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消費者は労働者であり、人であり、親であり、子である

2007年 6月 20日

 今日は通常の農薬抽出のあと、ガスクロマトグラフ質量分析計のデータ整理を手伝おうと思い、ちょっと居残りしました。しかし、その甲斐なく、犬死にしました。ちょっとしたプログラムの支障で。…。
 今日のお話はその帰りの出来事です。


 職場最寄りの駅で既に20時を回っていたので、家に帰れば21時から22時になってしまいます。それから夜ご飯を食べる気にはなれないので、健全ではないけれど、モスバーガーに入りました。マク●ナルドと違って、比較的良心的な素材を使っている印象なので、あまり罪悪感なく入れます。
 入店すると、若い女性が大声で「いらっしゃいませ!」と叫びます。スマイルに対する努力が痛々しくもありましたが、それはそういうものかもしれません。
 ふと、店内の空気がいがらっぽくないことに気が付きました。どうやら、店内全体が禁煙になっているようです。ちょっと遠慮気味に撮ったので、斜めで見にくいですが、完全に分煙された「喫煙ブース」があるようです。
 なるほど、これなら、喫煙者も禁煙者も快適に店内で過ごせるわけだ。そして、何より、働いている人たちの健康も守られます。
 そういえば、土曜日の夜に行った牛久市内のデニーズはひどかったな。店内全部がタバコの煙で充満していて、禁煙席なんてタテマエでしかなかった。客は逃げれば済むけど、従業員の健康が心配です。


 モスバーガーの営業時間。さすがにこの店は24時間営業ではありません。でも、朝7時から深夜1時までの営業。…1時、かぁ。頭の中を何か理不尽な思いが駆けめぐります。
 2007年5月12日に箱根に行きました。その時、箱根湯本ではもう19時くらいにはみんな店が閉まっていて、明かりは街灯と走る自動車のライトくらい。早い閉店だと思うかもしれないけど、本当は労働者のことを考えたらこれが当たり前だと思います。もし、自分や自分に親(ちか)しい人が遅くまで働いていたらどう思う?
 もし、僕が家族を持って、例えば僕のパートナーが夜遅くまで働いて帰ってきたとしたら、僕は寂しいと思います。モスバーガーのように深夜1時までが営業時間だとすれば、「たまにはそういうこともある」では済みません。ましてや、盆暮れ正月さえもない24時間営業のコンビニやファミレスであれば、寂しいじゃ済みません。命にさえ関わります。僕にとって大事な人に、そんな理不尽な働き方をしてほしいとは思いません。だとすれば、それは、誰にもそんな働き方はして欲しくないということ。そんな働き方をしなくても暮らせる社会が、当たり前だと思います。現に十何年か前までは24時間営業の店なんて殆ど無かったのですから。


 僕が小さい頃、父は出張でよくいなくなり、母は、一時家計が厳しくなったとき、昼と夜のダブルワークでした。当時はありもしない言葉でしたが、「ワーキングプア」だったのですね。小学校3年生だった僕が、夜、母親のいないことを少なからず寂しいと思ったことは間違いありません。それは、母も解っていたことでしょう。
 当時の我が家の家計が自己責任で悪化していたかどうかは解りません。しかし、子にとっても親にとっても、共有できる時間が少ないのは辛い。それだけは紛れもない事実なのです。
 大人になった僕たち、年をとった親の世代の人たち、みんながこんな経験をしているかどうかは知らない。でも、日頃から利用するいろんなモノやサービスが、どうやって生み出されているのか想像してみてほしい。便利だと思って何気なく夜中に立ち寄るコンビニには、お金が無くて疲れ果てた兄ちゃんが働いている。でもその兄ちゃんは誰かの子なんだよ?安い食べものが店で並んでいると思わず手が出てしまう。でもその安さは、誰かがどこかで身銭を切っているんだよ?
 かくいう僕も、コンビニだって使うし、安物買いもする。言い訳にしかならないけど、僕も消費者であり、労働者です。そして、人であり、子であり、ひょっとしたらいつか親にもなる。誰かを犠牲にしている思いを抱きながらも、自分も生きなければならない。この矛盾を解決するには、僕一人だけがコンビニを使わなくなってもダメです。一人一人が「このままの社会じゃまずい」と思わなければ。どうしたらいいかは人それぞれ考えがあるだろうけど、僕は政治と教育が変わる必要があると思います。企業に何でも自由にさせる政治や、お互いちゃんといいたいことを言い合う風潮を育まない教育(政策)を変える。…言うのは簡単だけどね。

 モスバーガーの店を見て思ったこと。長い。

天気:晴れ(東京都板橋区・茨城県取手市)

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