15年後の今(木曽駒ヶ岳縦走・檜尾尾根コース:長野県)
結局、早く起きて木曽駒ヶ岳のうまい朝を堪能しようと思ったのに、件の機能性胃腸症で6時前まで動けないという罠。
ああそらはこんなにあおいのに(棒読み)
昨日の猛烈なルートは、思えば追憶のゴリラ街道でした。あのキツすぎるルート、ゴリラという形容がぴったりでした。もうちょっと早めに着いてプロピレングリコール入りフェットチーネを17時とかに食べて、就寝を20時とかにしていれば、違っていたかもしれないのに。それよりも、胃薬(消化剤)を忘れたのも痛かったかも知れない。
ああそらはこんなにあおいのに(棒読み)
空はこんなに青いけど、とりあえず、先にメシを食ってしまうことにします。いつまでもテントが片づかないから。ああ、木曽駒ヶ岳が手ぐすねしてる…(涙
¨:∴(゚ε゚;)ブッ
レトルトカレーの中に入っている大量の油分が飛び散りの刑(滅 …トイレットペーパーで拭いて、ゴミを増やしました。
カレーには、粉チーズとタバスコに加え、ガラムマサラ(昨日の昼のカレーうどんで新しく開けた瓶)をかけておきます。味に変化が出るので、食欲を湧かせるのですな。
テントなどは撤収し、全部100リットルザックに詰め込みます。当然、財布とかはカメラバッグの方に入れて、100リットルザックだけ分岐の看板の下に置いて、これから木曽駒ヶ岳の山頂を踏みに行きます。
ああ太陽はあんなに高く上がっているなあ(棒読み)
山頂三角点踏みは、一種の儀式です。今回の木曽駒ヶ岳は、追憶のゴリラ街道を辿るためだけではなく、ふうたろう絵日記未収録の木曽駒ヶ岳を撃破するためでもあります。山頂をしっかりと踏み、たくさんのいい思い出を残す。それが重要なゴリラ街道です(何
ふうたろうは空荷で山頂に向かっています。この岩ゴロゴロゾーンを歩くのですが、空荷のふうたろう、岩に足を置くたびに足が跳ねて歩きにくいの何の!後で判るけど、100リットルザック仕様の足になっているということですなあ。
あれは三ノ沢岳。今回にでも行ってしまいたいくらいの山ですが、いかんせん、機能性胃腸症の禍で、出発が大幅に遅れてしまったふうたろうにその選択権はないという。
木曽駒ヶ岳からは頂上小屋付近の広場がよく見えます。中岳だって、宝剣岳だって見えます。
そして、さっきまでだだ混みだった山頂は誰もいない。ふうたろうは人除けジャイロ(ドラえもんの道具)みたいですな。一人、おっちゃんか兄ちゃんかがいたような気もしますが。
山頂の展望は抜群。ただ、広い山頂なので、360度の大展望というほどではありません。360度の展望、くらいですかね。
今、木曽駒ヶ岳の陰から抜けた頂上木曽小屋、15年前のあの時、泊まったのでしたね。高山病(と思う)のMさんは、夜中中吐き気が止まらなかったと、後で言っていましたか。責任を感じるふうたろうだったけど、どこまで本気で感じていたのか、今思えば疑問なほどです。しかし、Y先生―ふうたろうの好きな先生の一人でしたが今はどうしているのやら―は、もう何て言ってくださっていたのかも思い出せないけど、ふうたろうを励ましてくれましたっけ。
今日はとても太陽が眩しく、雲海も素晴らしい。あの日も、今日より風が強く寒く感じましたが(当時の手持ちの温度計は9.8℃だった)とても天気がよかったですね。
木曽駒ヶ岳を下りて、ザックを背負ったあとは、中岳~宝剣岳方面に向かうことになります。さあ、行きましょう。
ザックを背負って中岳に足をかけます。昨日のゴリラ街道で痛めつけられた足が、今日もやっぱり上がりません。体力、落ちた?
しかし、中岳はそれほど高いピークではないので、すぐに到達します。ほら、宝剣山荘や宝剣岳が見えています。
中岳も岩がゴロゴロしているので、ちょっとその辺をウロウロして景色を楽しみます。
あまり人をたくさん写していませんが、登山者の数は膨大です。客層はそれほど良くなく、登山者というより観光客がかなり混じっている様子。宝剣岳を抜け、極楽平を抜けるまではロープウェーのテリトリーなので、我慢しないといけないことも、あるかも知れません。
宝剣岳、近づいてくると、何だか形が変わってきます。それはジャンダルムでも槍ヶ岳でも芦別岳でも同じでしたっけ。
宝剣岳は、ロープウェーのテリトリーだとはいえ、非常に危険な岩場です。奥穂の山荘からの上りよりは危険度が高い。ここでは滑落なども起こっているそうです。そんな道では、ふうたろうの荷物は、若干重い。
宝剣岳山頂。
当時ここに立ったのは、高山病のMさんと、巻き爪で歩けなくなったMさんの2人と、付き添いで帰ったK先生との合計3人を、除く人たちだけでした。
物静かと言うか、ちょっと寡黙な兄ちゃんがほぼ一緒くらいに登ってきました。彼は、札の上にある高いところを指して、「あそこには登れるらしいですけど」と言います。
というわけで、ふうたろうは登ります。ふうたろうもおだてれば岩に登るってやつですね。
そして、岩ゴロゴロの谷を見下ろしたり。
そんなふうたろうを、宝剣岳の取り付きあたりから見ていた集団がいて、何やら騒いでいました。ふうたろう、例に漏れず人除けジャイロなので、けっこうゆっくりその岩の上を占領できましたから、くるくる回りながら、360度景色を眺めていたのですよね。
しかし、そのふうたろうに触発されて(?)登ったみなさん、立つのもやっとという勢いでして(汗 景色を見る余裕がないとか。もったいなや…。
彼らが到着すると、その後を続いて人がワラワラとやってきます。兄ちゃん姉ちゃん、一気に狭い山頂がすし詰め状態になってしまったので、ちょっと会話を嗜んだら、次に行くことにしました。
あのジャンダルム付近のおぞましい岩場に比べれば全然ましですが、気を抜けないのはそんなに変わらない。
この窓みたいな所を潜るのは、100リットルザックを担いでいるふうたろうにはとても辛い。重心は崩れるし、そもそもザックが岩に引っかかるし。
宝剣岳前後は険悪な岩場の連続。あれが最後の岩場になりますか。
この垂直な岩場は、鎖なしでも登れなくはないけど、ゴリラ街道で足が上がらないふうたろうは甘んじました。
分岐点に到着です。ここから、件の三ノ沢岳に行くルートが分かれています。人、少ないんだろうなあと思っていたら、意外と行くわ行くわ。そうだな、冬とか、雪のシーズン、ロープウェーでアプローチして、行ってみようかな。
極楽平へ向かいます。そこがロープウェーとの分岐点で、エスケープするならそこが最後ということになりますか。
ハイマツが美しい風景。
疲れてはいるけど、足の方は、若干軽くなったかな…?
伊那谷は一面雲海に沈んでいます。ここは文字通りの天上界なんだろうなあ。
そしてここが極楽平の分岐点。人混みゾーンの千畳敷に行くのは自殺行為なので、迷わずまっすぐ。檜尾岳目指します。
ずっと右手からエールを送ってくれる三ノ沢岳。あの時も、ずっと送ってくれていたんだろうけど、聞こえなかった、かの声は。
美しいカール地形とハイマツ。中央アルプス、こんなにきれいなところだったろうか、と、改めて思うふうたろうです。
思えば晴れた中央アルプスは15年前のあの時1度きりで、1998年に登ったときは台風、2008年に池山コースを上がったときは言うまでもなく、2010年12月に登ったときは、思い出したくもないという件。
しかし、ガスが立ち上ってきましたね。ガスってしまうのかな、やっぱり…
ガスが稜線全部を覆い尽くしてそのまま、ということは、まだないようです。ジャンダルムの時よりも、むしろ少ないくらい。
地図上にある、「島田娘」を通過して振り返ります。ガレ場の稜線、最高だなあと。
天気がこのまま持つのなら、もう少しここに居続けたい。カムエクの時ほど強くはないけど、そう思うこともある。
いったいどれが檜尾岳だろう。実は、ふうたろう、空木岳直下にある駒峰ヒュッテ(こまみねではなくこまほと読みます)と檜尾岳直下にある檜尾避難小屋とを見間違っていたようですな。
手前にある木はナナカマドか。紅葉したらきれいなんだろうなあ。雲海をたたえる大きな空は、深く青く、いいだろうなあ。
それほど長い上りではないけど、やっぱり疲れている足には効きますなあ。
それから、岩陰で休むソロの女性が一人いました。珍しいから、目立ってしまうのですよね。
ふうたろうも、一歩先の岩の日向で休みました。日向で休むのは珍しいのもそのはずで、暑いです(滅
あの稜線の上に、四角い箱が見えます。それが、檜尾避難小屋ですね。
あとひとつ先の峰が檜尾岳ですが、ここでガスが一気に濃くなってきました。もうダメ?
でも、だましだまし、進めますか。むしろ、ぎんぎらぎんに日が照りつけると猛烈に暑いので、この方がいい?
檜尾岳の上りは若干辛い。濁沢大峰からの時間は、多めの1時間20分が取られています。しかし、実際そんなにはかからないはず。
もうすぐ檜尾岳です。ふうたろうの追憶ゴリラ街道もここで終わりとなるのです。
檜尾岳山頂。実際ガスが多くて、それほど展望には恵まれませんでした。しかし、もういいでしょう。檜尾避難小屋で最後の食料である赤飯を食べ、下りましょう。
なお、ここに居合わせた人はすべて、空木岳付近の木曽殿山荘や駒峰ヒュッテ(こまほ―)に向かう人でした。アブノーマル度100%ふうたろうは、やっぱり一人で枝尾根へ。
ふうたろう追憶の道を終わりました。ここからは未知の道。行こう。
途端に人がいなくなる怪。Aコースといい、この檜尾尾根といい、人除けジャイロふうたろうの猛威ですな。
この石垣は何だろう。判らないから、とりあえず放って先へ進みます。
腹が減った。しかし、あの小屋まで、何だかハイマツのヤブが鬱陶しいんですけど。
…と思ったら、到着した小屋の前には、女性2人が!?絶対誰もいないと確信していただけに、お互いびっくりでした。
ふうたろう、赤飯のパックを温めるための水が不足していました。しかし、彼女たち、水を分けてあげる、というか、要らないのであげる、と言ってくれました。
それが、この、とてもきれいな水筒の水です。ふうたろうのとは大違い。もっとも、ふうたろうのは現存すらしないのですが(滅
2人は一足先に、下山していきました。ふうたろうはこれから赤飯を温めてイナヅマ食いします。よくよく考えれば、この時点で11時半を回っていて、ふうたろうの乗るべきバスは17時駒ヶ根駅前ですから。かなり慌てないと…?!いけませんな!
赤飯をぶぎゅるコンロで温めている間に、そこら中で写真などを撮っておきます。
檜尾避難小屋は、1000円のカンパを求めています。寝袋なども備え付けられているので、それは安いのかも知れないけど、1000円かあ。泊まらない、トイレも使わないふうたろうはさすがに払いませんでしたが。
食ったら速攻で片づけて出発です。水場があるそうなので、寄っていくことも視野に入れておきます。
程なくして分岐があります。水場へは1分と書かれているけど、実際1分なんてかかりません。20秒あれば着きます。地図には「細い」とも書かれているけど、十分太いです。
バスに間に合わすため、というのは殆ど方便で、この孤独なルートにぜひお供を!とか。
シャクナゲのピークと地図に書いてある場所の少し下で、2人に追いつきました。早いと言われたけど、そりゃ、追いかけて追いつかなければ意味ありませんがな(笑
少し広いところがあったので、一緒に休憩、その後、ご一緒させていただくことになりました。
NさんとYさんが仲間になった!(ドラクエ7風に)
なお、彼女が背負っているザックはふうたろうのものです。みんなこのザックには興味を示すようですね(笑
3人で下る暗い樹林帯。ふうたろうは、ふたりのおかげで、この陰鬱な樹林帯を相当楽に下っています。しかしながら、彼女らにとっては、ふうたろうの歩はかなり速かったようです。これは失礼。
広葉樹の高木の樹林帯は明るいスポットです。紅葉のシーズンは素晴らしいでしょうね。
バス停に着いたら握手を交わしました。無事下山の喜びを称え合って。
実は、奇しくも、Yさんが厳しい高山病で大変だったようです。下山に従って快復したようですが、上ではさぞ辛かったことでしょうな…。
そして、いざ、この沢で(?)記念撮影…!沢??
臨時便態勢のバスが菅の台バスセンターとしらび平を常に往復していて、時刻表はあってないようなもの。すぐにバスが来て、黒川平駐車場へ。ふうたろうは、とりあえず、川で足を洗います(何
彼女らと話しているうちに、年齢も近いので、メシを一緒に食べるくらいまで一緒に旅をする流れになりました。今回に限ってバスの予約なんかをしてしまったふうたろう。しかし、Nさん運転するYさん号(何)でバスセンターに寄ってくれることにもなりました。
バスの予約を処理したふうたろう、渋滞も考慮するとバスで帰るのは賢明ではないので、結局バスは完全にキャンセルし、Yさんフィット号で、ふうたろう麗し懐かしの伊那へ。
2人は宿を探していたので、喫茶はるかの真上10mの所にある羽広荘を紹介したら、値段とロケーションにたいそう喜んでくれました。…ふうたろう、泊まったことはないんだけどね…(苦笑
偵察のつもりで入った羽広荘から出てきた彼女たちは、ご満悦の様子で車の鍵を回しながら「申し込んじゃった(笑」
腹が減ったふうたろうたちは、伊那と言えばローメンを目指し、巡り巡って、「萬里」にやってきました。土地勘のNさんとすれば、情報通のYさん、ローメンを知っていたようです。
さあ、ふうたろうももう10年以上ぶりになるローメン(肉が入っていないので肉麺(ローメン)にあらずだが)!NさんもYさんも正式なマトンを使ったローメンを注文して、スペシャルイナヅマ食いです。
どうやら、ローメン、気に入ってもらえたみたいです。元々、ソースカツ丼を食べると言っていたふたりでしたが、初ローメン、いかがでしたか?
食べ終わった頃、日が暮れ、伊那市駅発の電車の発車時刻である18時31分が迫っていました。伊那市駅まで送ってもらったあと、NさんとYさんはきっと羽広荘に向かったことでしょう。
ふうたろうは、駅前の菓子屋で、伊那名物っぽい2種類の菓子を買い食いしました。一つめがこの、「月夜唄」
もう一つが、この「伊那のまゆ」
ふうたろう、去年の白馬~朝日の縦走のあとに下りたった糸魚川で買ったホイルケーキがヒットしたので、若干期待したんだけど…、ね?
ふうたろうの旅は、こうして終わろうとしています。
しかし、特急あずさ号が山梨市駅に停車して、人を乗せたとき、中央大学の学生が乗ってきて隣に座ったのです。この彼がまたおもしろい人で、彼の属する山サークル(山岳部ではないみたいだけど)の色々な話をしてくれました。おかげで、あっという間に新宿到着。
いや、旅は道連れ世は情け。いいですなあ。
こうして、ふうたろうの追憶のゴリラ街道は終点に辿り着きました。
始まりからは想像もつかない結末まで、毎回驚きとネタを与えてくれるふうたろうの旅。そして、それに関わってくれる多くの人たち。ありがたいなあ。
ふうたろうは15年前のふうたろうを、いつの間にか追い越したようです。
#2木曽駒ヶ岳、2度目クリア。日本百名山、真クリアまであと2個。
天気:晴れ時々くもり(長野県木曽郡上松町・大桑村・木曽福島町・伊那市・駒ヶ根市・上伊那郡宮田村、移動中は含まない)
こんにちはー
檜尾岳からの下山をご一緒させていただいたNですー。
日記のアップ、早いですね~~~。
楽しませてもらいました。
こちらは、写真の整理等なーんにもしてないので、いつか一緒に撮った写真を送りますね。
羽広荘、快適でしたよ!紹介してくれてありがとう♪
次の日は、長谷ではなく、奈良井宿に行って観光を楽しみました。
Y子も私も、筋肉痛でぼろぼろでした~~。
22時20分なので、こんばんはー
nanaさんという名前を見れば、判りますね。あの時は楽しかったです、色々、ありがとさんでした。
今回は、ちょっと急ぎ足で日記を書きました。だいたい、火曜日か水曜日あたりまでかかるくらいで、遅ければ木曜日までかかることも(汗 遅くなると次の山行に引っかかって、不良債権になります(滅
nanaさん、忙しいだろうなあと思っていましたが、いつ見に来るかなあとも思っていました。長い日記でびっくりしたでしょう?いつもこの調子です。ふうたろう、小さい頃(小学校低学年)の遠足の作文でも、学校に集まって体育座りしているところから書いていたものです(笑 その頃から進歩なしと(大笑
羽広荘、良かったですか。ふうたろうは泊まったことないし、実は温泉の記憶も殆ど薄れているという。ともあれ、楽しんでもらえて嬉しゅうございました。下り、話に夢中でちょっとスピードを上げすぎましたかね??ふうたろうは筋肉痛はあるにはありましたが、ボロボロと言うほどではなかったのですけど・・・(脂汗 しかし、上には上がいて、北アルプスの燕岳の急坂を走って下りる人を知っています。ちょっと変わった人でしたけどね。
メルアドはコメントに添付してくれたんですね。写真は実はあれ一枚しかなかったのですが、またあとで送りましょうか。
こんばんはー
やっと今日写真を整理しました。
一緒に写っているのが2枚ありますけど、ここにピカサのURL貼り付けて送ればいいかな?
といっても、明日明後日とまた泊まりで出かけ、平日は仕事でヘロヘロになっているので、送るのは次の週末になると思います。やる気になるまで時間がかかるので・・・。
ザック背負ってる写真は、私のカメラでも撮ったので大丈夫ですよ~。
おはようございます。
写真はここに貼ると、そのまま全体公開になってしまうので、このメールアドレス、
john.f.nuts@gmail.com
までお寄せくださいませ。このメアドは、ふうたろう絵日記でも公開しているアドレスなので、こっちでよろしくお願いします。
あるいは、Picasaウェブを使っているのなら、ふうたろうのPicasaウェブをお気に入りに入れると、そのまま入っていけるかも知れません。右のサイドバーに「春山の写真」などのアルバムがあります。そこからアクセスしてもらっていけるはずです。
こんにちは。
やっと写真を送る気になって、上記のアドレスに送ったんだけど、宛先不明でおくれませんでした。
なんでだろうね?
ども、こんにちは。
ふうたろうは、四国の、地獄のような山脈を縦走して、今朝無事帰還しました。
きっと、宛先不明なのは、@が全角だからです。@だけ、半角@に直して、送っていただけますか。手間かけさせてごめんなさい。