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朝三暮四

2008年 10月 30日

 去年より、寒くなる速度が速い気がする。一昨日くらいまで半袖と長袖のTシャツを着ていれば平気だったのが、今日はセーター。寒いッス。
 朝から空には薄雲がかかっていて、白黒縞模様です。所沢駅のソバネギを食べて、出勤。
 ソバネギというのは、きつねそばを例えば頼んだ時に、「ネギ多めで」とお願いすると、おそらくあの長ネギ一本分は優にあるだろう量をてんこ盛りされることから、僕の中でこう呼んでいるのです。今朝は、たまたまどこ産のか解らないちょっと新鮮さの欠けたネギを、スライサ(電動式)で輪切りしているところを見ました。そいつをそのまま使うから、辛いの何の…。


 ところで、今日着ているセーターにはまつわる話がある。5年以上前に別れた歴史の彼方の元彼女が選んだものだ。当時の彼女Sと付き合っている時、今思えばものすごく苦労していたと思う。大腸から出血するほど。お洒落にはうるさかったし、髪型まで制御されたし(一時的に)。
 でも、Sからは多くのものを学んだ。その中でもひときわ大きかったのが、意外にも、自分の心に向き合うという生きる上で当然の作業だったと思う。
 2003年当時は大学院2年で、あの年はこの数十年でももっとも波乱に満ちた一年だった。一番近いところに、即ち教授や恋人という関係に、もっとも辛いものを抱えていたにもかかわらず、その外周を立場も年齢も性別も違う色んな人々が囲んでいて、すべてに助けられていた。入院や、教授Sおよび元彼女Sとのダブル破綻という凄まじい事件があったにもかかわらず、人間関係の温かさや可能性を一番感じた時だった。皮肉にも、その温かさと可能性を付き合った当初からずっと示唆していたのが、今日着ているセーターを選んだその元彼女Sだったのだ。
 そういう信頼感を築き上げた人間は、どんな奴であろうとも強くなるんだな。それを知っていたら、Sとの付き合い方もかなり違っていたんだろうな。
 でも、今を見てみたら、あの2003年以前に戻っている。孤独に耐えながら大勢の中で生きている状態に。悲しいことだ。


 …今日は夕方から、精神科と歯科の定期検診でした。同じ病棟にあるので、いつも大概はセットで受診します。そして、大抵、歯科→精神科の順です。歯科の方が時間が確実だから。
 もうこの歯科も精神科も、取手市に引っ越してきた年以来の付き合いですから、4年になりますか。1ヶ月や2ヶ月に一度という頻度が、ちょっとした気分転換だったり、職場以外の人と触れ合いが持てる場であったり、…色々な思いを巡らせる場であったりするのです。
 こういう言い方をすると反感を買うことがあるそうですが、サロンのようです。患者と顔なじみにはなりませんが、医師や歯科衛生士、受付の人たちとは、かなり馴染んできました。精神科の職員や医師とは医療(を取り巻く政治)で話をするし、F歯科医師にはちょっと手荒に扱われながらも歯のことを色々教えてもらったりします。ちょっとShy(恥ずかしい、という言葉が当たらないので)なのですが、担当の歯科衛生士の人との会話が楽しかったりもするのです。大胆にも、自戒(←変換ミス)次回、お気に入りの山の紅葉の写真を持っていくと約束しました。あとは、例の、30パターンの名刺を渡しました。
 …で、肝腎の歯や精神医療の方は、まぁ、一進一退です。両方とも、通院しなければ維持することさえできないのは確実です。歯並びは悪いから磨き残しが激しいし、メンテナンスを受けなければ、とてもじゃないが、歯石が西吾妻山の樹氷のようになってしまうでしょう。精神科の方は言わずもがな、ですね。
 ところで、さっき、サロンと書きました。反感を買うかも知れない、と。
 どこで聞いたのか忘れたけど、「病院が老人のサロンになっていて、ケシカラン」みたいな意見を聞いたことが。
 自分が医療を受ける立場になって、「サロンになって何が悪いのですか」と考えられるようになりました。幸福追求権があるのだから、いや、そんな憲法や法律以前に、人が幸せに生きることの何が悪いのですか、と。『岳』というコミックにも、そういうシーンがありました。主人公の「三歩」は温かい目で見ていたな。
 …それが当たり前の社会であればいいな。もっとも、それを作ろうと努力している人はたくさんいるのだが。


 そろそろ落ち着こうと思うけど、そんな中での、今の自民・公明の、医療政策、ハッキリ言って発ガン物質だね。「後期高齢者医療制度」って、何だそりゃ。「老人には医療費がかかるから、保険を適用しません」と言われた方がまだマシだわ。瞬時に死ねるパラコートのような毒薬かも知れない。もちろん、苦しいけど。
 医療費年間30兆円?
 アホか。金はそういう時のために使うんじゃ(゚⊿゚#)それに、30兆円全額税金じゃないだろう。みんな保険料を払っているのだからな。その福祉を享受しない、あるいはできない人から不公平感が訴えられることがあるが、そんなものも、当たり前。一部の金持ち系はどうだか知らないが、庶民は意識的・無意識的に関係なく、切りつめた生活をしているのだ。その下支えを反日本的な政治が放棄しているから、不公平感を訴えるのだ。
 …どう言い逃れしようとも、逃れられないぞ。追っ手は自分の持って放したくないモノの中にあるのだ。定額減税などと宣っているが、先は見えている。「バラマキ」とは言うまい。朝三暮四と、あえて言おうではないか。その財源は、必ず国民個人の財産から賄われる。増税や社会保障の削減などの形で、な。
 「共産主義は私有財産を許さない」などと反共産主義的なことを言っている奴ほど、よほど"共産"主義的なのだ。ソ連のアレが共産主義だとしたら、日本は間違いなく、アレだな。考えれば考えるほど、彼らの思考の浅さが解って、怖い。


 あー、今日も毒づいてしまった。…何のためにこんなバカバカしいこと書いてんのやら。ちょっと考えたら、解るのに。

天気:くもりのち晴れ(千葉県松戸市・東京都板橋区・埼玉県所沢市、都市名は重要度の高い順)

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