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日本の青空の下で日本国憲法は生まれた

2007年 6月 10日

 起きたのは10時45分。久々の寝坊です。今日は繊維質の食べものを一切食べられないので、魚と米だけで過ごします。近くの回転寿司屋に行き、7枚でギブアップして、外に。
 バケツをひっくり返したような雨。傘を突き抜けて雨が落ちてきます。ついてねー!!なんて思っていましたが、帰ってきたら、その雨は滝になりました。瞬間雨量でいえば、100mm/hrレベルかも知れません。向こうが見えない。
 ほどなくして、雷が市内のあちこちに落ち始めました。そして、停電。信号機も向こうに見えるスーパーも、もちろん我が家も、全部消えました。雷で停電なんて、1993年8月19日以来です。


 今日は取手市民会館で『日本の青空』という映画を見ました。
 この映画の舞台はとある出版社。そこに勤める契約社員の女性ジャーナリストが、雑誌の企画で日本国憲法の特集をやるということで「特ダネ」を探すことになります。押しつけ憲法といわれる日本国憲法が、実は鈴木安蔵という憲法学者を中心に作られていったものであることが判ります。彼女の連れであるフリーターの兄ちゃんは、司法関係を目指していましたが、挫折しかかっていました。しかし、彼が、ジャーナリストである彼女のために、一緒に憲法の調査を手伝うことになります。
 本映画は、その調査を掘り下げていく中で見つかった、鈴木安蔵の日記から、日本国憲法作成に当たって活躍した人々を回想して描いています。
 日本国憲法については今、改正すべきという雰囲気が高められています。「押しつけ」とか、「古い」とか、「環境権などが盛り込まれていない」とか。その中で、特に重要なのが最初の「日本国憲法は(GHQなどによる)押しつけ憲法である」というものです。この映画の焦点は、まさにその一人歩きした話を見直させるところにあります。
 日本国憲法は本当にGHQなどの外の人間が作ったものなのか。結果からいうと、Noです。なぜなら、GHQは、日本の研究者や政党および市民団体が作った草案を参考にして政府に突きつけただけだからです。これは、GHQや自民党発の文書からも明らかになっているそうです。(フリーターの兄ちゃんが活躍する場面はなかなか良い。)
 憲法制定の中で、女性の権利(男女平等など)を書き込んだのは、GHQにもいたベアテ・シロタ・ゴードン氏。彼女は10年間日本に住んでいたため、日本の女性がどれだけ抑圧されていたかも知っています。それだけに、彼女が加えた女性の権利は、政府側も受け入れざるをえなかったようです。天皇制に関する条項はGHQ案(国民側の案)と政府案では真っ向から対立しました。ところが実は、政府側はGHQ案が国民側(研究者その他)から提案されたものであることを知りませんでした。それゆえの「押しつけ憲法論」だったので、破綻は明白です。GHQ側のラウエル氏が政府側の首脳に事実を伝えると、日本政府とGHQの憲法作成は急ピッチで進みます。1946年11月3日に、かくして今の日本国憲法が発布されます。もちろん、憲法9条も、何の問題もなく、取り入れられました。
 「押しつけ憲法論」がいかに荒唐無稽であるか。解りやすい映画でした。今一度、憲法の歴史を学びたい、そういう気にさせられます。

 映画が終わって外に出ると、取手市上空は雲が切れて青空が見えていました。
 かつて、日本国憲法は終戦の夏の、青空の下から芽を出し始めました。そして、民主主義と平和と人権という肥料を与えられ、育っていきました。
 その歴史、その意味、その実践、―これらに無知であればこそ、「憲法を変えても構わない」などと軽々しく言えてしまうのだと思います。歴史を知れば「押しつけ憲法論」がウソであることを知る。意味を知れば自分たちの考えが憲法の理念の足元にも及んでいないことを知る。本気で実践すれば「環境権」だの「プライバシー権」だのを書き込むことがいかに意味のないことかを知る。
 僕もまだ憲法の意味を本当に解って言っているわけではありません。意味を知る、活かす方法を考える(実践する)ことも含め、もうちょっと学習してみようと思います。

天気:くもり時々雨、雷を伴い非常に激しく降る(茨城県取手市)

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