時空間の悪戯~ラスト・エンカウンター(焼岳:長野県・岐阜県)
起床、3時47分。これよりももっと遅く寝ることもあるだろうに、今日は、これが起床です。
夜明け前に、慌てて飯を炊いたため、でんぷんの糊化(こか、またはα化ともいう)の進んでいないまずい、固いメシを食うハメになりました。途中から食べるのが嫌になっても逃げられない、山のメシ。
あ、星空の焼岳を前にいきなりダークな始まりですな。
さて、10月19日、スタートです。
1分後はすでに別の世界になる、山の夜明け。都会でも変わり方は同じかも知れないけど、意識して見たことはありません。
…見えているのは笠ヶ岳。
これは東の空?
いいえ、西の空です。不思議なのですが、西の果てが赤く染まっています。もちろん、夕方の写真を流用したわけでもありません。
穂高連峰に光が差し始めました。常念岳を中心とする山脈に阻まれていたものが、遂に溢れ始める瞬間。
灰色の岩だけの穂高岳が赤くなるのはほんの一瞬らしい。しかし、赤というにはちょっと濃さが足りないかな。
今日もちょっとガスっぽい。
草も岩も、陽の色をそのままもらって、一心同体です。
朝のこの色を間近にするには、老化(糊化の逆)でんぷんくらい我慢しなければなりません。
こういう岩のところを歩きます。写真をクリックすると、山際の空に白い点がひとつあります。それが月の大きさです。
焼岳というには理由があるのですね。こういう湯気がそこかしこから噴き出している山なのです。地面を触ってごらん。少しほのかに温かい気がしますから。
天まで舞い上がる噴煙。月も硫化水素ガスに覆われて、さぞかし煙かろう。
コルに立った瞬間、イワヒバリがたくさん目の前を飛び交いました。しかし、この者ども、生意気にも肖像権を主張し、人がカメラを向けるとそっぽ向きます。
天上人になったような気分ですね。いわゆる積雲っぽい雲海はよく見かけますが、こういう層雲っぽい雲海は、実は僕は初めて見ます。
焼岳山頂から。昨日に引き続き、2度目の登頂です(もちろん、2度登ったことにはならない)。
…南峰の向こうに乗鞍岳。
7時過ぎですから、太陽もそこそこ高いですね。その差し込む光が、山脈の形に切り刻まれています。
笠ヶ岳もすっかり明るくなっています。高さは向こうの方が300mくらい高かったでしょうか。
そう、すぐ横で、噴煙が上がっています。念のため、吸い込みすぎないように。毒ガスゾーンです。
僕がコルに立って、イワヒバリの肖像権行使に苦労している間に、若い6人が登ってきていました。何やら、明後日の友だちの誕生日を祝うべく、動画や写真を撮っておりました。友人(恋人?)思いの若者たち。
すり鉢状の谷。ものすごく岩やらでゴツゴツしているのに、大雑把に見たら滑り降りられそうなくらい、スケールが大きい。
少し上の太陽が一緒に写っている写真と見比べてみると、だいぶ高さが上がっています。いつまで遊んでいるのだ。
いつまでも油を売ってないで、上高地に降りるんですよ。バスに乗れなくなっても知らないからね。
…てなワケで、こういう岩の横を歩いていく。いえ、ちゃんとした登山道を歩いているのですよ。
焼岳のガレ場から、焼岳小屋から上高地まで続く道が見えます。
…シャーペンで描いたかのような、ミミズがのたくったかのような道です。
霜が降りています。やっぱり、日陰の地面のすぐ側は放射冷却で寒いのですね。エネルギーは散逸するものですから…。
風になびく穂が、火山の裾野に広がる落葉樹林帯を見つめます。
…本当は、見つめているのはおいらなんだけどね。
小屋に荷物のほとんどをデポして焼岳に登っていたので、一旦小屋に戻りました。
一応自分なりにコンパクトに荷物はまとめておいたつもりでしたが、更にコンパクトにされていて、小屋番さんはどこかに行ってしまったようです。
ただ洗面器の氷が小屋の静けさを表すのみ。
…ってのは実は嘘で、小屋は登ってきた人々で結構ごった返していました。そんな中で、僕は午前8時の昼飯を食べました。
それと、その8時も実は結構テキトウで、というのも、時計をどこかで落としたみたいだから。革の紐が切れたっぽい。
ジタバタしても見つかるはずがない。草やぶにまみれたら終わりです。探すも犬死になので、降ります。
さっきのシャーペンルートを歩きます。
どんなに斜めでも、重力という基準がある限り、木は負の走性で上に伸びるんだなぁ、と、この写真を見て改めて思いました。とりあえず、落葉松きれいですね。
焼岳頂上まで続く崩落地と稜線。その間を埋める黄葉の落葉松。空は快晴。完璧ですなぁ…。極楽。
ここまで徹底的に崩れられると、今自分が立っている場所もそんなに安全だとは言えないかも知れない。
シャーペンルートが北東に向きを変えると、上高地方面まで広がる黄葉のじゅうたんが。平ヶ岳の赤いじゅうたんとは違って、こちらもまたいい。
樹林の中に入ると、今度はステンドグラスを見上げるようになります。
で、ここはそのステンドグラスを撮ったのではなく、鎖場を撮ったのです。もちろん、鎖使わなくても降りられます。
今度は5~10mくらいの高さのある梯子。梯子というよりも、脚立を伸ばしたようなテキトウな梯子。一応固定はされていますが…。
下から上がってきた母子の、母親らしき人が、怖がりながら上っていたので、つい僕も拳に力が入って、「手と足にもう少し力を入れて!」と言ってしまいました。こういう時こそちゃんと手足の3点は固定しておかないと、落ちちゃいます。
霞沢岳はもう見飽きましたね。広がる黄葉じゅうたんを見ながら降りるのは、何よりの贅沢です。
これだけを見ると、どこに向かっているのか判りませんね?きっと、山登りなんてやらない人にとっては、こういう崖みたいな道なんか、想像できないんだろうなぁ。その人のやっていることを僕が想像できないのと同じようにね。
…まだまだ、道は続くよ!
山道はランダム・エンカウンター。怖がりの老人からいいペースで上がってくる若い女性まで、色々おります。でも、ほとんどは上り坂にグロッキーな中年の人たち。ガンバー!
これ、雪山なら雪崩が超キケンな場所ですね。
まぁ、それはともかく、今は紅葉シーズンで、思い切りもみじを狩っていきましょう。
梯子はしばらく連続するコースです。
このシャーペンルート、僕が勝手に名前を付けただけで、正確には、田代橋まで下る2時間ちょっとのコースタイムの道です。
トチノキですかな?
乾徳山(けんとくさん)では緑が濃かったけど、ここは黄葉しています。
表面張力で砂粒や葉っぱが浮いています。水たまりの底に、影が花を咲かせています。
…にしても、表面張力が維持されるくらい短い過去に、この水は湧いてきたのだろうか。雨なんて一滴も降ってないのに。
さて、下界(?)なる上高地に降り立ちました。久しぶりだなぁ、上高地。最後に行ったのは…。
梓川。焼岳から見えていた蛇行した川は、梓川でした。向こうに見える一番手前の山が明神岳。どうやら、1~5峰までの番号が振られているようですが、判るはずもない。
…
判ってはいたけど、やっぱり目の当たりにすると、おぞましいですな。
(゜◇゜)ギョエッ
ここ、たぶん僕の身長くらいか、それ以上の深さはあると思います。水が青くて美しいやら怖いやら。この力のある流れは、荒々しい山肌と似たようなにおいがします。
霞沢岳なんですが、この構図には不満があります。
言い訳させてもらえば、このすぐ左に、夫婦がござ(?)を広げてメシを食っているのです。なので、少し後ろに下がりたくても、下がれなかった…(/_;)シクシク
ランダム・エンカウンターが激しくなってきた河童橋周辺。まるで、新宿御苑にいるみたいです。
…よく考えたら、新宿御苑よりもたくさん来てるわ、この上高地には。
河童橋の全景は撮らないのかって?
西武池袋線の池袋駅を撮るのとあまり変わらない、とだけ言っておきます。
河童橋の上から。
遠近感があると、写真はどうも整ってくるようですね。
岳沢(だけさわ)を中心に、穂高連峰を描いている絵描きさん。絵って不思議ですね。写真では表現できないものを表現している、いつもそう思うのです。それは、とりもなおさず、僕が写真を撮っているから言えることなのかも知れませんね。
バス停到着、12時0分頃。
…バス時刻表。
12:00
(゜◇゜)ガーン
今行ったところやん。
(>皿<)
じゃ、13時20分のバスに乗ることにして、それまでこの辺でうだうだしているか。
受付:あ、13時20分の、満席です…。
(゜◇゜)ガーン(゜◇゜)ガーン…
じゃ、12時40分で。
なんか、ここ、山奥なの?本当に。
?(・_。)?(。_・)?
土産物っていうか、中国産のショウガとゴマを使ったもんなんか上高地で売るなよ。(゚ロ゚メ)qゴルァ
85℃15分間殺菌の牛乳がありました。手持ちのチョコチップクッキーと一緒に食べるがよろしい。タンパク質、カルシウム、鉄分などの補給です。うまいッス。
(^O^)/U ウマイ
12時40分のバスが空いている理由は何となく判りました。
接続が悪い。
…バスの中で眠気を堪えていたことに犬死に感を覚えなくもなくも、とりあえず、松本駅で途中まで特急を使って帰るとするか。
さもなくば、20時39分という、たった40分遅いバスに乗ったがために2時間も遅く着いてしまうというハメになるのです。
おいら眠いんじゃー\(゚皿゚)/
あれ?
ここはどこだ?
…実は、最後のランダム・エンカウンター。ここは軽井沢です。焼岳(安曇村)が長野県の西の端であれば、軽井沢町は東の端。ただの「エンカウンター」ではない。
僕は、たまたま松本駅を、15時54分発の小淵沢行き各駅停車待ちのためにうろついていて、たまたまパン屋(チェーン店)に入って、たまたまザックの大きさのために一度正面から入るのを断念して、たまたま地下に潜ったら、たまたま同じパン屋(チェーン店)の半地下で、たまたまザックを置く余裕があって、ついでに座れる席まであったので、ここで時間を潰す(腹ごしらえをする)ことにしたのでした。
鰯の腐ったような目をしてパン屋(チェーン店)の中で物色を始めたその瞬間、
ふーちゃん!!
( ・_・ )ダレ?
この、最後のエンカウンター(Encounter、偶然の出会いという意味で、危険との遭遇などを本来意味するらしい。Encounterという単語自体、動詞であることに注意。)こそが、今日のすべてを物語っていると言ってもいい。
なんと、旧友のFとMで、しかも、数少ない大学時代の同期。
…こんな偶然ってあるものなのか。Mは所帯の関係で兵庫県まで帰らなければならなかったので、すぐにいなくなってしまったが、Fは軽井沢町に住んでいるので基本的に僕の終電まで付き合ってくれる様子。
Fはね、色々あった仲だった。本人が読んでいるかも知れないこの「ふうたろう絵日記」だが、あえて書く。
10年前、アレに加盟してすぐ、共産主義とはなんぞや、共産党とはなんぞや、政治とはなんぞや、仲間とはなんぞや、…すべての歯車が回り始めた時に出会った人の中のひとりだった。
障害児教育を学ばんとしていたFには、小学校時代に知的障害を持った女の子をいじめた記憶を引きずりながら、最初は近寄ったものだった。
当時の僕には、ものすごく指摘の厳しい人像として映っていた。色々あったとはいえ、どちらかというと、僕はかなり怖がっていた人だった。
しかし、何年も会わず、卒業時に一度会って以来再び何年も会っていない期間が続いた後、再会したのは2年前。Fはプロフェッショナルとして手に職を持ち、毎日を生きていることを知った。とてもかっこいい人になっていた。
Fは、その再会の時、このふうたろうを見つけるや、声をかけてくれた。Fなりに募るふうたろうに関する記憶をかき集めて話をしてくれたものだ。しかしふうたろうの方から見ると、再会の時は多くの旧友の中のひとりのつもりだった。すでに茨城県で造っていた城から出兵する一兵卒が、戦地に赴くかのごとし。
それでも、不思議なことである。「親の心子知らず」という言葉があるが、「親友の心我知らず」というのはまさにふうたろうのことだった。Fは、ちゃんとふうたろうのことを見ていた。おそらく、良いところも悪いところも。そして、忘れていない。だから、本当は、「旧友」というのは間違いで、「新友」であり、「親友」なのだ。
15時半頃に、FとMに出会ってから、Mはすぐに帰ることになり、Fとは21時25分くらいまで話をしていました。ここ数ヶ月、辛かったこと、話しました。去年の12月2日と12月24日の話を含む、一連の話です。
Fも、プロとしてやっている今の職、悩んでいるようでした。詳しく書けないので、全然厳密ではありませんが、あまりに理不尽な悩みを背負わされているので、一種の怒りや悲しみが湧きましたさ。オオサカの橋下が保育園児の野菜畑を踏みにじっていった時と同じような怒りや悲しみを。
偶然か必然か(当たり前だが後者である)、Fとふうたろうは、トリイ・ヘイデンの本を読んでいるという共通項があったので、話自体もよく合うのです。障害者福祉・教育への関心が共通していたということです。何でバケキチ・ヤマキチ、禁止用語使いまくりのふうたろうが障害者教育に関心があるのか不思議だが…。
ともあれ、Fの話を聞いて、Fに話を聞いてもらって、帰宅予定時刻を大幅に遅らせての帰宅になりました。23時10分頃かな。
Fよ、ありがとう。話を聞いてくれたこともそうだが、話を聞かせてくれたことに対しての感謝の方が大きいかも知れないな。
そうだ、4400円Fから借りている。これを忘れないようにここに書いておこう。
…というわけで、軽井沢から帰宅という、予想だにしなかった結論でした。バスに乗り遅れたこと、電車を間違えたこと、すべてがこれに繋がったのですから。時空間の悪戯(いたずら)、確率の必然性、色んな言い方ができるけど、Fと話ができた、それが今回のふうたろう旅日記の締めくくりにできたことが、何よりの宝であることをここに書き記しておきます。
#45・焼岳、クリア。
天気1:快晴(岐阜県吉城郡上宝村・長野県南安曇郡安曇村・東筑摩郡波田町・松本市)
天気2:くもり時々晴れ(長野県北佐久郡軽井沢町、移動中は含まない)
天気3:くもり(埼玉県所沢市、移動中は含まない)