Home > 未分類 > 8月の青空

8月の青空

2007年 8月 6日

 今日の仕事は抽出作業で、いつもと変わりません。そして、GC/MSのスペクトルを追っかける。あとは、『毒と薬の科学』(船山信次著 朝倉書店)を読んだり。前にも書いたと思うけど、僕が分析しているのは、です。それを学ばないで、毒を分析することに何の意味があるでしょうか。
 …と大げさに書いてみましたが、みんなと同じことをやっていてもしょうがないという見栄というか虚栄心というか、そんなもので動いているだけかもしれません。


 ところで、今日は何の日ですか?
 62年前の今日8時15分、アメリカが一発の原子爆弾を落とし、14万人(年内)を地獄の苦しみに陥れ、殺害した日です。
 僕は2年前(2005年)、広島市内で行われた原水爆禁止世界大会に参加しました。今日はちょっとその日に戻ってみたいと思います。


※青字に含まれる画像はすべて2005年8月4~6日に撮影したものです。
 原爆炸裂の瞬間から止まった時計です。「止まった」と書きましたが、時計が勝手に止まったのではありません。アメリカの原爆によって、この持ち主の命もろとも、止められてしまったのです。


 2年前の8月4日ですので、そこから732日足した日付が今日刻まれている日付のはずです。しかし、核実験が最後に行われた日にちからは…。


 広島市、2005年8月5日の朝です。「抜けるような青空」でした。原爆が炸裂する朝も、何の前触れもなく…。
 しかし、当時の気象観測では、広島上空は薄曇りだったそうです。ガイドさんが話をしてくれました。「抜けるような青空だった」といわれているのは、原爆の象徴なのかもしれません。


 この写真を撮った瞬間から60年前(厳密に)、この場所は業火に焼かれていました。都市の炎は3日間消えなかったとどこかで聞いたことがあります。
 爆風と熱線を真上から食らった産業奨励館。今は戦跡として世界遺産です。核の落ちた町の、破壊されたビルが、世界遺産…。日本各地の自然や建物などが遺産登録されて喜ばれる今、複雑な気持ちになります。


 原爆60周年祈念。この灯籠流しに来た人の数は50000人と報道されていました。あれから2年。今も太田川に灯籠は輝いているのでしょうか。


 以上は、2年前に行ったときの写真を見返して、今年行けない分の思いを書いておこうと思ったものです。
 今年は長崎で世界大会があります。本当は行きたかった。行って、現場を見て、写真や音声をちゃんと記録して、持ち帰りたかった。2年前の冊子にも手記を残したけど、今はこの日記にも残したい。次、行ける機会を必ず作り、長崎の大会に参加します。今年、せめて6・7月にあれほど体調を崩さなければ、参加できた可能性もあったのですから、やはり、平和を守るのも、「勝は体力」なのです。


 仕事帰り、痩せた白ネコ。声をかけるとニャーといいます。顔をのぞき込んでみたら、両目の色が違います。なぜ同じ個体の目が、左右で色を違えるのだろう?
 よく考えたら、不公平だね。どちらが不幸なのかは知らないけど、えさも不自由なく、寒暖もコンディショニングされたところでぬくぬくしている血統書のネコと、この目の色が違う白い野良ネコと。
 戦争は、人を人として思わないことから始まると誰かが言っていました。ネコと人は全然違うけど、この目を見ていたら、ホントになんだか思いに駆られました。

天気:晴れ時々くもり(東京都板橋区・茨城県取手市)

Comments are closed.