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山工場(武甲山:埼玉県)

2008年 6月 1日

 よお~し!!
 おいらがこのザックを持った人でごった返すバスにいるということはっ!じゃじゃ~ん!!山に来ているのであります!
 29日間のブランクに相当苦しんだ甲斐がありました。5時半にちゃんと起きて、飯も食べて、余裕持って出てきました。もちろん、飯能駅までの記憶は、仏子駅というアナウンスだけでしたが。
 どうでも良いけど、「はんのうえき(飯能駅)」と打ったら、「反応液」と出てきました。さすが山と化学を愛するふうたろう。危なくスルーするところでした。


 さて、バスは、飯能駅から名郷(なごう)まで1時間。なぜかこういうところではよく寝られるんですね。
 寝ぼけた頭で、さぁ出発だ!
 天候も抜群です。


 昨日まで雨続きだったので、水かさも増えているのでしょう。虹が出来るほど強く流れております。


 僕は、これから、この標の、"鳥首峠"という方に向かいます。急坂縦走コース。…でもないけど、29日のブランクにしてはちょっと張り切り過ぎかもね。


 空はガツンと晴れていても、薄暗い川。さすがに三脚がないと撮れないくらいです。でも、シャッタースピードを長くして、やや暗めに撮れば、水しぶきも白飛びしませんし、流れる雰囲気を出せます。


 車道歩きの終点は、このセメント工場。
 そう、この山一帯は、石灰石の産地でもあります。


 たかがこんな石ころのために、山を切り崩しているのですなぁ。でも、この石灰石で東京の高層ビルは出来上がっています。
 これからは木の時代だ!木工建築の左官を蘇らせよう。


 セメント工場を抜けて山道を行くと、廃屋が数軒。滅んだ村。何で廃屋というのはこうも重いんだろうねぇ。
 …と、その前に、腹が痛くなってきた。ヤヴァイ。


 鳥首峠まで来ました。途中で腹痛から復旧し(完全ではないけど)、前を歩いていた人たちに追いつきました。早速ですがここでみなさんとはお別れです。


 武甲山まで縦走。樹林帯のアップダウンを突っ切ります。その時々に見えるこういう展望は、何とも言えません。大持山よりもずっと南の小ピークです。


 山ツツジ。木本類は殆ど解りません。とりあえず、去年の同じ時期に丹沢でツツジをたくさん見ていたので、何となく意識していた程度です。


 ここから見えているのが武甲山とは思わず、途中の大持山や小持山だろうと思いながら、果てしない道を歩く気分で、少し疲れ気味でした。


 たぶん、ツツジ科のアセビだと思うのですが、虫食っていますね。確か、ツツジ科の多くは有毒物質を含んでいたと思います。家に帰って調べてみたら、グラヤノトキシンという、炭素と水素と酸素だけからなる物質でした。虫は平気なんですかね。


 積雲が発達してきました。道行くおっちゃんが、「積乱雲を見たので、飯も食わずに急いで来た」と言っていたので、もしかすると、と思わなくもありませんでした。
 話が逸れましたが、この風景の向こうに、所沢市の西武ドームが見えているのです。今日は中日との試合らしいですね。


 大持山、到着。実は、上の展望のよい写真が、大持山直前(南)でした。そこで僕はラーメンを食いました。ちょっと熱湯を手に引っかけてしまったり、虫にたかられたりしましたが、何とか無事、スープまで飲み干すことが出来ました。


 ミツバツツジというらしいですね。こちらは毒があると、小持山で出会うことになる、立派なナタを持ったおっちゃんが教えてくれました。


 人工物ではありません。
 しかし、地層の意味は解るとしても、なぜ層の間にこんな隙間がきれいに出来るのかが解りません。構成成分が違えば、膨張率、硬度、その他諸々が違って、歪みを生じさせ、更には水などの侵入を許し…、なんてことになるんでしょうか。


 あった!
 断崖絶壁の展望台が、鳥首峠から武甲山の間でただ一つ、大持山と小持山の間にありました。他の登山客もいるのですが、恥を忍んで写真が撮れるかっ!うきゃうきゃ言いながら、本当はここで昼寝でもしたいと思いながら、通過。


 空には絹雲が出てきました。積雲型の下り坂に対してもう一つの下り方。こちらの下り坂は鬱陶しい雨が降ります。
 でもまぁ、こうやって最初の方の絹雲を見ている間は、高見の見物です。


 小持山到着。ラーメンを食ってパワーアップしたので、ダッシュでした。たぶん、水分も十分摂ったことになるので(スープを飲んだため)、その影響もあると思われ。
 ここでさっきのツツジの話をしたおっちゃんと出会いました。おっちゃんはヤマツツジ(橙色の花)をもいで食べていましたが、僕にはその勇気はない。そして、ナタがカッコイイ。熊とも戦えそうな強気なおっちゃんでした。


 これは何でしょうか。
 解る人は少ないはず。
 山菜の一つです。
 ワラビではありません。
 中国から水煮で輸入されてくることが多いです。
 中国から輸入されて来るというのはまったくヒントになりません(多すぎるから)。
 葉の若芽は綿帽子に包まれています。
 本当に食べようと思えば、干したり何なりの前処理が必要な、手間のかかる食材だそうです。
 答えは、ゼンマイ。
 …の胞子のうだと思います。


 小持山から急坂を下って、ふたたび武甲山に向かって急坂を上がります。この斜度を見よ!


 ジシバリ(キク科)ですかね。花のシーズンですね。


 恐らく、バイケイソウ(ユリ科)だと思います。スゴい群落。


 ニリンソウ(キンポウゲ科)でしょうか。いまいち、イチリンソウとの区別が付きません。並べて見せてもらえたらきっと解るのでしょうけど。


 もう、武甲山山頂直下。ここはみんなが休憩を取る場所みたいです。


 そして、バイオトイレ。腹痛をここで取り払えば、百人力さ!
 で、ここを掃除してくれている人がいること、忘れちゃならんぜよ。


 …実は、今日は10月末。
 この写真を、その時期の日記に貼り付けても、絶対バレないと思うのは僕だけでしょうか。
 でも、最初から赤みを帯びたカエデ類、あるみたいですね。
 誰かから聞いた話ですが、新芽が出る時、酸化的ストレスに曝されないためにポリフェノールを合成するとか。これがそれに当たるのかどうかは解りませんが。


 さぁ、武甲山頂上です。いつも下から眺めていましたが、遂に登頂。富士山みたいですね。


 そう、富士山同様、開発の手は山容を痛々しいものにしています。石灰石の採掘が頂上すれすれまでなされていて、もはやここは工場の敷地内です。"山工場"です。


 で、驚いたことに、ここで、とある人から声をかけられました。
 なんと、去年8月12日に、"はいびすかす号"で出会った、仙台の人です。何という偶然!
 もっとも、僕みたいに山に行きまくっていればどこかで再会する率も高いのでしょうけど、感覚的にはやっぱり偶然です。
 で、ちゃっかり彼女さんまで連れて来ていて。(^0^ヘュオッホホ


 そろそろ疲れてきたでしょう。あと9枚です。
 この山、サンショウ(ミカン科)が多い。そのうちサンショウの実を採りに来られそうな気がします。


 武甲山からの下りはかなり急でした。その下ったところにあったこの清らかな川は、どれほど僕を癒したことでしょう。
 苔すら殆ど生えていないくらい、きれいな川です。もっとも、そのまま飲む勇気はありませんが。


 ガツンと晴れた、濃厚な緑に覆われた山の谷間。
 何となく、高校生の時の林間学校(のお手伝い)を思い出して、懐かしくなります。林間学校、まだやっているのかなぁ。あの、"手伝い"と称した交流会、出来ればまた参加したい。あれだけは関西にいた頃の数少ない良い思い出です。


 オトシブミ。道路にたくさん散乱していました。ここには命が宿っているのでしょうが、多くは大人になれないのでしょうね。
 実際はそんな暗いことを考えていたわけではなくて、自然を科学とともに満喫していたのです。


 僕の下山場所は浦山口(うらやまぐち)です。でも、その前に、鍾乳洞があったので、入ろうと思いました。鍾乳洞の手前には茶屋があって、この天気と暑さで、かなり良い雰囲気。
 でも、土産物のドライフルーツ(アンズ)はトルコ産。アフラトキシンの汚染が不安なものの中の一つです。


 鍾乳洞の名前は橋立鍾乳洞。大きさを想像していませんでしたが、人1人が小さくなってくぐり抜ける程度の、アリの巣みたいな感じです。
 写真の石筍(せきじゅん)とは、看板の上に少し出っ張っている鍾乳石です。これは下から生えたタケノコ(筍)のように見えるから、石筍といいますが、実際は、洞穴の上から落ちてくる、炭酸カルシウムを含んだ水が再結晶して出来上がるものらしいです。


 カーテン状になった鍾乳石。
 狭くて歩きにくいので、さっさと出てしまいましょう。入場料200円の価値とはこのことですね。


 鍾乳洞を出たところにシダ植物があったので撮っておきました。ポツポツがグロい。


 さて、ようやく今日のふうたろう旅日記も終わりです。たまたま西武池袋線直通の秩父鉄道に当たったので、楽に帰れました。取手にいた頃には考えられないことでしたが。


 本当に、久しぶりにふうたろう旅日記爆発です。出会いあり、科学あり、腹痛あり、何でもござれ。
 とりあえず今日は29日ぶりの山行を惜しみなく楽しめたので、このまま締めくくります。しかも、6月という、梅雨であまり山行には向かないシーズンで行けた1日はデカい。7日も晴れてくれればなお良し。期待してるぜ。…体調の方もね。

天気:晴れ時々くもり(埼玉県入間郡名栗村・秩父郡横瀬町・秩父市)

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