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ふうたろうの「休日」

2009年 3月 20日

 朝、雨が降っていた。ふうたろうも、昨日から土砂降りだった。しかし、天気の方は、すっかり晴れたようだ。
 起きてからしばらくして、11時ジャストに、本部(職場の)に電話して、今後の身のあり方を相談しておいた。27日に、精神科最新の様子と合わせて、診断書を持ってきてもいいから、とりあえず、休んでよい、職場の方は心配するな、と。
 時刻は前後するが、14時頃、バイクを再起不能なレベルで壊してしまった主任からの電話も殆ど同じだった。「家に閉じこもらないようにな。何なら、気軽に、飯だけでも食いに来い。」と。かたじけない…。


 実は、ふうたろう、今日はMSの地区委員会であった。自転車で会場Aさん宅まで行ったのだが、道に迷って、危うく西武ドームに行きかけた。


 軌道修正し、時刻通りに到着。本当は今日は来る予定ではなかったけど、どうしても言いたいことがあった。


 ふうたろうがAさん宅に着いた時、S吉がいた。どのくらいぶりだろう。相当永く会っていないように思えた。挨拶もそこそこに、ふうたろうは近くの鉄塔まで、逃げ出した。
 ふうたろうが今日ここに来たのは、MSをやめる相談だった。


 ひとりで抱え込むことの辛さ、ここまでふうたろうがおかしくなってしまった、ふうたろうを取り囲む環境とふうたろうの行動を、地区委員の集まるところで話した。ただし、S吉だけは、途中で退場せねばならぬ事情があり、「MSをやめる」ということしか伝えられなかった。
 結果的には、それは誤報だった。


 みんな深刻だった。誰もがどこかで感じているに違いないであろう、負担感であり、乗り越えられない難所でもあるのだから。いつも、自分から殆ど話をすることはない、Tくんにさえ何かを言わしめるほどの状態であり、屈強に見えていたAさんさえ弱気にならざるを得ないほどの内容だった。
 今の地区組織前衛には、ふうたろうのような存在を抱え続ける力量がない、と。確かに、そういうことは時間の掛かることであり、受け入れるしかないのだ。
 ふうたろうは、そうして、働きアリをやめることになった。活動家の前衛としての役割を停止した。


 帰りに、小手指(こてさし)を通った。そういえば、ここにMS新聞を配達すべきところがされていないところがあった。どうせ通りがけだ。寄って参ろう(帰る前にいつものメンバーに配っていこうと考えていた)。
 今日は休日。幸運にも、K(姓)夫婦のK(名)がひとり、家にいた。19時。
 配れていない事情、ふうたろうが一線を退いた事情、そんなものを話そうとすると、彼は家に上げてくれた。ふうたろう、何気に彼に会うのはこれで4度目くらいだ。1年半経って4度目だから、そんなに頻回というわけでは、決してない。
 が、彼は事情を聞いてくれた。頑張りすぎる必要などない、と。ふうたろうが家を出ようとした時、出掛けていた奥さんのCちゃんが帰ってきたので、夜ご飯まで御馳走になり、23時にもなった。
 何ということだ。ふうたろうが頑張るどころか、立ち寄ったところで励まされ、あまつさえ、一度萎縮した花見の計画が、新聞配達すらできずHKにも参加できない状態のふたりに頼れることになりそうなのだ!
 今度は、ふうたろうは前線には立たない。その前提でされるので、できなくても良い。通信手段としてのシステムだけを供給するだけ。
 …もし、これでみんなが少しずつ力を出し合える環境が整うのなら、ふうたろうがここ数ヶ月辛かったことくらい、安いものだと思う。
 とにかく、あとは頼んだ。大袈裟だが、人間の可能性を、信じたい。


 23時過ぎにもなって、残りのMS新聞を配り、帰ってきたら、ラットが暴れていた。しかし!何と、奴らの侵入経路を遂に発見した!!プロさえも見つけられなかった、玄関の奥まったコンクリートの大穴である。
 …ふうたろうに素質があるのか、それとも…
 とにかく、案外捨てたものではない。捨てる神あれば拾う神あり。不可知論の否定。今日は、ふうたろうにとって、ここ数ヶ月から数年にかけて、もっとも人の恩恵を感じ取れた日であった。やっと、「休む」ことができた日であった。
 これで、明日からも生きられそうだ。


天気:雨のち晴れ(埼玉県所沢市)
覚え書き:Dくん、Tくん、Mちゃん、Hくん・Cちゃんご家族挨拶・独立的多発的激励(客観的事実)・Aさん撮影家族写真

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