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自己責任と自己満足

2007年 6月 27日

 今朝、職場の入っている建物の管理人ともめました。こういう事もあるかな。何気に2度目。後で考えると大人げないことでもめたなと思いました。
 それと、いつも読んでいる新聞。よいニュースなど、このご時世望めません。憲法について空気のように感じている僕にとってはイメージできないけど、中国の戦地まで行き、空襲を逃げまどってきた人たちには本当に「現在進行形」の問題です。住民税が去年の2倍になっても、僕はまだ暮らしていける。でも、年収200万円台の家庭で国保や税金で3分の1くらい持って行かれる人たちには「命に関わる」問題です。ネットカフェ難民なんて見たこともない僕ですが、現実にはいて、健康も生活もボロボロにされているそうです。そして実際、夜中の12時とか1時とかまで働かされている一方で、仕事すらもらえない人だっています。
 僕は今、専門職として、有機溶媒の臭いに包まれながらも、重圧や確執、安月給からは解放され、休日を謳歌できます。これは僕が努力したからですか?

 僕は、大学を転々としながら、色んな学習はしました。大学の教師も驚くような質問や発言もしました。でも、これはみんな僕が好きで、自然にやったことでした。一度も無理したことなんてありません。バケキチもヤマキチも、結局その結果でした。
 一方で、国家試験に向けて猛勉強した人、何度も入社の面接で排除された研究室の仲間、朝の3時4時から20時くらいまで働かされた上にパワハラをくらった友達。僕は、こういう人たちは本当に努力してきたと思います。しかも、ある時は不当に努力させられたと。
 しかし、「過労自殺は自己責任」などということを平気で言う財界の人間、「若者は怠け者」と言い放った現・文部科学大臣(伊吹文明)。
 ならば問う。「同じ努力をあんたたちがどれだけ出来るんだ」と。財界の人が自分のやりたい思いで起業して、結果付いてくる辛さを味わった人たちが、過労自殺したのではない。「若者は怠け者」と十把一絡げにするのは大臣のイメージに過ぎない。今問題になっている自殺者のかなりが、不当な圧力に抗しきれず命を絶った人と言ってもいい。「怠け者」といわれた人について、何を見て、何を解って「怠け者」と言っているのか。何にせよ、「自分だけが努力をしていて精一杯やっている」と思っている奴が、一番タチが悪い。

 それでも、こんな窓口の狭い日記の上で、こんなことを言っていても仕方がありません。僕は、選挙戦は嫌いですけど、やらざるをえませんでした。ポスターを持って立っているだけしかできなくても、ビラまきで犬死にしても、やるしかないのです。それで結果が付いてこなければ、諦めもつくし、今の僕の力の限界ですから。上手に演説する活動家の背中を見て悔しく、もどかしくもあるけど、それは僕の自己責任です。そのジレンマから逃れたければ、諦めるか向上するかのどちらかしかないのですから。
 少なくとも、思いと行動が一致せず辛かった一斉地方選挙の時と比べたら、少しでも行動した今回の方が楽になりました。
 自己満足、そのとおりかもしれないけど、それも自己責任の上でやっていることですから、いいんです。結局、僕はただ自分のためにやっているに過ぎないのです。

天気:くもり時々晴れ(東京都板橋区・茨城県取手市)

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