時の絶壁(高見山~明神平縦走、大又下山コース:奈良県)
テントの定位置に夜通しとまっていた虫。
ふうたろうの起床は、携帯のアラームで3時40分。このあと、ぶぎゅるストーブでインスタントのカレーうどんを作り始めたのですが、テントの中が一気に高温になって、このとまっていた虫はその温度で力尽きました。一矢報いようとしているのか、鍋の中に落ちて来るという。
暗いと動きが猛烈に鈍くなります。こうして明るくなってくると、やっとふうたろうは動けるようになります。テント泊だと、明るくならないと動けないという、ふうたろうの性質。
しかし、薄雲が覆っています。下界は普通にもやがかかっていて、空は薄雲。悲惨な天気だなあ…。
上下雨合羽を着て高見山へ。高見山まで地図のコースタイムで50分。バリエーションルートだけど。
ふうたろうが泊まっていたところ。けっこうでこぼこが多かった。
基本的に樹林帯の道。幸い、ウルトラヤブ漕ぎゾーンではありません。
ずっと下まで崩れています。展望がよいはずなんだけど、写真撮ってないってことは、ガスで真っ白だということですね。雲に覆われているよりもなおタチが悪い気がする。
分岐から高見山までの短い距離に、また数個の小ピークがあって、うんざりしてきます。昨日の疲れが取れきってないのか、どうも身体が思うように動きません。
分岐を5時14分に出て、高見山到着は6時8分。本当に時間がかかってる…。
昨日ここまで来ていたら泊まろうと思っていた避難小屋です。しかし、ドアが無く、腰掛けも腐っていて、心なしかおしっこのにおいもする始末。
山頂の風景もそこそこに、出発。…ですが、台高山脈縦走のために南へ下るルートが、山頂から見あたりません。地図を見ると、何だか県境の線でルートが途切れています。
迷いながらよく探してみると、山頂から少しさっきの道を戻ったところにありました。
5月の北海道みたいな、非常に展望の悪い状態です。こんなのは夏ではない。
地図を見ると、この道路を少し三重県側に下ったところに、再び尾根に上がる道があるようです。
ヌオッ(`皿´#)
そのルートはガセでした。GPSと地図に騙された…
尾根がいくつも分かれているのは基本的に変わらないので、地形だけは正確な地図を見て進みましょう。それに、ここまで来ると、道標もはっきりしてきます。
この、「北部大台縦走路」のプレートが、ルートにはずっとあるはずです。たぶん。
そして、雲ヶ瀬山。このあたりの山は、展望はゼロ。高見山や三畝山(三峰山)であのレベルという感じです。
所々、樹林が無くなって遠望できそうなところもありますが、ベースは深い深い深い樹林帯。
25000分の1の地図と昭文社の地図を見ていると、ピークを二つほど巻くところがあります。一つめのピークは巻き道が見つからなかったので、そのままピークを越えましたが、二つめは巻き道を見つけました。よし、進んでみよう。
ヌオッ(゚皿゚;)
どうやら、地図のルートはこの坂に続いているようだ?
この石ころゾーンはまだましで、この上に進むと、ウルトラデラックスハイパーヤヴこぎゾーンでした。
まともな登山道に出てきたときは、もはや青息吐息。ふうたろうの地獄はこれからも続く。
何とか写真撮ってるけど、疲れが先行してとてもつらい。あのハンシ山が猛烈に遠く感じて、苦しい…
ここは伊勢辻。ハンシ山から30分程度。ここで虫にかまれまくりながら、大休止。
伊勢辻を過ぎてすぐ、伊勢辻山があります。そこはどうも樹林が途切れていそうですね。
伊勢辻山は疎林の草原。ガスがかかっていなければ清々しいでしょうねえ。
赤ゾレ山、馬駈ヶ場、国見山、水無山と、左から順に連なっているのが判ります。
赤ゾレ山の南西斜面も途中から草原。晴れていたら、秋とか虫が少ない頃、ここで寝ころびたいねえ…
あそこに小さな池が。タオル濡らして首に巻こう…
ヌオッ(゚皿゚;)
真っ茶色じゃねーか!こんなボウフラが湧いてそうな水にタオル浸けられるか!
馬駈ヶ辻目指します。笹原ではなく、イヌワラビか何かの広大な草原です。
少しの坂でも厳しい。でも、国見山まで到達すれば、今回のアナザーステージである明神平はもうすぐになります。
馬駈ヶ場はだだっ広い草原。しかし、雲が多くて、すがすがしさ半減。
そして、国見山への最後の上り。1419mの国見山めがけて上ります。このあたりから、バイケイソウ(ユリ科)が目立ってきます。
苦闘の末、やっと今回の山行の最高峰、国見山到達です。
ここから本当の追憶の旅。ここはふうたろうが高校生の時、林間学校などで来ていたいちばん奥地。林間学校参加の生徒たちは、今も来ているのかな?
この国見山から、その昔、天高ルートという道がありました。天王寺高校(大阪)の、自前の山小屋である旧・あしび山荘近くに下りていくルートです。しかし、台風で崩落してから、いつの間にか無くなっていました。
国見山から明神平まで、最後のピークとなる水無山。そして、これを越えれば…
(¬ε¬;)ん?
何だこれは。恐らく、天高の林間学校に来ている生徒たちの肝試し用品なのではないのか?こんなもの、普通の山屋は持ってこないからな。
これは、ゴミを埋める穴、か。そういえば、生ゴミはことごとく土に埋めていたよなあ。ふうたろうが高校生の時の常識をまだそのまま引き継いでいるんだ…。
しかし、ふうたろうはこれを見て改めて、やめさせるべきだと思います。荷物の重さが何キロも増えるわけではない。すべての山屋がこれをやれば、山は富栄養化して、水源が汚染されるかも知れない。
それから、トイレの問題。こちらも穴を掘って埋めているのですが、便以外にも、ティッシュも埋めています。ティッシュは持って帰らせるべきです。分解速度が遅い。
これが、大阪府立天王寺高等学校所有の「あしび山荘」。谷にあった旧・あしび山荘が12年ほど前に台風か大雨かに伴う崖崩れで崩壊してから、この明神平に新設されました。
小屋の前には、炊事用具があります。ふうたろうの100リットルザックもあります。
一方、この小屋は、天理大学所有のかもしか山荘です。玄関口の小屋の傷みが激しく、これは今も利用可能なのかと思うほど。
でもその昔、あしび山荘が谷にあった頃、1回で二組ずつ、あしびとかもしかに分かれて、林間学校を行っていました。ふうたろう、現役の時にかもしかに泊まったことはないけど、荷物運びはやったことがあります。ねずみが子供をくわえて出てきましたね。
かもしか山荘の裏には、少し行ったところに水場があります。懐かしいので、その水場にも行ってみましょう。
明神平の小屋では、旧・あしび山荘に比べて、水場が遠いことが若干の負担でした。そして、荷物を上まで持って上がらなければならないことも。でも、今思えば、どう考えても明神平まで上がれる今の場所の方がいいね。年間90日以上山に登るふうたろうはそう思うようになっていました。
名残惜しかったのですが、高校生はみんないなくなっていましたし、登ってくる様子もないので、下りることに。明神岳の方から下りてきたおっちゃんと一緒に下りました。
初めてここに来たとき、あれは林間ボッカといわれる、ワンゲルや山岳部の仕事として、必要な物資の担ぎ上げをやったときでしたね。楽しかったなあ…
でも、あの時のふうたろうはこのきれいな沢の音が聞こえていたかなあ。寂しさを覆い隠しながら生きていたあのころ、すべてに一喜一憂していたあのころ、…懐かしいね。
下ってくると、このヤブに覆われた建物があります。そう、これが旧・あしび山荘。この裏の崖が崩れ、小屋を呑み込んでしまいました。
ふうたろうが初めて山小屋に泊まったと言えるものでした。電気も水道もないといわれたけど、特に違和感があったわけでもなかったなあ。
崩落で雰囲気が変わってしまったけど、この小屋の前の沢で水汲みから水遊びまでやっていたなあ。
ふうたろうがあまりにも懐かしんで歩いて、写真を撮っているので、さっきのおっちゃんは先に行っています。
そして、舗装路とぶつかるあたりで、念願の天王寺高校の人たちに出会うことができました。担任の先生は、2003年頃に林間学校の手伝いに行ったとき、会った先生ではないかな…?更に、今回手伝いできていたOBの人の一人は、ふうたろうとは一緒に活動したことがないけど、後輩でした。
このときのやりとりの間に、さっきのおっちゃんは本当にいなくなってしまいました。
でも、それでいいんです。ふうたろうはもとより一人で、大又バス停まで歩きたかったのですから。
この大又林道の雰囲気も少し変わりましたね。あんな駐車場、当時なかったんじゃ…?
大又林道を歩く。ふうたろうはいつも林道歩きをしています。慣れっこのはずです。
そうそう、この左側が(下山時)草原のまっすぐの道、当時陸上部をやっていた友人が長距離走のスタイルで走っていましたな。それをダッシュで追いかけたという、他愛のないことを思い出しました。
しかし、思い出に浸るのも限界。ふうたろう、足の裏がふやけて痛くなってきました。途中の水場で、水を汲みに来ていたおばちゃんに、「乗っていかない?」といわれたとき、ちょっと心が揺らぎました。でも、今日はどうしても諦められません。
諦めず歩いて、大又バス停到達。何と、そのご褒美なのか、バスの発車5分前!これで、風呂にも入れるぞ!
バスに乗って、やはた温泉に到着。ここは、林間ボッカ(荷揚げ作業)の帰りなどに、みんなで入って帰るというのが恒例の場所でした。初めてここにやってきたときの休憩室のマッタリした雰囲気は、今でも忘れません。ちょうど、テレビで「新婚さんいらっしゃい!」がやっていた気がします。
風呂で汗を流し、着替えを済ませたら、メシです。16時18分の榛原(はいばら)駅行きのバスまで時間はたっぷりありますから、吊り橋を渡って向こう側の食堂へ。
そうそう、あの時もこの川ではたくさんの人が川遊びをしていましたっけ。
東吉野村村営の施設でしょうか。学校を観光施設に変えているそうです。
16時18分のバスに乗って榛原駅へ。バスの中で、大阪の登山家たちに出会ったので、話していました。ふたりは堺や天王寺まで行くので、天王寺までは一緒ということになりますか。ふうたろうは弁天町まで。
鶴橋駅。懐かしい。榛原駅から1時間10分ほどで着くほど近い場所だったのですね。今やふうたろうは何時間もかけて全国の山を股にかけているので、1時間なんてのは玄関先の近さですよ。
でも、それがふうたろうの実家まで行くとなると、それから更に1時間かかるという罠。実家そのものが離島にあるという件。
ここは地下鉄中央線弁天町駅です。これから、南港の実家に一時的に寄ります。もう、3年以上顔を出していないので。
実家には母親がいただけだったけど、特に変わりもなく元気にやっているようでした。3年半前というと、2008年1月。あれからふうたろうも色々あったので、何もかも、見え方が変わっています。
また、実家には2日くらいゆっくり帰れるように時間を作りたいと思います。父親がパチンコに出かけて帰ってこなかったので、今度は父親がいるときに、ね…。
今日は本当に追憶の旅。でも、その時間の壁を越えるためには、正直無理をしました。高見山からそのまま下りていれば楽だったはずだけど、明神平は外せなかったし、下山後の時間も有り余っていたので、実家に寄るべきだとも思ったのです。
今回の山行もウルトラハードでしたが、こういう混沌とした山行って、ふうたろうらしいじゃない?
#238三峰山(三畝山)クリア。
#239高見山クリア。
天気:くもり時々晴れ、時々雨(三重県飯南郡飯高町・奈良県宇陀郡御杖村・奈良県吉野郡東吉野村・大阪府大阪市住之江区、移動中は含まない)