Complexity

2014年 9月 3日

 絶対朝の景色は綺麗だと思っていた昨日の夜。曇りがちの予報がやや覆って晴れました。ふうたろうは5時半に目を覚まし、サクッと外にでるのです。


 昨日の夜は満ちていた潮が、ずいぶん引いています。それでも、ここはひょっとしたら遠浅になっていたのではないかと思ったりもします。


 彼方に樹木の列が見えますが、津波をかぶって枯れているようです。


 魚の鱗のような波。この松川浦にある晴風荘も、津波に呑み込まれたそうです。しかし、最上階まで浸水することも、また倒壊することもなく、助かったそうです。最上階は5階です。


 津波をかぶる前の松川浦を知りません。そもそも、ここが内海だったことも、あとで地図を見てから知ることになったのです。


 干潟に立って晴風荘を。あの建物の5階からの眺めは最高ですが、津波に呑み込まれていた時のあそこからの眺めは、筆舌に尽くしがたいものだったでしょうね。


 棒がたくさん立っています。あれは、どうもノリの養殖のためのものらしいのですが、覚え間違いかな?


 福島のノリの生産はかつて大きなシェアを持っていたそうです。しかし、この原発事件があってから、関西方面では一切買い取ってもらえなくなったと、後で聞かされました。かといって、ここにいるノリ養殖業者たちが、他のところに移転して養殖業を続けることは、当然不可能です。農業と、同じですね。原発事件さえなければ、こんな事にはならなかったのです。


 晴風荘の裏には広大な水田が広がっていました。ここは南相馬や浪江とは違い、まだ人の立ち入りが制限されている場所ではない分、農業を続けることも可能です。しかし、放射能の全袋検査を行い、「安全性」を確認しないと誰も買ってはくれない。例えば京都や広島などの農産物に、そんな大掛かりな手間をかける必要はあるでしょうか。


 晴風荘に繋がる道はここだけ。ここが寸断されたら孤立しますね。


 放射能さえなければ、東北全体を見ても、もっと早かったはず。過去に同じような規模の地震や津波があって、甚大な被害を受けたことはあるでしょうが、放射能による災害の可能性はここ100年以内に生まれたもの。ヒロシマの原爆がその歴史の最初かもしれません。
 考えたら、日本ほど放射能に苦しめられた国はないはず。ヒロシマ・ナガサキの原爆、ビキニ環礁の水爆実験から降ってきた死の灰を浴びたあの被曝、そして今回の福島第一原発の事件。
 それほどの国でありながら、非核三原則すら否定し、まだ原発に固執する?
 オトナの理論はムズカシいですな!


 浜風を受けて育ったここのコメの味はどんな味なのでしょう。ふうたろうはコメの味には鈍感ですが、コメの味はその化学成分だけで味わうものではないですからね…


 ここ1ヶ月、本当に青空が少なかった。でも、昨日の午後と今朝は、奇跡と思えるほど晴れています。


 晴風荘の200m程度南に、高台があるようです。行ってみましょう。


 後で今回の研修に長野県から来ていたYさんも行ったと言っていたのも、おそらくここのことだと思いますが、その高台の上には神社があります。どうやらここまでは津波も達さなかったようです。


 しかし、冬枯れだっただろうこの高台に避難してきた人には、この場所は心的外傷後ストレス障害になるほどのものだと思います。


 ところで、ハラが痛くなってきたので戻ってきました。しかし、晴風荘近くまで来ると治まってしまったので、散歩続行。


 潮、少し満ちてきた?


 ふうたろう、ちょっと遅い海水浴でもします。


 まあ、足を浸けるだけですけどね。


 さて、これから朝飯、そして、研修の最後の日程です。


 …終わりました。研修の中で聞いたことは、少しですが日記の中にちりばめておきました。


 東京までクルマで帰るグループがいましたが、ふうたろうはあえてそのグループには入りませんでした。5人ぎゅうぎゅう詰め(しかも男ばっかり)なのがしんどいのもありますし、腰が痛くなりそうなのもありますが、ちょっと、外に出たいんですよ…せめてこんな時くらい。


 結局、郡山市の近くに住んでいる(実は安達太良山の麓だとか!)Kさんの車に乗せて頂いて、郡山まで行って新幹線で帰ることにしました。郡山から一人になるかと思ったら、茨城県から来ていたOさんと、大宮まで一緒でした。


 ふうたろうはこの研修は片足を仕事に、片足を山に、それぞれ置いているもののように感じます。どうも、やりにくい。どうも、居づらい。でも、ここで学ぶことは多い。だから、一人でも来たい。


天気:晴れのちくもり、郡山市付近で一時雨(福島県相馬市・伊達郡川俣町・安達郡東和町・郡山市など)

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