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人は専門のみにて生きるにあらず

2007年 10月 4日

 今日は、病院通いです。引越に先立って、消化器内科の紹介状を取り、ついでに、茨城県で受けている特定疾患医療の有効期間が切れる前に最期の受診をします。そのあと、予約している歯医者に。
 今日は、昨日の天気予報が外れ、晴れていました。おかげで、色々助かりました。病院も行きやすかったし…。
 でも、ショックなこともありました。まさに青天の霹靂です。馴染みだった、歯医者の歯科衛生士さんが異動になったというのです。歯科医師のFさんは、たまたま急用で休みだったので、また会えますが…。
 今日、担当してくれた、歯科衛生士のSさんも優しい方でした。…病院職員というのはそういうものかも知れません…けどね。
 隣で、小学生くらいの男の子が治療を受けていました。歯医者を好む子どもがどこにいようか。不安で泣き出してしまいました。ありゃりゃ~~。僕じゃない担当の歯科衛生士が、なだめていました。「男の子なんだから泣くんじゃないよ。」と言うかと思ったら、言わないのね。脱ぐ帽子もなければ髪の毛もないのに、脱帽でした。
 僕も泣きたいくらいです。昨日の夜この日記で考えていたときからずっと。しかも、馴染みの歯科衛生士もいなくなっちゃったし。ちょっとギャルっぽかったけど、マスク取ったところは見たこと無いけど、良い歯科衛生士でした。

 久しぶりに、組織会議。…会議といっても、そこらの会議ではない。ずいぶん砕けたものです。
 …会議と言うよりも、むしろ座談会ですか。あるいは飲み会に近いかも知れない。だって、終わったあと、もう干支一周以上前に発売されたようなゲームを楽しんでいたのですから。
 僕らの会議は、誰もが参加できる会議です。少なくとも、そうでなくてはならないのです。僕のように、精神科と歯医者と消化器科にかかっているような人も含め、誰でも、です。
 しかし、何とタイムリーなことだろう。僕が、昨日の夜考えていたこと、それを試し、その難題と戦う場面は、すぐその場にあったのです。
 僕は、しばらくこの組織の会議から退いていました。でも、退いているあいだ、山に行き、化学を学び、本を読み、写真を撮りまくりました。引越だって決めたし、体調も壊した。そうしてそれた道の先は、また同じ場所でした。いや、もう一段上の階にありました。
 ううん。本当は解っていたのだと思います。ただ、逃げていただけなんです。人の痛みを解りながらも、その解決のために動くことをいとうていたのです。

 今日、歯医者の治療台の上で寝転がっていたら、『いつでも元気』(日本民主医療機関連合会発行)の冊子の裏に、「医学生募集」の文字。「医者…か…。」本気でなれるとは思ってもいないけど、それを見たときは一瞬でも惹かれてしまいました。一から大学行き直して…なんてことを考えたりして。冊子を開けば、「憲法を守れ、医療の充実を…」などと、必ず書いています。
 その時、昨日考えていたことが頭をよぎりました。
 最先端の医療を受けられる人は、よほどの大金持ちか、カリスマで募金を集められた人でしかない。それでなくても、今は皆保険が危ぶまれていて、「医療難民」が出始めている。それどころか、「ワーキングプア」で、生活すらもできない。…僕がやっている農薬の抽出・分析の仕事が直面していることと、何が違うと言うんだ!?
 そういえば、僕のところの組織の人たちも、「憲法を守れ、貧困を無くせ」と訴えて、国会に行っています。医者だって、理化学分析者だって、戦争の前には無力です。貧困の前にも無力なのです。
 そう思えば、世界中で闘っている人々の姿が見えるでしょう。ミャンマーの僧侶も、集団自決問題で集まった沖縄の11万人も、イラク戦争反対に動いた数千万の人々も、雇用集会に集まった3300人の若者たちも。彼ら・彼女らは、自分の専門だけに固まっていたか?自分の生活のことだけ考えて動いていたか?
 では、僕はその中でどの立ち位置にいるのだろう。そういうことは、迷え、悩め。そして、動け。
 やはり明日からもまたジタバタしておきます。

天気:晴れ時々くもり(茨城県取手市・千葉県松戸市・我孫子市)

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