そういえば、タリウム事件の子…
毎日の出勤。家の前は連日の冬日で路面は凍結。バスがおそるおそるブレーキをかけてバス停に停まると、脱兎のごとく駅に駆け込む通勤客。その一人として常磐線の車両に飛び乗り、座りなれたシートに腰掛け、新聞を広げます。いつもの情景、いつもの課題。
新聞の小さな欄に、―しかし僕にとっては大きく目を引く―あの記事が。
「あ、タリウム事件の女の子…」
一時期大変騒がれましたが、今はどこ吹く風。耐震偽装事件や証券取引法違反のライブドア事件、アメリカ産牛肉の違反事件などにかき消され、タリウムという物質すら忘れられています。
そう、あのとき、女の子のこと、「異常だ」という目で世間は見てたっけ。「数十年に一度の特異な個体」だとかも…。でも、短絡的な感覚で扱われ、結局今は放ったらかし。今も彼女は少年院で過ごしているんだろうか…。彼女の母親は中毒に苦しんでいるんだろうか。
以下は、僕の読んでいた新聞の記事の抜粋です。見る人は何新聞かわかるかもしれません。記事は、大東文化大学の教授がつづられたようです。(…環境・廃棄物問題でも学生共々頑張っている大東文化大学…?)
―16歳の少女の孤独―
「僕の友人は少ないです。教室では何時でも孤(独)」…(中略)…そんな孤独感を紛らわそうと酔い止め薬を使用量の8倍も飲んでいた。
いじめたり、からかったりしているクラスの生徒について、「3年生になるまで彼等だけが僕の話し相手でした」(中略)
そんな彼女が唯一安らいでいたのは、自分の中に作り上げたもう一人の人格との対話の世界であった。…(中略)…保育実習では4歳児に「悲しみが慰められた気がします」(中略)でも、次の日の日記にはもう寂しくてたまらない…(中略)
日記の一部からは、共感や安らぎを求めていた日々が痛々しく読み取れる。その16歳の少女を誰か一人でも受け止めてあげることができたなら、彼女は孤独と苦悩の世界を脱出できたかもしれない。
そう、彼女の苦悩を受けとめてくれた人はあのとき、どれだけいただろうか…?日記の一部が公開され、みんな彼女の苦悩を知るチャンスはあったのに。マスコミの注目はもっぱら「化学実験的」な「異常さ」だけ。そして、時間が経てばこうして忘れ去られるなんて…!
…このままじゃ、また第2・第3の「タリウム少女」が出てくるでしょう。社会が、その中で生きる一人一人の苦悩を受けとめられない限り―あらゆる場面に「勝ち組・負け組」を持ち込む風潮と「自己責任論」を押しつける社会が終わらない限り。
僕も化学や生物が好きで、子どもの頃から顕微鏡覗いたり化学辞典を開いたりしていました。しかし、それは本当に好きだからだったのか、全部ではないにしても、一部では寂しさを紛らすためだったのではないか。定期まで買って公立図書館に通っていたのも、勉強に逃げていただけなのではないか。それでも逃れられない孤独感。教室の中で自棄になる自分。どこかで思っていたかもしれない、「こいつらなんかに負けへんぞ」…。
何時しか、激しかった孤独感を忘れ、今は波がありながらも、仲間に囲まれている実感があります。でも、今でもその孤独感から抜け出せず、漂流し続けている人もたくさんいるでしょう。一昨日、取手市内でやった芋煮会のような雰囲気を少しでも経験できればあるいは…。
「タリウム事件」は久しぶりにそんなことを思い起こさせました。もう起こらないでほしい、そんな願いは、今の社会では雑踏をさまよう蟻のように踏みつぶされるでしょうが、起こらない社会を目指したく思います。
天気:晴れ(茨城県取手市・東京23区西部)