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負の大阪を捨てて帰る最後の日

2007年 8月 18日

※記録8月19日

 ムーンライト九州号が大阪駅に着きました。土曜日の大阪駅の朝6時半は、昨日の夜の博多ほどではありませんでした。それでも、天下の台所大阪。人は多い。


 大阪環状線外回り(外回りとは、線路が左側を走るからなのか?)で天王寺駅まで行きます。ちょっと遠回りするけど、懐かしい、天王寺。外回りでは、内回りで行くよりも、1分だけ早いのです(天王寺からだと逆になります)。


 こちらは内回りの大阪環状線です。東京の山手線と比べたら3分の2ほどしかないけど、大阪の大動脈です。
 鉄道に詳しい人しか解らないのかもしれませんが、電車に緑とオレンジがあります。これは、色が違うだけなのか、中身も違うのか、どちらでしょう。


 天王寺駅から、関西本線が、加茂駅経由で名古屋駅まで繋がっています。大和路線とも言います。大和路線という言葉が懐かしい。もうその言葉を使っていたのは、10年以上も前になるのです。
 天王寺は高校生の時に頻繁に利用した駅です。駅前のMiOビルでワンゲル部の活動のために地図を買ったっけ。病的なくらいブルーバックスを買いあさったっけ。化学事典を誇らしげに買って学校に持って行ってたっけ。
 あのときは何もかもが寂しくて、すべてが自分を誇示するためでした。しかし、それとももうオサラバです。寂しさ漂う天王寺、さようなら。


 大和路線が王子駅を過ぎます。王子駅は、初めてお付き合いした人と花火を見たところ。そして、直後、別れたところ。忘れもしない1999年8月13日20時52分。しかし、もうあのとき泣いていた自分とは訣別しています。次来ることがあったら、自信を持って河原を歩いてやります。


 加茂駅です。亀山駅まで向かいます。ディーゼルエンジンのワンマンカーです。まさか関西にもこういう鉄道が残っていたとは…。


 柘植駅…これで「つげえき」とは読めないでしょう。「たくしょくえき」と読んでいた僕でした。


 亀山駅です。ここで30分強の待ち時間。18切符ユーザーにとっては、適度な待ち時間は重要です。地元の人に関わりつつ飯を食べるための時間や、駅周辺を楽しむ時間は、18切符ユーザーの特権ですから。
 僕はそうして旅を楽しみます。


 何の店か、外から見たらさっぱり解りません。でも、一度扉を開けてごらんなさい。中には、馴染みのおっちゃんと店員たちが談笑しながら、コミュニティーを作っています。
 どこから来たのか解らないけど、やたらと大きな荷物を持っている僕の姿を見るや、みんな不思議そうに見つめます。「屋久島に行ってきたんですよ。」というと、みんな驚きます。行ったことある人も、そうでない人も、場所さえ曖昧な人も、みんなよく話すことを思いつくなぁ。
 大きい荷物は、それだけの重みがあるってことかな。


 この後、名古屋を経て、東海道線を通り、取手駅まで帰ります。
 名古屋のちょっと手前、四日市駅(三重県)で、72歳のばあちゃんが乗ってきました。海外旅行などの経験もあるという。子どもが言うことを聞かないと、困っている話をしてくれます。72年も生きていれば(僕の3倍弱)、そりゃいろいろありますよね。韓国のバスガイドがすごく反日的だったこと、でも、「韓国でそういう教育を受けてきたんだね」と穏やかに受け流すところはまた奥ゆかしい。
 そうして、取手駅に到着したのは19時8分。33時間のロングランは終了しました。米原や大垣経由で来れば、あと2時間は早く家に着いたはずですが、大和路線が僕を呼んでいたので、いいのです。その先には新しい出会いもあったのですから。

 8日間の旅で、移動距離は1000kmはいったかな。計算する気にもなれないけど、九州全部と本州半分を縦断したわけだから、1500kmくらいはあるでしょう。写真の数も、846枚。8日間で割って、13分40秒に1枚くらい撮っていた計算になります。寝ている時間や家に帰り着いたあとの時間を除けば、もっと撮っていることになります。
 このあと、旅日記の詳細版を作らなければなりません。ちょっとたまってるから大変だなぁ。
 壮絶な屋久島・開聞岳の旅は、今日で終わりです。

天気:晴れのちくもり(大阪府・奈良県・三重県亀山市・愛知県・静岡県・神奈川県・東京都・茨城県取手市)

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