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自己責任って何だろう

2006年 12月 1日

 今朝もやっぱり8時10分。いいかげんにしろ。って自分に言ったりする。
 職場の最寄りの駅から、家賃と奨学金の返済のための預金をしにみずほ銀行に行って、出勤。子どもたちがつながって歩いている姿に思わず笑顔。
 今日も、昨日から腹風邪で休んでいるスタッフが回復せず、一人欠けました。これで今週は、一日も全員揃った日がない。何かそれって寂しいね。やっぱり、勝は体力。人間関係も心も、脳やその他の臓器の正常な存在があってこそですね!

 今日も、『さと子先生のホームルーム』を読んでいました。今日のお話は、アスペルガー症候群の少女の話、不登校の子どもとその親と先生の話。
 アスペルガー症候群は自閉症のひとつと書いてありました。でも、僕はこの名前しか知りません。とりあえず、この病気(?)について知りたいと思いました。周りの人とコミュニケーションがとりにくいらしい。本人にとっても辛いんだろうな。僕も上手くコミュニケーションが出来ず悩むから。
 不登校…増えているんだそうです。子どもはどうして学校に行けなくなるんだろう。行くことを強制する親はどうしてそうなってしまうんだろう。単純に親が強制する姿を見ると、親が悪魔のように見えてくる。でも、本当に親だけが悪いのですか?あるいは、学校が悪いのですか?先生が悪いのですか?はたまた、子どもの「甘え」ですか!?
 …『さと子先生のホームルーム』を読んでいると、苦しんでいるのは子どもだけではないということが解ります。「さと子先生」たちに出会えたこの親子は救われましたが、誰にも助けを求められずに苦しんでいる親子はいっぱいいるんだろうな。理解者がたまたま多かったこの親子。理解者がいなかったら…?それは、著者自身も問うています。
 この前、秋田県で我が子を殺したお母さんがいましたが、世間では殺人鬼扱い。この親子をそんな風に書いているマスコミや週刊誌。僕たちも含めて、そういう苦悩の中にいる親子のことを考える人がどのくらいいるだろうか。
 …実は、気になる家族が、僕の家の近所にもいるようです。この前、その家族の子は「学校に行きたくない」と、僕の家の前の階段に隠れていました。僕はまともな声をかけてあげられなかった…。
 親を取り巻く、教師を取り巻く社会も、異常です。平日父親が子どもと過ごす時間を持てない。休日は疲れてまともに付き合えない。それどころか、ワーキングプアといわれ、生活すらまともに出来ない。先生のことは解らないけど…、とても一人一人に手をかけてあげられる状況ではないんだろうな。教師採用は少なく、技術は継承されず、部活動は担当顧問がいなくて危機に瀕していると聞いたことがある。『さと子先生のホームルーム』でも、悩む教師のことが書かれていたことがあります。
 自己責任って何だろう。苦しんでいるのは本当に自業自得なの?あるいは、加害者が厳罰に処されればそれで良いの?子どものいじめのことをこの本で読んで、いじめる子にもいじめ行為の原因があることを知りました。そして、そのいじめっ子の親も辛い人生を歩んでいることも知りました。…本当に自己責任なのか!!?

 …でも、その辛さから抜け出す偉業は、やっぱり苦労している人たちの団結と協力によってのみ成功するものだと考えます。苦労している人たちはその苦労の原因が社会にあることを学ぶでしょう。その社会を変えることで、苦労から解放される。どうしてもその過程から逃れることは出来ない。そう、学校の教師や子ども、親の職場の上司の理解や協力で大きく成長した本著の親子のように。そういう意味では、「自己責任」なのかもしれない。
 もし、僕がこういう協力に加われたらどれだけいいだろう。どうしたら加われるだろう。僕には子どもなんかいないけど…。子どもたち、親や教師たちに、「あなたひとりで闘わなくてもいい」と言えたらどれだけいいだろう。そういう人になりたい。なれるように努力だけでもしたい。まだよく解らないけど。


 今日、この葉書が選挙管理委員会から来ました。僕一票の投票権。子どもや、親や、先生のために、投票する。「選挙運動は?」…ううむ。それはまだまだ…。

天気:晴れ(東京都板橋区・茨城県取手市)

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