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タイムカプセルとタイムトラベル

2013年 2月 2日

 寝苦しいバスでした。隣のおっさんのサイズが大きかったのはいつか忘れたけど(じと目)、今回は真下にあるヒーターがアホみたいに強くかかっていて、暑いのなんの。丸焼きにでもするつもりかと。
 とりあえず、バス、早よ着いてくれるに越したことないのに、休憩が長すぎます。しかし、まあ、おかげで吹田SAで朝飯が食えたと思えば良いか…


 天王寺駅近くでポイッと放り出されたあと、考えました。
 雨が降っている。いや、今さっきまで降っていた。そして、このハイパー曇り空が、特に登山意欲を削ぐのですが!


 早々に登山は諦めて、行こうか、タイムトラベル(ゑ


 ふうたろうが高校生の時、寂しさを紛らせるために歩いたあの道を歩こうではないか(`・ω・´)キリッ


 でも、もう15年も昔。さすがに入るべき路地なんて覚えていない…
 よく見たら、あの天王寺駅にあるビル、上の方が雲の中なんですよね。大和葛城山は当然アレよりはるかに高いのですから、もはや言わずもがなでして(滅


 昭和の香り漂う阿倍野区の下町。


 どこを歩いているのかさっぱり解りません。というか、どこを歩くべきだったのかが解っていないというか(じと目


 金網越しに西成区の住宅地が見えます。ちなみにこの斜面にある空き地が、国から全部で1300万円で売りさばかれています。


 ん?(・ε・*)
 そうだ!ふうたろうが通っていたのは丸山通だ。この近くに友人…いや、同じワンゲルの人がいたんだっけ。


 狭い区画に2軒、空き家を見つけました。みんな、なぜ、どこへ行ってしまったんだろうねえ…。


 この辺りにもマンションが増えた気がします。空き家が多い割にマンションは増える…。戸建ての家を維持する経済的余裕のある人が減っているということか?理由は聞いてみないと解らないけどさ。


 西成区に入って天下茶屋の商店街。ここまで来ると、ふうたろうのいつもの帰宅路(通学路ではない)の終点は近い。


 そういえば、当時は天下茶屋駅前は工事中でした。しかし今はチェーン店やらマンションやらがあるだけの広場。商業も住宅もみんなSimcity化していますね。


 岸里(きしのさと)で終了しようと思ったけど既に玉出(たまで)を過ぎています。住之江公園まで歩くつもりのようです(何
 ここは、今と同じようにふうたろうが原因不明の長引く胃ムカムカ病に悩まされていた1989年1月上~中旬、キャベジン(と同じ成分という意味だろう)をもらいに来るためだけに一度来院した住吉市民病院(住吉区にある市民病院という意味で、「住吉市」という地名があるわけではない)。小さかったふうたろうには巨大な施設に見えたけど、今は小さく見えますね。


 加賀屋商店街を通過。正直、この商店街はあまり記憶にありません。でも、来たことはあるはずです。おそらく。


 ふうたろうが通っていた加賀幼稚園。きっと、当時ここにいた幼稚園の先生よりもおっさんになってしまったふうたろうだから、がらりと雰囲気も変わったんだろうなあ(棒読み
 シール遊びやらお絵かきやら、ふうたろうにとっては記憶に残らないことばかりをやっていたというか、中身に記憶がなさ過ぎて残っているというか(滅滅滅)、そういうところでしたなあ、幼稚園って(遠いじと目
 代わりに、小学館の『鉱物と岩石の図鑑』および『家庭科の図鑑』(消化器と栄養素のところ限定)を、母親手縫いの手提げバッグに入れて持って行き、読んでいた記憶が強く強く強く残っていますが(遠い棒読み
 ああそういえば、トイレのクレゾール(消毒)液のニオイが好きでクンクンかいでいたら、先生が飛んできて、「飲み込んだの!?」と大騒ぎしていましたっけ。何が起こったのか状況をつかめないふうたろうボーイはきょとんとしていましたが、あれだけ数多くやった(だろう)シール遊びよりこちらの方が楽しかったという罠。
 ああふうたろうの幼稚園児たる人生ってなんと輝かしいんだろう(ヴォー読み


 幼稚園の近くに、この弁当屋があります。いや、ありました、というべきですか。母親がここに勤めていて、50mほどのところにある加賀幼稚園からは送り迎えも楽だったはず。
 ここから夕立の空を見て、西が明るくなってくると雨が上がることを、脳神経も未発達なふうたろうに言っていたことを覚えています。


 しかし、今は屋根も破れて中に誰か住んでいるのかさえ解らない。ふうたろうが母親を待っている間、寛いでいた2畳ほどの畳の間はどうなっているんだろう。畳が腐って落ちているのか、それともここ30年の間に何度か張り替えたのか。今ではそれを知るすべもない。
 今はたださびた看板が傾き、破れた屋根のビニールが垂れ下がる、廃屋。


 かまどや(本家)の隣(西)の道を抜け、橋を渡ると住之江公園(という公園)です。なぜか公園の池でフナを釣っているおっちゃんがいますが(じと目


 なぜか公園の池にスクーターが沈んでいますが(アヴラ汗


 住之江公園を、母親の自転車の後ろに乗って幼稚園まで送ってもらった記憶がよみがえります。
 東ハトのキャラメルコーンを食っていたふうたろうボーイに、運転手・母親が手を出して「私にもちょうだい」と言ったんでしたね。ふうたろうボーイはそんな母親の手に、なぜか蝉の抜け殻を渡したんでしたね(黒笑
 …当然虫嫌いな母親はびっくりしていましたね(黒藁
 親は大事にしましょう(護国神社の声


 さて、南港まで一気に歩くかとも一時は考えたけど、やめます。住之江公園駅からサクッとニュートラムに乗ってしまいましょうや。


 でも、真っ昼間から、ゲリラ晴天ったふうたろうが、そのまま薄暗い屋内でじと目しているわけにもいかないので、久しぶりに南港をも歩いてみましょうか、と。
 これ、南港緑小学校。そういえば、ここの一角には10年後の自分へ宛てて24年前の11月6日頃に埋めたタイムカプセルがありましたけど、結局どうしたんですかね。放射性廃棄物数万年ものよろしく忘れ去られたとか(じと目


 緑のまちの人工の川。水が止まっています。代わりにゴミや落ち葉が大量に散らかっています。


 どうやら老朽化したポンプやらを修理などするようで、水を止めているようです。


 しかしこのゴミためは汚い。


 32棟の階段。地盤沈下したような、1段追加されていますが、まだ沈下していきそうですな。


 ま、南港回りはこれで終わりですね。


 実家に着いてしばらくしたら、母親がクルマを運転して奈良県の若草山へ。今日は煙霧がすごくて、鬱空スペシャルです。


 若草山の駐車場。ま、こうなるともう、「山」じゃないけどね。


 シカが人を恐れることなく駐車場でマッタリしています。


 若草山の山頂から景色はそこそこきれいに見えますが、やっぱりこう鬱空だと…
 しかし、母親はこれでも十分満足しているようです。


 そうですね、ふうたろうボーイもこういうのではしゃいでましたよね、昔は。


 シカたちは相変わらずふてぶてしく寛いでいます。山のシカとは大違いです。


 最後は、首切り地蔵とかに散策。母親は昔からこういうところの散策が好きで、ふうたろうはその影響をもろに受けています。だからこそ、今のふうたろうがあるのでしょうね。


 首切り地蔵とは、地蔵が誰かの首を切るという話ではなく、荒木なんとかが地蔵で試し斬りをしたとかいうとんでもない話のようです。確かに、首のところで地蔵が斬れたあとが。地蔵を斬る辺りが、既にこの人物の人となりを予感させるというか。


 ふうたろうも秘境に潜り込んでもそもそするようになり、町中の小道の散策に対する感動をいつしか忘れてしまったけど、始まりはここからだった。今日はそんなことを少し思い出す日だったかも知れませんね。


天気:くもりのち時々晴れ(大阪府大阪市住之江区・阿倍野区・西成区・奈良県奈良市、阪奈道路)

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