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人は相対的な生き物だから

2007年 4月 12日

 昨日の夜中は、マンカラというゲームでつい夜更かししてしまいました。それで、今朝以上に、日中が眠い。仕事も中途半端に暇だったので余計…。
 それでも科学への思いは途切れないのか、メシを食いながら生化学、暇で放心しながら分析化学、寝ぼけながら有機化学、ついでに満員電車で精神医学。我ながらその固執ぶりには呆れるやら感心するやら。

 今日も『「こころ」の本質とは何か』を読んでいました。今日は「発達障害」について。統合失調症よりも馴染みのある言葉(僕にとっては、の話)なので、わりと理解し易うございました。
 発達障害は、「認識」と「関係」の障害(遅れ)だそうです。自分のいる世界のことを「知る」ことと自分のいる世界と「関わる」ことについての障害。著者の滝川さんは、その発達の「遅れ」は誰しもはらんでいるものであり、誰でも多かれ少なかれ遅れているものだというふうに説明されていました。
 なるほど、認識する(もの覚える)のが早いか遅いか、人との関係を上手く作れるか作れないかの度合いは、十人十色だ、確かに。一定以上遅い人を異常だとか言うのは、観念的ですよね。でも、実社会ではそれで済まないとも著者は述べています。大多数が持つ認識のスピードや人間関係の構築速度が社会発展の平均速度となる以上、どうしても遅い人にすべての人が合わせられないのも事実ですから。著者も、その答えを実は私も出すことが出来ない。と述べています。解る、その気持ちは何となく。
 ところで、発達障害で、人との関係を上手く作っていけない人は、本当に不利かどうかを考えてみたいと思いました。いつか、おにつかるみさんの書かれた『さと子先生のホームルーム2 空のにおい』(新日本出版社)の時にもちょっと感想を書いた記憶がありますが、人によっては、周りの世界を見る感性がとても優れているそうです。滝川さんの本では、これは、発達障害で「関係」を作り上げることが苦手であることの裏返しとのこと。でも、その特殊な感性はやっぱりなかなか普通には理解されないんでしょうね。僕は、その感性こそ本当に天賦の才能だと思うのですが。
 そして、僕は正直自分自身が一定の発達「障害」なるものを抱えていると思います。それなのに、同じような(というと語弊があるけど)立場の人に対して寄り添えない自分もいます。僕は薄情なのでしょうか。自分勝手なのでしょうか。…そんな答えが簡単に出せるわけないのは解ってはいるつもりだけど、煮え切らない。
 それでも、人は人それぞれ。大同小異だけど十人十色。自分が解っている世界が人にも解るとも限らないし、共有してもらえるとも限らない。自分の知らない、未踏の世界に足を入れるのは、誰しも時間のかかることかもしれない。それを踏まえないで「真実を受け入れないのはバカだ!」とは、アオいアオい。

天気:晴れ時々くもり(東京都板橋区・茨城県取手市)

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