さらば茨城県!
※記録:10月14日
※アップロード:10月15日
13日、いよいよ引越の日。今まで住んでいたこの団地を、僕は出て行くのです。
大男たちが、僕のちっぽけな荷物を運んでいきます。それよりも、できれば、この地にとどまったまま仕事ができることを望む。
そして、何もなくなった、部屋。今までなら、ここにいったい何が見えていただろう。タンスと寝袋、カーテン…。
僕を見送りに来てくれた、UさんとMさん(イニシャルだけじゃ、だいぶ被る人がいるけど…)が写ってはいませんが(写っている写真もありますが)真後ろにおります。
こうして、最後の戸締まりを確認して、二度と開けることのない鍵をかけて、二度と上げることのないブレーカを落として、1000回以上往復した、最後の復路の常磐線に乗りました。
さらば茨城県。
さて、行った先は、埼玉県所沢市。思い浮かぶとすれば、ダイオキシンの風評被害。あとは…、卒業式を自分たちで作った高校があったか。それ以外、僕の知る歴史的・地理学的なものは何もありません。ただベッドタウンとして、ねる所として、山に行く拠点として、使うのですから…。
こんなケーキを買って、わざわざ来てくれた人がいました。内実はここで述べぬとして、とにかく、僕を労(ねぎら)ってくれています。
なお、引越御苦労様と、ハート形のホワイトチョコレートに、ケーキ屋さんで書いてもらったわけですから、ケーキ屋さんも何か堪えるものがあったようです。当然、周囲の客が堪える理由はない。…と、労ってくれた、Mさん(ダブるね、Mさんはたくさんいます)。
…と、労いの言葉の後に続くのは、この途方もない数の箱の開封。24時にまで及びました。
これが、救いの手がなければ、どうなっていたか、想像を絶します。あの気の狂いそうなスチール棚の建設も、Mさんは手伝ってくれたのですから。
あくまでも、終わったのは移動だけ。荷物と僕の体が移動しただけなのです。心も生活も、住民票も何もかも、移動が済んでいないものはたくさん。生まれて8回目の引越だというのに、この不安感は何だろう。
天気:晴れのちくもり(茨城県取手市・埼玉県所沢市)