認識はひとりでには変わらない
ふうたろうの職場の近くにある商店街には、外国人労働者が何人かでやっている八百屋があって、野菜はだいたいいつもそこで買うようにしています。鮮度は良いものも悪いものもあるのでよく見なければなりませんが、ふうたろうが重視しているのは、売れ筋に流されていないことです。どこにでもあるような野菜ももちろんその八百屋には置かれてありますが、この前は長にんじんを発見しました。季節は違いますが、オカヒジキやバジルなんかも置いてあることがあります。葉にんにく、空心菜、他何があるかな。
今日買ってきた野菜も、アシタバ(神津島産)、黄にんじん(?)、うるい(オオバギボウシ)、芥藍菜(かいらんさい)というアブラナ科の野菜…。どんな味がするんだろう。特に最後のやつ、誰がこんなマニアックな野菜を作っているんだろう。なんて思ってしまうわけです。
でも思えば、野菜だって、たとえ大根一つとっても、多くの種類があるわけですよね。青首大根じゃなくて、紫大根だったり、丸い大根だったり。キュウリだって、表面に粉を吹いたようなキュウリだったり、ヘチマみたいにデカいキュウリだったり、あります。あの夏野菜のズッキーニはカボチャの若い実のようなものだったりします。
野菜もただ食べるだけじゃなくて、食べることを楽しめば、もっと美味しくなるなんて、思ったりしますね。種類が画一化され、大量生産されればそれは「効率は良い」でしょうけど、つまらない。しかもその効率が良くて恩恵を受けるのは、種を売る企業。種が違えば味や栄養素も変わる野菜を、一つだけにしてしまうなんてもったいない。
とはいえ、ふうたろうがこういう思いになったのは、やっぱり今の職場の影響でしょうね。あれほどうだうだ言ってても、切り離すことができない存在なのでしょうね。
今日、ちょっと事件がありまして。
…今の放射能や農薬の問題も、データを出せる立場にある側だからこそ、その大事さに気がついていないのかも知れない。それらに対する知識だって、誰でも少し学べば理解できる程度だと思い込んでいる。…何もかもが空気のような存在で、それに安穏としている自分が、たまに恐ろしくなります。今日はそんなことを思わされました。
必要なのは、もっと色んな人と話をすること、ですね。でも、山には夏にならないと人は現れない…。
天気:晴れ、未明雪?(東京都板橋区)