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運動って何だろうね

2010年3月24日

 今日は写真を撮れませんでした。まあ、光岳とかであれだけバンバン写真撮ってきたし、生臭いサンプルなんか撮ってもしょうがないし…。
 ところで、未来社会を作るための運動をするって、具体的にどうするのかな。今読んでいる小説を読んでいると、確かに山に登っているだけでは自由にはなり得ないというのは納得はできるけども、だからといって、誰と何をするのかと。昨日もつぶやいていたような気がするけども。
 例えば、今、班会とかの連絡をしても返事がないとか、主催が少人数(大抵は一人)にだけ負担がかかっているとか、そういう月並みな問題が解決できないでポシャっている。だいたい、小説に出てくるような整った活動ができているところなんて、いったい何%あるのやら。組織の箱はあっても、中に組織する人が実際はいないというか、何をやっているのか判っていないというか、とにかくやりにくい。
 そもそも、「未来社会を作る運動」って何なのかなと思う。街頭で署名を集めることか、本を読んで勉強することか、集まってフィールドワークをすることか…。
 でも、それらはみんな「手段」だろう。署名を集めて、本で勉強して、フィールドワークして、何をするのかと。社会を変えるというのが結果なんだろうけど、署名を集めても社会が変わるのかと。フィールドワークをして社会が変わるのかと。
 違うんだろうな。そういう行動を通して、「あるべき未来社会を望む人を集める」ことが運動なんだろうな。
 例えば、共産党を組織するために「共産党って何をやっているのか」という話をするとき、「人間らしい働き方を守るルールを作る」とか「対等な外交を築く」とか言う。しかし、それは数ある「共産党が目指す(自由な)未来社会」のほんの一部だ。未来社会を作るための、ある意味手段でしかない。だから、「あなたが望む未来社会を作るためにやれることをやろう」みたいなことしか言えないんだろうね。そこから先は、運動に参加しようとしている人の感性を信じるしかない。だから、組織側はその新参者の感性に応える方法論を打ち立てなければならない。
 もっとも、組織側(箱)にいる人同士でその感性に応え合えない状況だから、衰退するんだと思う。逆に言えば、お互いの感性に応え合えることならば何かをすればするほど、発展していくのかもしれないね。
 …単独行を続けているふうたろうには、あまり参考にならないことをつぶやいたような気がする。こういうのをただの頭でっかちというんだろうね。(´Д`;)


天気:雨、一時雪混じる(東京都板橋区・豊島区・埼玉県所沢市)
覚え書き:好日山荘に寄る

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