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インフルエンザ倒病Ⅱ~後半は幸福の科学(何)

2012年 3月 4日

 土曜日の夜もずっと熱が高かったのですが、峠は越えましたか。金曜の夜に比べて少しマシになった気もします。それとも、まったく気のせいかもしれません。
 夜通し38℃を超えていましたが、昼間には一旦37.5℃まで下がりました。しかし、夕方には再び熱がゴヴァッと上がり、38.8℃に達しました。インフルエンザの熱の出方に、"二峰性がある"が言われるのはこのことなのかと、改めて感心。ところで、昨日の夕方に買ったアセトアミノフェン製剤は、39℃を超えたら使おうかと思っていたけど、結局超えなかったので、使うかどうかの思案すらしませんでした。
 念のため、熱は下げればいいってもんではありません。38℃前半くらいまで上げておくと、リンパ球などが活性化するのだそうで(テレビで聞いたくらいの話だけどね)。それに、横になっていて、鼻づまりとかを止めれば(実は朝のうちに鼻薬を買っておいたので使用)、38.8℃出たときも、そんなにキツくはありませんから。熱下げる前に、メンタル的な熱を下げろ、ということですな。


 そんな夕方に、NHKで「幸せになるための選択を阻害する要因」と題して、アメリカのコロンビア大学でアイエンガーという人が喋っていました。

  1. 数値にこだわらない
  2. 自分のほしいものがわからない
  3. 幸せをもたらすものへの過度の期待
  4. 判っていても間違った選択をしてしまう

 ふむふむ。巧く表現していると思います。
 数値にこだわらないというのは、数値化できるパラメータだけで、自分が求めるものの対象を評価しないということでしょうね。いろいろなデータを出していたのでもう少し具体的でしたが。理性は今ここでほしいものに解答はくれない、とも言っていたっけ?
 自分のほしいものがわからない、というのは、もはや言わずもがなですな。選択する基準がないのだから、それは無理。
 幸せをもたらすものへの過度の期待、というのは…なんだっけ。まあ、その言葉通りなんだろうけど。
 判っていても間違った選択をしてしまう、というのは、人間は誘惑に弱い、ということらしいです。目の前の100ドルか、1ヶ月後の120ドルか、という選択を迫られたときに、目の前の100ドルを取ってしまうようなのが「間違った選択」みたいで。…この辺りからビミョーにアヤシくなってくるんですが、もっと一般式的に表されるたとえや表現が必要かな、なんて思ったり思わなかったり。
 =つ☆ノ゚3゚・・)¨:∴
 余計なこと考えとらんで寝てろや(゚Д゚メ)ゴルァ
 まあ、もう少しだけ。
 ふうたろう語に訳してみようと思います。
 数値にこだわるのは、例えば、300名山撃破とか、ですか。しかし、300名山を登るだけなら、若干難しいところもありますが、タクシーや人のつてを使って、楽なコースを選ぶことだってできます。公共交通を使い、時間や手間をかけ、過程を含めてゆっくりと登る。この非効率的な行動をとるのは、もはや「数値的なもの」とは言えないものに価値を置いているからに他なりません。
 自分のほしいものがわからないとは、山に登ることさえも好きかどうか判らないとき。また、その「好き」かどうかを理性で考えるのは難しいでしょう。よく人は言います。「なんで山なんて登るの?」と。岳人は「そこに山があるから」と答えるらしいですね。ふうたろうも、それに近いかもしれませんが、ふうたろうらしく述べるなら、「山だから登るんです」と答えねばなりません。
 ==つつ☆☆ノ◎3◎・・)¨:*∴**
 カッコつけてんで寝ろや
 …幸せをもたらすものへ過度の期待をするというのは、山に憧れだけで登るようなものかもしれません。春になれば新緑が美しく、夏になれば高いところも清々しく、秋には紅葉、冬には銀世界、など、美しい山々が限りなく広がっています。…が、そんなに甘いものではなく、雪解けで靴はびちゃびちゃになり、時にはメイストーム(5月の嵐)に煽られてひどい目に遭います。雷の時には死を覚悟し、雨にたれれば夏でも低体温で命を落とすこともあります。日の短さに気が付かず途中で暗くなり、気候の変化に追いつけず雪に見舞われることも秋山では忘れてはいけません。白銀の世界を見せる雪は白い悪魔でもあり、雪崩や滑落をもたらし、簡単に命を奪います。総じて、景色の美しさ、環境のすがすがしさの一方で、疲労や空腹と闘うこと、美しいものそれ自体が凶器であることを認識しなければなりません。そして、凶器そのものがまた美しいのだということも、ここでは追記しておきたいと思います。
 …これらが「過度の期待をしないこと」を意味するのかどうかというと実に難しいですが、これは、事実をありのままに捉える態度のことではないかと思います。
 判っていても誤った選択をする、というのは、今回のふうたろうの逆パターンです。インフルの可能性もある状態で無理やり山に行ってしまえば、途中で御陀仏かもしれませんし、御陀仏しなくても救助隊を呼んで多額の費用を払わなくてはならなくなるかもしれません。結果的に後に多くの損失を残すことになるでしょう。今ここで2日間の損失を取るか、後の計り知れない可能性の量の損失を取るかは、歴然です。登山そのものの中にもその要素はたくさんあって、引き際を間違えてひどい目にあったことはふうたろうも数知れず。あの日高南部神威岳は、この4番目の好例です。


 というわけで、ふうたろう語訳、終わり(-ε-)
 22時頃には眠ったと思います。
 ※この日記は6日の昼過ぎに書いています。


天気:くもり(東京都板橋区)

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