 この小学校では、むかし兵隊が訓練しているところに空襲があって、たくさんの人が亡くなったそうです。


 …もう少し、深い勉強をした方がいいですな。所沢市にも、こんな遺跡が残っているでしょうか。あるとしたら、誰に聞けば解るでしょうか。こういう記憶は風化させてはいけません。
 夜は天気が崩れました。いとこの子の暴れっぷりと言葉の汚さに萎えました。自然にあんな言葉を使うことはないので、誰かが教えたことになります。嗚呼最悪。
 とりあえず、明日は7時過ぎの電車に乗り、由布岳に向かいます。今夜の天気を見ていると不安極まりないですが、晴れることを祈りましょう。


天気:晴れのちくもり、夜は時々雨(大分県宇佐市)

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