インフルエンザ倒病Ⅲ~薬地獄もゴネ次第(違
今日は月曜日。山に行ってなくても月曜日はやってきます。でも、今回の症状は、医者でないふうたろうであっても、95%以上インフルエンザということが解るほど解りやすいものなので、あとはこの症状を理由に欠勤する大義名分を得に行くだけです。
…なんてことを書くと、また角が立つのですが、事実、大義名分も何も、インフルエンザの診断を受けなければならないのは自分のためであるし(違えば別の治療が必要)、インフルエンザであればもうしばらく欠勤が続くのだから先方にも伝えねばなりません。否応なしに病院通いは必須。
今日は特定疾患受給者証を使えないし、ただの診断をもらいに行くだけなので、家の前にあるクリニックにホイホイと出かけます。ええ、ゴキブリが寄っていくように。
…こういう書き方すると、クリニックがゴキブリほいほいになるので例えがよくないのか。あくまでも、ふうたろうがホイホイと這い出すように、というたとえです。しかも、朝からやたらと強い雨が降っていて…
清潔感があって、看護師たちスタッフも元気で、好感を持てたクリニック。医師の手が猛烈に冷凍みかんで触診が笑えるほど寒いというところとか、付き添いの看護師が喋ってくれる(これはけっこうどこでもある)とか、イイ感じ。そして、出された診断は、やっぱり、この写真の通り、インフルエンザA型。
しかし、ここからが問題。なんか、医師が冷凍みかんハンド(やや解凍?)でカルテに薬の名前みたいなのを書き始めたと思ったら、それが終わらない。とりあえず、タミフル系(抗ウイルス薬)は要らんと言っておいたので、それはナシになりました。でも…?ふうたろうの目には、一つ「ロキソニン」が見えたような希ガス(じと目
それで、病院の会計の時に検査をいろいろ受けたので5000円を超える治療費を払い、2枚に渡る処方箋を薬局に持って行ってから、その具体的な薬の話を聞いたとき、初めてギョッとしたという(¬_¬;)
とりあえず、薬が11種類出されました。もちろん、タミフル系は入っていません。抗生物質、胃薬、抗生物質耐性乳酸菌、下痢止め、うがい薬、トローチ、解熱剤、痰を止める薬、咳止め、抗炎症(アレルギー)薬、腹痛止め。それぞれ、「商品名=主成分名」という対応で、フロモックス=セフカペンピボキシル塩酸塩、ムコスタ=レバミピド、ビオフェルミンR=耐性乳酸菌(という表記しかない)、ロペミン=ロペラミド、アズノールうがい薬=アズレンスルホン酸Na(グアレナートナトリウム、水溶性アズレンなどとも)、SPトローチ=塩化デカリニウム、ロキソニン=ロキソプロフェンNa、エンピナースP錠=プロナーゼ、トクレススパンスールカプセル=ペントキシベリン・クエン酸塩、タリオン錠=ベポタスチン・ベシル酸塩、そして、ブスコパン=ブチルスコポラミン臭化水素酸塩…。
(゚□゚;)ポカーン
ぶっちゃけ、殆ど聞いたことない物質ばかりだ…。こんなもん全部飲んでられるかよ…。主を呼べ(何
なお、後学のため、全部調べておきましょう。
ムコスタはプロスタグランジンE2(PGE2)を作り出して胃を保護。
ビオフェルミンRは、文字通りだけど、幅広い抗生物質に対して耐性(Resistance)がある乳酸菌らしい。遺伝子組換えで作ったのかな。
ロペミンは腸のオピオイド受容体に取り付いて腸の動きを抑制し、下痢止めするらしい。
アズノールは作用機序は解らないけどどうやら抗炎症薬らしい。トローチは抗菌薬らしいけど、化学構造式がない。真菌などにまで効くらしい。
以下、ふうたろうが薬剤師を通して削除させた薬。
ロキソニンはプロスタグランジン合成阻害によって鎮痛や解熱の効果があるらしい。ムコスタが出されたのはこの代償だと思う。アセトアミノフェンさえも使わなかったふうたろうには、今回はいらんという件。
エンピナースP錠は何かの酵素らしく、どうも、タンパク質分解酵素の類かと。痰を分解するってやつですか。
トクレススパンスールカプセルは、延髄の咳中枢を抑制して咳を止めるらしい。…そこまでして止めたいか、咳を…(¬_¬;)
タリオン錠は、抗ヒスタミン剤らしく、…なんでこんなもんが入ってたのか未だに解らん薬。風呂に数日入れなくて頭掻きむしってる姿でも見られたか(黒笑 って言うか、そこまで痒くないし。たぶん、鼻づまりとか鼻水とか、そういう系の諸症状を止めるためだろうけど、点鼻薬で充分じゃねーか。
やっと最後のブスコパンは、副交感神経の作用を抑えて、とどのつまりは腸の動きを止めて腹痛を抑えるらしいのですが、ロペミンと被ってる部分がないかとか思ったり。というか、こんな口が渇く薬は要らん(▼皿▼)Ψ
家に帰ってから改めて確かめてみれば、ロペミンとトローチとアズノールも削除できたね。フロモックスとビオフェルミンRとムコスタはあってもいいやと思う。っていうか、インフルとはまったく関係なくなってるけど(黒笑
この薬の数は、ふうたろうが生きてきた30年あまりで、最も多いものですわ。結核を治すために10種くらいの抗生物質を混合で飲むのを聞いたときはギョッとしたものだけど、インフルエンザでかかっただけでこれだけ出されるもんなんですね。
ああ薬に恵まれた神の国だなあ(棒読み)
天気:雨(東京都板橋区)
こんにちは。
週末は寝込んでたんですか…更新がないからどうしたのかなと思ってましたよ
もしかして、僕のインフルが染ったんですかね?入笠山の前の週19日(日)まで寝込んでましたから…
それにしても、ほんと薬多いですね。ぼくはタミフルと漢方二種類だけでしたが。
今回はインフルなのでゆっくり回復して、今後の山行に備えてください
あ、日曜日は彼女と有報堂にいってきました!おししくて、居心地のいい空間で感動してました!
ペチカレー(ペチカで煮込だカレー)と水餃子は絶品でした!
すばらしい店紹介してくれて感謝です!また、いきましょうー
Kaz君のインフルではないと思うな。5日以上経ってるしね。うちの職場に、不顕性患者が居て、それがインフルと気が付かずに咳しまくってて(確かに咳しまくってるのはいた)、移ったとかね…(滅
有報堂行ってきたんだね。店主のBさんやAさん、Kaz君のこと覚えてたかなあ…。今度ははるかにも案内してあげてね。たぶん、もう顔パスで行けるよ(笑
インフルなので堂々と休んでいます。病名が付いているときって、解りやすくていいですわ(がんとか不治の病は別だけど)。いつもの胃腸症候群ってのはほんとにバツが悪い(じと目
この際しっかり休んでパワーアップして山に備えてくださいね!
有報堂の方ははたぶん僕のことわからなかったと思います!いそがしそうでしたし
興味深い本もたくさんあったので、通いまくっていつか常連になりそうですけど(笑
こんどははるかにも行きますね!
またふうたろーさんと話すの楽しみにしてます!
闇テンいつか一緒にしたいものです~hahaha
おだいじにしてくださいね
ここ数日、よく休んでよく寝たので、むしろ体調はよくなったかもしれないね(インフルなどによる体調の悪さは別だけど)。それに、職場にいなくても許されるのが…(まあこれ以上は言うまい)
やっぱり有報堂は覚えられてなかったかな。そりゃ、あの時一度っきりだったしね。はるかならたぶん覚えてると思うけど。すぐに思い出さなくても、こないだふうたろうと一緒に行ったと言えば思い出すよ。ま、いつか、彼女もいるときに一緒に行こうか。それともおじゃまかな(うふふ(^0^ヘュオッホホ
ところで、闇テン一緒にしたいの?おいらが闇テンするってことは、それなりにすごい山域に入ってくってことたぜ?周囲数キロ誰もいない(もちろん夏でも)というところで闇テンするんだもんな。30~40キロ歩いて出会う人ゼロとか、想像できるか?
そやな、とりあえず、池口岳や熊伏山、奧茶臼山を真冬の人寄りつかない時期に、不気味な笑いを浮かべながら(何 突撃できる根性が必要だね(^0^ヘュオッホホ
もうインフルの方は、鼻風邪っぽいの以外はよくなったよ。明日から出勤だね。仕事がたまってますように(ぇ
あー、たしかに!ちょっと深南部エリアを想像してみました。
だいぶ良くなったみたいでよかった。
インフルの発熱はきついですよね。
ちなみに、登山とどっちがきついですか?????
やっぱ、ふうたろうさんの場合登山かな??ルート、山にもよるとおもいますけど。
闇テン=人気のない山域になりますね…
wild animalさんたちの生息域ですよね。
とりあえず、深南部突撃できる根性を備えるにはしばらく時間かかりそうです!(滅…パクリ
そうなるには時間かかりそうですわー
また彼女紹介するときは山の魅力を教えてあげてくださいね!
きっと私も300名山したいって目をキラキラさせるとおもいます!
深南部エリアは人が少ないしね。平地も人が立って寝るほどの広さしかないしね。
インフルエンザの熱は、俺の場合いつもそんなに上がらんのよ。今回も39℃行くかどうかが焦点になったけど(ぇ 結局行かなかったしね。40℃の熱は、記憶の上では経験ないし。傾斜角40度や気温差40℃なら経験あるけど(黒笑
インフルの熱と登山どっちがキツいかって?そりゃ熱でしょ(マジレス この熱で森吉山フイにしたんだぜ?あと二日間遅れてくれれば、今週いっぱい休んで、週末には山と丁度ランデヴー出来るのに。
俺が一人で山に登るようになったのは2005年8月12日青森県の白神岳が最初。そして、2回目は同年10月1日筑波山。3回目が同10月8日の日光白根山。2007年くらいまではパンピー登りだった。一人で、といっても、どういう山登りが好きなのかも解らないし、どこが好きなのか、どこまで耐えられるのか、いろいろな意味で模索さえできないほど右往左往してた。2007年4月8日に、大菩薩嶺から下りてきたとき、介山荘(大菩薩嶺の山小屋)で一緒だった4人組の若人のうちの一人の女性が、日本百名山の話をしていて、それで百名山を知って、新たな発展段階に入った。それより少し前の3月10日頃に雪山に初めて連れて行ってもらったので、その時に揃えた道具でゴールデンウィークの雪たんまり利尻富士に登った。なんにも解らない状態だったけど、その恐ろしく美しい姿は忘れないね。
それ以降、冬も夏も関係なく、ぼちぼちと山には登っていた。でも、毎週というレベルでもなく、今ほどガッツもなく、流されるように登っていたんじゃないかと、今になっては思う。
でも、2009年、あの職場に行けなくなった…今から丁度3年前だね。あれ以降、何かを割り切る、ということを覚えたみたいで、山に対しても徹底的になった。拳をぶち当てに行くような、真正面から頭突きを食らわすような、そういう態度で臨んだような気がする。天気がよければ毎週のように山に向かうようになったのは、その2009年の夏~秋くらいからだったと思う。職場を去るかもしれないという思いもあったので、百名山を急ぎたいと思った(その時でまだ50台)のもあった。2010年は、だから、一気に36登ったよね。連続33週山とか、よくやったと思うよ。この年の歩行距離は1000kmに達したし、98日の山行日数だった。
なんかね、そういう山行をガッツリやってたら、見ていてくれる人がものすごく増えた気がするんだわ。監視とかおもしろ半分とかじゃなくて、見守られているような気分かな。山で出会う人々(Kaz君もそうだし、羊蹄山の小屋番の人も、南アルプスの避難小屋で会ったPegasusさんとか、別れちゃったけどmariさんとか、よくコメントくれるみゃーみさんとか…たくさん!)からの肯定感で、それまでの自分より、精神的にかなり安定するようになった。これが第2の新たな発展段階だったと思う。
山に登るっていいと思うよ。でも、登っているだけではだめなのかな。それとも、登っていれば、見えてくるのかな。俺は他の人にはなれないから解らないけど、本当に山は母であり、教師であり、科学であり、社会であると思う。登ってくれい、Kaz君の山をね。
以前、経ヶ岳に行った時に、ふうたろうさんが山にのめり込んでいったことをはなしてくれましたよね。
改めて文字にして文章で読んでみると、山への愛情が伝わってきますね。
まだまだ僕は浅いですわ(トホホッ
信州に生まれ育ったにも関わらず山の魅力がわかったのも、海外の旅でトレッキングにハマッテからですし…
山があまりにも身近すぎたんです。山があって当たり前の環境だったといいますか。
ふうたろうさんと出会ってからは、山の奥深さも良くわかるし、山に対する気持ちの深さもよくわかる。
まるで、山と会話してるようですね。体当たりで
僕も自分なりの登山で、自分なりのスタイル見つけていきたい。
愛する信州の山々でしっかり土台を作っていきたいです!
週末もどうか山と会話してきくださいね!
安全登山で!いちお病み上がりですし!
俺も信州に住んでたんだよ、4年間も。まあ、生まれ育ったわけではないけどさ。でも、その間に信州の山に登ったのは、小さいのを合わせても4回。それでも「山が好き」なんてなんの恥ずかしげもなく吹聴して回っていたんだから、恥にも程があるね。一人で行く意気地さえもなかったあの頃が懐かしいわ。
ところで、今週末の天気予報が、悪い方へ悪い方へ移動してるな。東北は無理かもしれん。せっかく大震災1周年追悼登山をしようと思ったのにな。2010年は奇跡的に天気に恵まれたトシだったけど、2011年以降は悲惨の限りだな…山が、じゃなくてむしろ天気が。もっと言えば、低気圧通過のタイミングが。