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原子力と労働者

2012年 5月 24日

 今日は仕事が突然といっていいほど少なくなりました。しかし、なぜかどうも、そんなにヒマという気もせず、ちょこまか動いていたような気もしなくもないですが、やっぱりヒマでした(何
 ところで、今日、来客(っぽい)がありました。実は、このところ、妙にイラついている問題が約1件あります。
 …あんまり詳しくは書けないけど、同僚一人、仕事にも出てこられない状況があるんですな。「(その相方が)具合が悪い」と聞かされてはいるけど、ふうたろうはその「具合の悪さ」を実は一度くらったことがあって、山登りの計画に支障を来したことがあります。
 要は、どんな境遇にあったとしても、究極的に乗り越える決断をするのは自分一人だってことです。それを誰かに頼り切るのはありえないし、よもや頼った相手がうまくフォローできないことを責めるなんてのは言語道断。
 …職場まで来て何を話していくのかと思えば、「かわいそうな自分」演じではないか。はらわたが煮えくり返るわ。忙しい所長の貴重な時間を奪うんじゃねえ(▼皿▼)
 そんな胸くそ悪いことがあったので、仕事を少し早めに抜けて知り合いの劇を見にチャリを新宿に走らせるときも、相当目がつり上がっていました。


 今日のメインはその知り合いがやっている劇です。その劇の名は「臨界幻想2011」。青年劇場という劇団がやっていて、以前、「普天間」を見に行ったことがあります。「普天間」の時は登場人物ごとの個性があまり感じられず、まるで講演を聴いているような気分でしたが、今回は…


 ―原発労働者になって7年の暁生が倒れて急死した。暁生の母は、住んでいる町の町立病院の医者から「心疾患」が死因だと聞かされる。しかし、その死から1年後、反原発運動をしていた人たちから聞き取りをされる。「ひょっとしたら放射線が原因である可能性がないだろうか。亡くなる前の状況を聞かせてほしい。」
 その後、母は最初はその聞き取りを拒絶したが、次第に心疾患死亡説を疑うようになる。そこで再度、病院で処置・診断に関わった医者に問いつめた。しかし、医者から返ってきた言葉は「手帳には4.7rem(=47mSv)の被曝だと、1年間の原発労働者の許容量にも満たない。これじゃ、放射線の影響だとは言えない」だった。暁生が務めていた日本電力(東電のモデルかな?※ふうたろう註)の人間にも問いつめにいったが、答えは同じだった。
 ところで、生前の暁生にはフィアンセがいた。昌美である。暁生とは愛し合っていたが死別した後、日電のエリート社員である早川と結婚することになったようだ。
 その昌美に、協力した暁生の妹である美津子が、暁生が死ぬ前のことを訪ねようとする。暁生の母同様、最初は拒絶する。
 ある日、暁生たちの家に日電の社員がやってきて、何と1000万円の大金と菓子折を置いていった。驚いた母。疑念が更に深まった母は、日電に足を運ぶ。「自分のところの社員が、自社の責任で死んだのではないにも関わらず、1000万円という大金を家族に払うのか?」日電の幹部は答える「迷惑をかけたからですよ。」母はここで悟った。「頭の悪い私はやっと判った!要するにこの金で黙ってろってことか?」幹部「まあ、そういうことです。」
 実は、暁生の家族に1000万円を届けたのは、昌美のフィアンセである早川だった。早川は昌美と暁生たち家族との関係を知らずにその話を昌美にしたようだ。昌美の心は揺れた。昌美は暁生の母に、生前の暁生が語ったことを話す。
 昌美は暁生の子を身籠もっていた。嬉しそうに暁生に話した。…が、暁生は喜ばない。むしろ、堕ろすように言う。暁生は「俺の身体は放射能でボロボロなんだ。子供を作る資格なんてない。原発労働者を父親に持つ子どもは奇形が多い。」そう言い放った。昌美はその暁生の言葉に産む勇気を持てなかった。
 母の決意は固まる。町立病院のかの医者に死因を更に問いただしに行く。しかし、最初と同様、「手帳」にある被曝量の記録が障害に至るほどのものではない。証拠がないと追い返される。その横でまた日電からの患者が搬送されてくる。
 その夜、暁生の母に電話がかかる。どうやら町立病院のスタッフの一人からのようだ。暁生がどのような状態で搬送されてきたのかを伝える。「あれは決して心疾患などではない。白血病だ。病院ではカルテを書き換えることだってする。真相を聞きたければ、富田と清水(誰だかは記憶が定かでない※ふうたろう註)に聞いてくれ。」そこで病院の他のスタッフに見つかり、電話が切れる。
 かくして、富田と清水から話を聞いた母は、暁生が働く中で何を思い、どのような働き方をしていたかをすべて知ることになった。原発は完成した技術では決してない。仕事は被曝限度量を超えねば終わらない量だ。暁生は下請けの原発労働者だけにキケンを負わせられないと自ら線量を超え、話ができないほど厚い防護服を脱いで言葉を伝え、作業に従事した。しかし、日電はそれは暁生が勝手な行動をしたことによるものだとして、はねつけた。反原発活動家たちも「自分で防護服を脱いだのであればそれでは裁判に勝てないだろう」と口を揃えて言う。
 ある日、原発周辺のモニタリングポスト(放射線量計)の数値が振り切れた。事故が起こったのだ。日電の社員とその家族だけが避難することになった。その時、昌美は日電社員である早川の関係者に当たるのでその情報を持っている。そこで昌美は暁生たちの家族にそれを伝えたところ、早川に暴力的に止められる。「町中がパニックになるだろう!」
 …昌美は無理やり連れて行かれることになるが、結局町に戻った。そう、6μSv/時の町に。
 安全だといわれた原子力発電、暁生自身も信じ切っていた原子力技術は「幻想」だった。隠蔽、改竄で、暁生のように葬られた人々は100人を超えるというテロップが流れている。


 …ハードな劇でしたね。
 ふうたろうは原発は爆発したときの放射能汚染こそがやばいと思っていたけど、何のことはありません。通常運転しながら、現場で働かされている作業員の犠牲は既にあるということです。それに、最初の原発の大惨事となったスリーマイル島事故よりも遙か前に、原発が事故を起こしたらどうなるか、などのことも含めて国会での議論や報告書などが存在していました。
 ふうたろうには出せる言葉が思いつきません。帰り、家まで新宿からチャリを漕いでいる間も、何をすればいいのか全然まとまりません。
 ただ、これだけははっきりしています。ふうたろうたち一般市民(活動家流に言うと被支配者階級)が「原発に頼ったわれわれが悪いんだ」などと一億総懺悔しても何も始まりません。それは、奇しくも、冒頭「かわいそうな自分演じ」とさして変わりません。一方で、ふうたろうたちの強みは既得権にまみれず、「支配者階級」が囚われているカネと権力からはむしろ無縁であることは、強みかもしれません。
 ふうたろうは、「完成していない」「他人を犠牲にしている」「汚染をまき散らしている」原発は要らないとはっきり言います。パソコンガー、冷蔵庫ガー、テレビガー、なんてものも荒唐無稽な話。原発の電力でないと動かないものなんて一つもないのだから。原発の電力を使わせるためにキャンペーンまで張ってきた原発推進派に冷蔵庫ガーやる資格なんてありませんから。今は次々とピーク電力を抑える対案が出て来ています。もはや、推進派に利はないと見ていいでしょう。
 …ま、あまりこんなこと言うと、消されるかもしれないけどね。ヤブの中に罠もしかけられるかも(黒笑 いや、まあ、いつもふうたろうの山行は罠だらけだから気づかずに引っかかってるかもね(死滅


天気:くもり時々晴れ(東京都板橋区・豊島区・新宿区)

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