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凶悪な道(甲武信ヶ岳・国師ヶ岳・金峰山:埼玉県・長野県・山梨県)

2007年 11月 24日

※記録11月25日

 寒さもそうですが、元々眠りの浅い人間ですから、3時前までが限界。そして、起きても寒いから、八方ふさがり。テントの片隅に置いてあった23日の夕方に炊いた米は凍っていました。もちろん、水筒の水やスポーツドリンクもシャーベット状。雲取山と、寝袋以外の状況は同じです。
 箸でつついても崩れないどころか、まさに「バナナで釘が打てる」状態の米。
 何とかシャーベットを入れて火をかけて七分がゆ状態にまで持っていきましたが、米が丸飯盒の底にこびりついてしまいました。茶色の物体は瓶詰めのなめたけです。


 何と、こんなものまで凍っていました。ケーキも凍る甲武信ヶ岳の寒さ。たぶん、クッキーだよと言って人にあげたら簡単にだませると思う。


 温度計は-6℃を指しているけど、もっと低いような気がする。米が一晩でカチカチになる気温でしょうか。


 暇な朝に堪えかねた僕は、かもしか山行。4時39分に出発。夜のとばりがおりている中、20kgの荷物を背中にくっつけて歩いています。今日の凶悪なルートの始まりです。


 夜明けのように見えますが、Noです。満月一日前の、月の入り直前。甲武信ヶ岳山頂近くです。


 墓標のように立っている甲武信ヶ岳の標。あまりにも闇夜がきつすぎて、山から帰ってきてもなお、登頂した気にすらなれない。
 結局、甲武信ヶ岳で夜明けを待つことは出来ませんでした。


 夜明け。でも、登山道は当然のように真っ暗闇です。後ろを、僕と同じ目的地である『大日小屋』に向かうという人が過ぎ去っていきました。
 僕は、結局闇夜の中をまともに歩けないまま、40分で過ぎるところを2時間もかかっていました。朝三暮四とはこのことをいうのでしょう。


 空が微かに明るくなってきました。7時前。結果的にはあまり意味のないかもしか山行でしたが、いい経験になったと思っています。夜にむやみに歩くのはやめろと。そういうコース設定をするなということです。


 枯れ木の隙間から見えるのは、青一色の空だけ。今日も天気は抜群のようです。


 甲武信ヶ岳から大弛峠(おおだるみとうげ)まで、展望できる場所は限られています。その中でも展望の良い場所です。こうして日記を書いている今、改めて見てみると、遙か向こうに金峰山(「きんぷさん」あるいは「きんぽうさん」)が見えているような気がします。とにかく、一ドット。


 選りすぐるのが大変なくらい、樹林帯の多い今日の写真。岩をかち割りながら生えてくるマツ科の針葉樹たち。僕から太陽光を奪っていきます。


 苔生した倒木。光が殆ど届かない陰樹林の下。暗いです。


 凍った道のど真ん中に、腰の高さの倒木。素晴らしい道です。


 …何これ?ゴミ箱がこんなところにあるはずが無かろう?持って下りたかったのですが、そんな余裕は、もう既に無し。倒木と樹林と氷の道に、満身創痍です。


 ああ空はこんなに青いのに…。この青空を十二分に味わえるのは、まだずっと先のこと。そして、何気にトウヒやシラビソなどの梢から、時々目の中に太陽光が直撃してきます。明と暗を使い分けたアタックにダメージ倍増。


 道はいつまでも凍り付いています。しかし、時々その氷の道がとぎれるので、アイゼンを着けるかどうかも悩みます。ヘタに使うと、木の根を傷めますから。
 でも、最終的には、体力のことを考えて使いました(国師のタル過ぎ~国師ヶ岳)。結局、甲武信ヶ岳からずっと着けていた方が正解。体力の消耗を早めたと思います。


 国師ヶ岳の稜線に出ました。左に行くとワケの解らないところに連れて行かれます。このときは、本能で右に向かっていたような気がします。
 目の前は、氷の道で真っ白。心は樹林の下で真っ暗。表情は殆ど拝めない青空で真っ青。


 国師ヶ岳山頂。甲武信ヶ岳より120mも高い、2592m。南側の展望は抜群ですが、頭が真っ白、表情が真っ青の僕は、他の登山客たちに挨拶すら出来ない状態。
 しかも、そんな時に、エネルゲンを入れたアルミ製の深緑の水筒に穴が開いていて、ザックの中を汚濁していました。泣きっ面に蜂。


 国師ヶ岳から見えるこの山は何だろう。
 なお、この写真を撮っている指は脊髄で動いていたと思うので、何か考えて撮っていたわけではないことを追記。


 国師ヶ岳、正確には前国師ヶ岳から、大弛峠まで、木道です。よりによって、雪でアイスバーンになっていて、それが断続的に続くのです。アイゼンを着けることも出来ないし、滑るし、危険極まりない。


 大弛峠にある、大弛小屋の水場。あのひしゃくが肥びしゃくに見えました。水の量が少ない上に、「保健所からの指導で煮沸してから」という文言付き。とりあえず、青い肥びしゃくで水を掬って水筒に。なお、1回の水くみで100円です。


 大弛峠で終了ならいいんですけど、そのあと、金峰山を越えて、大日小屋まで行く予定なんです、念のため。
 でも、このあとはずっとこの調子で、日蔭は必ず凍った道、日向はガレ場やザレ。大弛でやや回復した体力も、朝日岳まで。


 朝日岳…の手前らしい。大弛峠と金峰山をピストンしている爺さんが教えてくれました。
 でも、見えている山が何なのか、さっぱり解りません。…というか、解ろうという気力がありません。休んで、通過。
 そんな僕の横を歩く人はみんな元気であります。


 トウヒやシラビソなどのマツ科植物。蓼科でも多かった立ち枯れの木。とろけた脳みそで余計なことを考えている僕。歩くことを考えていればいいのに。


 遙か彼方に金峰山(右の方)。あれよりも先に、本当に行くつもりか?


 惜しげもなく稼いだ高度を下りさせるルート。凶悪極まりないっす。靴を新調したこと、荷物が重いこと、要因が自分にもあるだけに凶悪さを道のせいだけにも出来ないのが、余計に悔しい。


 金峰山の手前で樹林が突然消えます。山頂は近いか。#29金峰山。あと少し…!


 この標を見るまで、僕はずっと歩き続けてきました。しかし、もうこれ以上歩き続けるのは無理。10mが数kmにも思えるくらいの疲労困憊。


 金峰山の頂上には、小屋に荷物を置いて登ってきた人たちが何人もいました。また、後ろから追いかけてきた人たちも。そして、みんな僕をあとに、小屋へ向かいます。みんなの背中が遠のいていく…。


 日の出と日の入り、月の入りと月の出を一日に全部見たのはこの日が初めてかもしれません。今日の日はさようなら、今日の月はまたこんばんは。


 程なくして小屋に付いた僕。甲斐駒ヶ岳山系の向こうに日が沈んで、珍しく太陽と月以外のものが浮かんだ空を見ました。八ヶ岳のシルエット。


 自炊は、自炊小屋というのが離れにあって、そこでやります。-11℃というところで、当然火器はこのランプ一つ。あとは、僕らが使うガスコンロ。寒くないといえば、えんま様に舌を抜かれるだろう。
 二袋目のカレーと水を入れすぎた炊飯で、夕食としました。


 夜は21時の消灯まで、西沢渓谷から金峰山小屋までずっと同じルートをとってきた夫婦と喋っていました(もちろん、メシ一緒に食べた人とも話した)。旅慣れた夫婦です。たまに旅をしない休日がある、と言っていました。スゴすぎ。
 夜のとばりはとっくに下りていたけど、夜も昼も光の量に相関がない僕にとって、時刻というものは殆ど意味をなさないものになっていました。消灯も成り行きってことで。
 こうして、到着ならずの凶悪コースが終わりました。このコースは決して忘れることがないでしょう。

天気:快晴(埼玉県秩父郡大滝村・山梨県東山梨郡三富村?・甲府市・長野県南佐久郡川上村)

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