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小さな村の記憶

2010年 12月 10日

 今日はちょっと仕事が忙しかったこととか、これから熊伏山に行くこととかは置いといて、ちょっと思い出したことを。
 …ふうたろう絵日記が始まるまだ1年以上前、2005年の夏。白神岳や十二湖付近(青森県日本海側)を旅したときのこと。
 あの頃、ふうたろう、今よりも強く何かに対する使命感に燃えていた。旅の中で何かを見つけようと必死だった。
 ふうたろうはこの旅で、一人の心細さ、担ぐ荷物の重さ、坂のきつさ、道迷いの怖さ、雨の冷たさ、朝露のまぶしさ、人の優しさを、強く感じた。あの8月11日から16日のすべての行動を、胃までも余すことなく述べることができる。そう、先週行った伊吹山と同じようなレベルで描くことが。
 ※この写真は幌尻岳下山後のトッタベツ川の写真です(2009年5月5日)


 何でこんなことを突然思い出したかというと、ふと、笠木透さんの『小さな村』というCDアルバムをかけてみたから。
 この中で、『村のゼネラルストア』という歌がふうたろうは好きで、旅をするふうたろうは、その先々でこの歌を思い出す。決して明るい歌ではないけど、何故か旅の象徴的な歌でもあるのだ。

1.
 ひび割れた看板
 ペンキの剥げた文字
 釘打たれたドア
 ホコリのテラス
 誰もいなくなったゼネラルストア
 破れたガラス窓に雲が映っている

 ※(繰り返し)
 一日が終わると
 みんな集まって
 お酒を飲んで
 酔って騒いで
 歌った歌は
 もう聞こえない
 もう聞こえない

2.
 火山の麓に
 広がる大地
 地平線まで
 サトウキビ畑
 辛い仕事だった
 サトウキビ刈り
 汗に紛れて
 涙が落ちた

3.
 どうしてこの島へ
 来たのだろう
 帰りたいけど
 帰ったところで
 耕す田畑が
 ある訳じゃなし
 ふるさとの歌でも
 歌おうじゃないか

 ※
4番以降もあるが省略

村のゼネラルストア 笠木透 作詞・作曲

 とても寂しくなる歌だけど、この歌はふうたろうの旅のテーマのひとつである。…と思っている。どこに行っても、寂れた町を見て悲しくなる。徳島県貞光町でも、北海道羽幌町でも、最初の写真があった青森県岩崎村でも。そして、決まって、その行く小さな村や町は、いつもいい場所である。
 …ふうたろうが天気のあとに書く地名を、あえて平成の大合併前にこだわる理由について、それを進めた主体者のことが嫌いなだけだと思っていた。でも、今思えば、「小さな村」や町が好きだからでもあるのかも知れない。


 でも、その「小さな村」に、何かフィードバックできていることがあるのかなと、いつも思いながらそこを歩く。自分の好きな物が無くなろうとしていたり、困っていたりするのに、何ともできないのか、と。それが、いつも旅をしていて悔しいことである。

 どこにでもあった村
 小さな村
 どこにもない
 小さな村

村の季節 同上 の一部

 これが、人類史の必然的方向だと思いたくない。


天気:晴れ(東京都板橋区・豊島区・埼玉県所沢市)
覚え書き:夜行バスチケット購入

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