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精神に「異常」はあるか

2007年 4月 10日

 最近ずっと不安定な天気は、今日はおやすみ。すっきり晴れていたような印象も特にありませんが、雷雨もなく。でも、北陸・東北・北海道方面は相変わらず不安定なよう。石川県の被災地は大変だろうな。そして、ついでに、北海道の方で今ごろ雪が降られると、登山大変だな。
 右の写真は暇つぶしのように撮った「ミニカラム」。なかなか辛い精製です。
 この先、またまた、読中の読書感想文。読んでくださる方は、「もっと読む」をクリックしてください。

 あの抗ガン剤の本を読み終わってから、『「こころ」の本質とは何か』(滝川一廣著、ちくま書房)を読んでいます。精神科の先生と話をしているときに、わりと共感できるとの話だったので、アマゾンで買っていました。その印象的なところを。

『「心」の本質とは何か』p.72

 性(身体)に媒介された家族的な関係から生まれ、その関係を支える観念(対幻想)と、共同体的な関係から生まれ、その関係を支える観念(共同幻想)とは位相がちがい、両者は矛盾対立する契機をはらんでいる。共同幻想は、身体的な媒介を持たない観念、観念的な観念、まさに「幻想」であって、そのような観念をいつか必要としなくなるのが人類の遠い課題である…

―引用終わり

 …これだけ読んでいると頭が痛くなりそう。でも、要するに、家族や友人などの生身の関係と、社会の中での客と店員、上司と部下というような関係とは矛盾し対立することがあるということですよね。家族や友人(僕はある場合は例外かもしれないけど)は対等に自分を表現できる相手ですけど、客と店員、上司と部下、という関係になると、そうはいかない。…一般的にはね。ま、あるところではそういう「観念的な観念」も崩れては来ているみたいですが。
 でも、上意下達的な抑圧的なものがこの社会にあるのは事実です。僕はこういう観念を必要としなくなるのが課題であるといいたいのかな?と、単純に思いました。
 僕は、店員が客に注文を付けてもいいと思うし、部下が上司に異議申し立てをするのも結構だと思います。元々は家族や友人の中で培われてきた「自分を素直に表現できる場」が、部下だの上司だの教授だの生徒だの、客だの店員だの、金持ちだの貧乏人だの、そういう人間外の関係で崩されるのは、やっぱり納得いかないから。
 僕は図々しくも、「自分を正直に表現する」ことに絶対的な信念があるので、上意下達の社会を忌み嫌っています。僕は、「リーダーシップをとれる人は必要であっても、格として上に立つ人間は必要ない」と思っています。…ひょっとすると、こういう性格だから、僕も統合失調になりやすい、あるいはなっているのかもしれないね。ま、それならそれで、一つの個性だから、いいと思います。異常なのは、僕じゃない。
 というわけで、勝手に精神「異常」などと言えなくなりました。異常といっても、その「異常」は現実の中から起こった必然なわけですから。ある意味、「正常」の延長。
 あ、すごく抽象的な話になってしまいました。ここまでもし読んでくださった方がいたら、ありがとうございます。

天気:晴れ(東京都板橋区・茨城県取手市)

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