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1リットルの涙

2005年 12月 13日

 寒い、寒すぎる…。去年より一枚着る服が少ないとはいえ、寒すぎる。12月ってこんなに寒かったか?…マスクしてるのに、風邪引きそうです。

 毎週火曜日、21時から、フジ系テレビ番組で『1リットルの涙』が放映されています。脊髄小脳変性症の少女の、闘病生活と葛藤が描かれています。原作の本はまだ読んだことはありません。おそらく、テレビでは脚色されているでしょう。しかし、見ていて思うことですが、脊髄小脳変性症の少女本人はもちろんですが、彼女を通して、家族や友だちなどが、劇的に成長しています。いや、テレビなので、脚色されているかもしれないということは忘れてはいけないのですが。…えっと、陳腐な言い方をすれば、互いに素直になってきているとか、互いを尊重できているとか。特に、主人公が恋心を持っている少年なんて、見ればわかります。

 しかし、現実に、小脳の神経細胞が劣化していくことによる不自由さからは逃れられません。難病たる所以、不治です。その不自由さゆえ、卑屈になったりもしますね。最終的に残される自由は、ほとんど精神活動だけですから。

 ここからは勝手な持論だが、ところで、ちょっと前にテレビで見たのですが、傷んだ神経細胞のところに、チップみたいなものを入れて、パーキンソン病の人が体を自由に動かせるようになるというのがありました。いろんな神経疾患に対して、応用が進んでいるとかいないとか。期待を抱かせるではありませんか。でも、高度先進医療の一つとなるでしょう。保険はきかず、一般人には支払い不能な金額がかかるでしょう。このまえの彩花ちゃんしかり。がんの遺伝子治療しかり。いろんな意味で脊髄小脳変性症に応用できるかどうか知りませんが、高度先進医療を受けるか受けないかくらい、自己決定する権利くらいあってもいいと思います。経済的理由で最初からそれが断たれるのは残酷ですね。

 国民健康保険が破綻しそう?わけもなく病人が増えるはずはないし、わけもなく医療支出が上がっていくはずもないでしょう。予防医療を自己責任にし、害の明らかな煙草を吸わせない努力もせず、過酷な労働環境に国民を陥れながら、病人が増えたとか、医療費が上がったなんぞ、いいわけにもなりません。挙げ句の果て、軽度の病気では保険を利かせないとかいうところまで来ているようで、まさに健康増進と、医療費削減に対する「抵抗勢力」ですね。病気は予防こそが最大の治療とも言えるからです。

 こういうドラマをただ賞賛するだけじゃものたりない僕は、ついこういうことを考えてしまいます。ただ、データに基づいてるわけではないので、誤りも多いでしょうがね。考えるのは自由です。

天気:晴れ時々曇(東京23区西部)

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