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根性論

2009年 3月 27日

 さて、今日は昨日の精神科の結果などの報告に行きまっせ。
 念のため、くどいので、読むのはやめた方がいい。


 根性論というのは、「要はやる気の問題」的な意見のことをふうたろうは指している。
 今まで、ふうたろうは根性論を否定してきた。どんな人であれ、理由もなく怠けることはなく、やる気が出ないこともなく、ましてや動けなくなるなんてことはない、と。だから、外に向かわない気分の落ち込みなどに対しては、あまり驚くこともないし、部分的には受容できた。
 であるが、そういうものは、甘えているというのが社会通念らしい。伊吹文明という京都出身の自民党政治家が、「若者は怠けている」と豪語して騒ぎになったことがあったが、それは実は驚くに値しないことだった。なぜなら、99.99%以上の人間が、意思に関係なく同意しているのだから。
 ふうたろうの実際としては、あらゆることにやる気が出ず、飯を炊く、スパゲッティを茹でる程度の料理しかできないので、現状、社会生活を営むのは、厳しい
 したがって、ふうたろうも、その状況を本意であると思ってはいない。毎日モスやジョリーパスタや駅ソバでいいなんて思ってはいない。仕事を休むために身体をダルくしたいなんて思わない。
 が、それは、伊吹文明他多数が述べるように、甘えているのである。精神科医筆頭に、他に誰々とは言ないが、口を揃えて、似たようなことを言う。それが、ふうたろうの思考に関係なく、この社会のクオリティ(質)なんだろうな。
 ふうたろうは、「自分を正当化している」と言われようと、既存の常識にあぐらをかいた奴らに、診断なんかされたかぁない。
 ふうたろうも人をバカにする態度は改めるべきだと思う。が、どこの誰とはいわないけど人を「怠け者」呼ばわりし、反省の余地もない人間など、まったく食えない奴だと言いたい。
 しかし、ふうたろうのように「一般常識から離れている」人がいることは確か。そして同時に、今の日本社会の哲学では、まず救えないことも言えるだろうな。
 落ち着いてみれば、社会進歩はしていると思う、少しは。でも、遅いんだよ。進歩している間に、踏みつぶされている人間を見ている人自体が、少なすぎる。だから、そういう人たちは自覚者と呼ばれるんだがな。念のため、ふうたろうは、踏みつぶされている(退廃している)だけなので、自覚者とは言わない。
 根性論が社会常識として通用している世の中だから、変わるには、人の数だけで換算して、どのくらいのVictimが必要かな。もう2~3回、つらい戦争でもしたら、学ぶのだろうか。それは判らない。
 ただ思うことは、孤立を感じる期間を長くおかれた人間は、社会性を失うのだ。社会性を失った人間に、社会常識の武器は効かないぞ。大きい例で言えば、秋葉原の連続殺傷事件かな。オウム真理教のサリン事件かな。細かい事件入れたら、膨大だろうな。
 しかし、ザッと読み返していると、加筆修正してもなお、矛盾だらけですな。根性論者をバカにすることになっているのだからね。
 ふうたろうもこの社会も、どこに向かうのか、全然解らん。


天気:晴れのち雨(埼玉県所沢市・東京都豊島区・板橋区)
覚え書き:駅ソバ(所沢)・薬局のおっちゃん・新聞勧誘員のおっちゃん

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