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力の使い方

2009年 1月 14日

 風邪も治っていないのに、ダラダラと出勤。しかも、寝坊付き。最悪です。
 日中は、抽出9検。でも17時までに洗い物まで終えたのですから、まぁ、健闘か。
 今日は若いお客さんが来ました、丁寧な手みやげを持って。


 4年前の3月、まだふうたろう絵日記が始まるよりずっと前、その彼は職場にやってきました。職業体験に。その時ふうたろうはインフルエンザの鬼門で、実際彼が来た当日からインフルエンザに倒れました。そして、彼が体験を終える日を見送れませんでした。
 それから4年。彼は立派な大学生になり、畜産学を学んでいるらしい。農産物分析を手がけ、四民平等(不完全すぎるけど?)なうちの職場に、まるで孫がやってくるかのように、来たのです。人間的にも、人材的にも、宝です。まずはそれを言いたい。
 彼は寮生だそうで、ふうたろうには決して耐えられないであろう、上意下達な世界を生き抜いているようです。しかし、それに埋もれることなく、文字通り、頑張っているそうです。しかも、ふうたろうの若い時みたいに、ガチンコの対立という形でもなく。素晴らしい柔軟性ですね。
 上意下達といえば、技術や腕力や財力など、色々な意味で立場が上の人間が下の人間を支配することだと、そういう意味でふうたろうは使う言葉です。
 世の中、なんかおかしいよね。技術や腕力、財力その他が優れているから、それらの劣る人間を支配してもいいなんてさ。学生の支配なんて特に馬鹿げていて、年長であるだけで年少を支配できるのだからさ。
 まだ年少の彼、ふうたろうなんかたぶん殆ど理解できてないけど、スゴい勢いで成長してますな、好青年ですわ。これからどうなるかも解らないけど、彼のような人が集まって、馬鹿げた上意下達はきっと克服されていくのだろうと、ふうたろうは思います。
 世の中には、技術や腕力その他で大きな影響力を持っている人は多い。でも、ふうたろうは、それがいかに大きくても、それらを支配の道具として使う奴は、絶対に認めない。究極的には、その技術や腕力はマイナスになるであろうと思う。半可通な哲学で、社会を前に進めることはできない。
 まぁ、ふうたろうには、体力(防御力)が足りないから、「支配」したくてもできないだろうけど。哲学の前に、能力か。
 あ、そうだ。鳥取県の伯耆大山の写真を鳥取県に送ったら、喜んでもらえました。鳥取県にとって何かの役に立てればいいのですが、何分半可通な、ヘタレ写真家なので、ね。


天気:晴れ(東京都板橋区・埼玉県所沢市)
覚え書き:MOSエビカツLポテトSオレンジ夜

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