本白根山の裏口(草津白根山・白根探勝歩道:群馬県)
何となく、気が進まないような感じの朝。しかし、どんな山行でも、出発する朝は、その行程で最もキツいのです。登山口に着くまでが最大の上り坂と言っても過言ではありません。登山口に着いたら後は下山だと思え!
というわけで、10時に万座・鹿沢口駅。
万座・鹿沢口駅近辺は猛烈に暑い。このバスから滴る融雪水の量を見よ。
しかし、眠りこけている間にバスが万座温泉街に入っておりました。そして、雨。雪ではありません。
いったいどこに白根探勝歩道の道があるのか。木の標だけが半分雪に埋もれていたけど、本当に見つからなかったので、無理やりここまで入り込みました。道路から既に5mは高いところにいるかな。
原野に入ると、そこは一面の雪原。まあ、スノーシュー持ってきたから、こないだの不忘山みたいに雪が全くないよりはずっと良い。
とはいえ、雪が深い。最近新雪が積もったので、スノーシューでも沈みます。倍以上疲れます。
1年前のこけまくりスキーツアーで泊まった松屋、微かに見えました。
ところどころ、雪の剥げているところもありますが、こちらはずっと雪が深いです。
ほんの数十メートル進むのに、ものすごく体力を使います。これだから春の雪山は疲れます(2月のあのかっ飛ばし様を見よ!)。
今のところ、そんなに天気は崩れていません。…といっても、雪(雨交じり)はパラパラ降っていますが。
実は、何となく道迷いしていました。しかし、雪道なので細かいことは言いっこナシ。概ね合っていれば大丈夫。この稜線っぽいところはたぶん間違いなし。
ほら、階段が見える。
あとで判ることですが、道らしいものが見えるのは白根山の稜線に出るまでここだけです。
締まったところと柔らかいところ。しかし、どこもかしこも、雪が湿っていて、スノーシューにこびりつきます。何倍も疲れます。
いつの間にか雪が強く降っています。どちらかというとアラレというか。もちろん、雨よりははるかにマシですが。
オオシラビソ(と書いてあった気がする)の木に瞬く間に白く降り積もっていきます。かなりきつい雪ですぞ。
でも、これで明日晴れると、その雪がメチャクチャきれいなのですよ。それはだいたい雨でも言えることです。
上り坂が続きます。普段ならまったく大したことのない坂ですが、雪が思いきり積もって、湿って重い上に、それゆえに使い物にならなくなったスノーシューがただの荷物と化しているので、1時間で200m進んでいないと思われます。
しかし、雪道を歩くとはそういうものなのでしょうね。初めて剣山で暴風雪に見舞われたとき、雪山なんて歩くものではないと思っていたのを考えると、どれだけ進歩したことか。
南側の積雪は若干固い場所が多いようです。なぜだろう。日光でクラスト(crust:パンの皮、硬い外皮、等の意味)するからでしょうか。
それでも、なかなか前に進まず、雪も風も厳しく、疲労もたまっていくので、煩悩に冒されています。去年の3月頃、あの、自分が何もかも負けたような、全否定されたような頃の記憶が悶々と湧いていて、つらい。
あるところで、少しだけ腹の足しにお菓子を食べました。そしたら、若干MPが回復。鈍歩のラッセルさえ楽しく感じてきました。煩悩は一時的に消し飛びました。
それにしても、長い。地図を見ると、本白根山(草津白根山)の稜線までの、半分にさえ届いていない。何と厳しい山なのか。
最後の鞍部をこれから迎えます。鞍部とは道が一旦下って、また登り始める直前のところ。
降ってくる雪の質が変わりました。
この辺りで今日は終わりましょう。もう15時半で、この先はずっと上り坂。ビバークできる場所も無さそうですから。
調子に乗って、つい雪洞掘りゲームを始めてしまいました。2時間もがんばったけど、掘り進めていくと笹ヤブを掘り抜いてしまい、テントを突っ込むには浅くなりました。何という中途半端…。
しかも、全身びしょぬれ。気温の高い雪山でやるとひどい目に遭いますね。
濡れまくった身体を何となく乾かしながら、チーズリゾットを食い、一旦寝ました。しかし、やっぱり21時前に目が覚め、寝られなくなります。
こないだ買った「月光浴」(旭爪あかね著)の続きを読もう。これが、ドラクエ以上にはまる。結局読み切ってしまいました。
嗚呼、去年のあの魔の3月の頃のふうたろうと同じ人たちがいっぱいいる。ふうたろうはつらい労働条件で疲れ切ったわけではないけど、労働環境はつらかった。何のためにやっているか、という問題もそうだけど、踏ん張りきれない自分が、ただ自分の責任だと思い続けていたこともまた、辛かった。そして、その状況は今も変わっていない。あの頃みたいに出勤できない日はほとんどないけど(病気以外)、あの場所にいたくない日数は大して変わっていない。パンのためだと思って押し殺しているだけだ。
「月光浴」を語るとたぶん一日分の日記になるからやめておく。でも、いわゆるああいう“ドロップアウト”を「社会に対する批判」と捉える姿勢は、なるほどと思う。ふうたろうも、規格だの効率だのを追いかける社会(今の職場も例外ではない)に、思えば強い抵抗を感じていた。ISOや過剰な「客本位」をボロカスに言ってたことを思い出す。
そして、ふうたろうは更に思った。
今、こうして意味のない雪洞掘りゲームをたった一人で済ませ、
腹が減っては煩悩に冒されながらもきつい方法で登り、
その気になれば車だって運転できるだろうに頑として公共交通を使い、
ピークハントなら簡単にできる日本百名山をあえて裏ルートから入っていき、
それなりに急げば日帰りできる山を宿泊コースで組む、
…そういうふうたろうの山行の理由を。
それが、ふうたろうが好きな山の楽しみ方、だからだ。効率よく日本百名山のピークを踏むなら、金と時間と道具にものを言わせればいい。でも、それはしたくない。
平ヶ岳で、雨や雲に唸る上り坂がくれたものは、より澄んだ青空と濃厚な赤の紅葉だった。
日高幌尻岳で、死ぬ思いで歩いた15時間の雪道がくれたものは、自分で歩いて手に入れたものの尊さだった。
オプタテシケ山で、沼の水を飲まなければならないほどの喉の渇きがくれたものは、水とそれをくれたあのおっちゃんの親切心のありがたさだった。
ピークを踏むという行為を目標とするのは同じだ。でも、「効率の良い」ピークハントと、ふうたろうがやっているピークハントは、同じではない。
羅漢寺山(2009年4月29日)で、帰りのバス停の夫婦に、「山に登っているときは全力になれるんです。」と言った意味を、実はあの時、自分で解っていなかった。でも、今解った。
この春になりきれない草津の山奥の、雪の中で、ふうたろうは一人号泣してしまった。
ふと思い立って、震える身を寒さに抗わせながらテントから顔を出すと、冬枯れの樹林の隙間から、満天の星空が広がっていた。感動せずにはいられなかったなあ。
…さて、明日は、白根山に立とう。ピークハントも立派な目標なんだから。
天気:雪、始め雨が混じり、強く降る。夜は晴れ(群馬県吾妻郡嬬恋村、移動中は含まない)