Home > 人情話 > 歩き話

歩き話

2011年 10月 24日

 今朝は本気でしんどかった。仕事に出かけたくない。まじで。でも、起きてメシ食って、昨日の集会の日記をちょっと書き始めたあたりで、諦めて出勤。そういうもんだという諦めと、それでいいのかという悩みがぶつかるという。
 …ま、そんな崇高なもんであればいいけどね(滅


 ところで、今夜、13日あたりに商店街に貼らせてもらいに行った集会のポスターを回収しに行きました。ふうたろうのいる班にはとてもしっかり者がいて、朝イチで「今日はポスターの回収に行こう、木曜では遅い」とメールで言うではありませんか。でも、ふうたろう、午前中はさっきの通りふぬけだった上に、これでもけっこう午前中はクソ忙しくて、メールの返事が遅れました。そしたら、昼イチで、「休んでください」みたいなのが入っていてびっくり。いやいや、行きますって。キミ一人に行かせるわけにはいきまへんがな。
 ということで、19時、結局、もう一人来る予定だった人も仕事が遅れて来られず、二人で回ることに。ほんとに律儀で真面目な彼女。貼らせてはもらえなかったけど、ポスターを貼るかどうかを検討してくれた店にも挨拶してた。律儀というか、商魂たくましい(何)というか。


 そんな彼女と、最低賃金の話から飛んで、ふと、昔の話をしていました。何と、中学の頃とか、テストでオール90点以上はざらだったとか。しかも、塾なんて行ってないという。勉強が好きだったと言っていたので、こりゃ努力家肌なんだなあと。ふうたろう、勉強が好き嫌いの前に、勉強の仕方が判らないという罠。テスト勉強の仕方が判らないので、手も足も出ませんでした。だから、定期テストより実力テストの方が偏差値も高かったという。
 それにしても、学力って何だろうなあと思います。ふうたろう、テストでオール90点以上ってのは取れた例しがありません。それこそ、あの当時は90点に届く試験が一つもなくて、落胆していたときもあったなあ。でも、今考えたら、それがどうした、程度です。テストの点数が10点や20点、一時的に低くても、大局的には変わらない。記憶力や物事の関連づけなどの力に、人間同士で大きな差があるのかも、あるかどうか判ったものではない。それに、記憶力と一言で言っても、その記憶力の良さが必ずしもプラスではないことは、かなり昔の日記にも書いたと思う。人間、忘れやすい方が楽なこともあるのだから。能力は適材適所。完全無欠の能力なんて物は、あり得ない。
 ふうたろうの隣を歩いている彼女の件の几帳面さに、日頃の付き合いが徐々に増えてきたふうたろう、改めてびっくりでした。しかし、その気配りは相手に届いたはず。言葉が詰まろうと、伝わっていると、傍目からして明確に判りましたよ。
 ふうたろう、昔は、一人で全知全能(?)であればいいと思っていたときがあった。でも、それは違いましたね。一人では力を合わせる作業は不可能ですね。たとえ一人が飛び抜けた能力があるとしても、その人に付いてくる人がいなければ組織が崩れることを、見てきましたね。
 元に戻るけど、あの頃、80点台と90点台との間で行き来する得点に一喜一憂していたふうたろうを、今は笑って見ていられます。本物の学力はどこにあるのか、それは混沌としたものだけども、得点で80か90かの違いの中にあるのではないことは確かです。そして、勉強が好きな(だった?)彼女は、それ自体が素晴らしいわけだし、その几帳面さは生きています。
 得点の差に汲々としていた過去も、全知全能をあてもなく目指した青春時代(?)も、長い車道歩きだった。樹林帯だった。笹原と岩場を楽しみ、たまの樹林帯を笑える歩みで、これからの稜線を歩いていきたいものだなあ。


天気:くもり(東京都板橋区)

Comments are closed.