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取手3年目

2006年3月15日

 今日、取手に住んでから3年が経ちます。最初、隣の変な宗教団体が夜な夜な発する叫び声と「儀式」に悩まされましたが、今は移住して快適に暮らせています。
 3年目の朝は一昨年と同じく、快晴。交番の黄水仙もきれいです。

 今日は、昨日から読んでいる『食品の裏側』(東洋経済新報社 安部司 著)のことを少し紹介。
 著者は元々は元食品添加物を製造業者に売るセールスマンだったそうです。彼自身、添加物が食文化に革命をもたらすという使命感さえ持ってやっていたそうです。しかし、我が子が食べていたミートボール。美味そうに口にはこばれていたミートボールを見て、「はっと我に返った」のです。「自分も家族も消費者」であることに気がついたそうです。その意識から、その仕事を辞め、今は添加物の怖さについて語り歩いています。
 著者は添加物の問題は毒性のことだけではないといいます。加工食品がどう作られ、どんな添加物が使われているか、知らされていないことが問題だといいます。もちろん、毒性についても、軽視していませんが。食文化が、人の味覚が、添加物によって壊されていることも告発しています。
 しかし、共感できる部分もあれば、ここはどうかなと思う部分もありました。それは、メーカーなり、消費者なり、それぞれの責任に終始しているところです。たとえば、

p.50より

 …何も知らされていない消費者は完全に被害者かというと、繰り返しになりますが、必ずしもそうではないのです。安くて便利ならばと、なんの問題意識も持たずに食品を買う消費者の側にも責任があるのです。消費者が少しでも「安いもの」「便利なもの」「見かけがきれいなもの」を求めるからこそ、つくり手はそれに応じるしかないという現実もあるのです。

『食品の裏側』東洋経済新報社 安部司 著 より

 確かに、そう見られる側面もあります。しかし、ならば、消費者がなぜ「安いもの」を求め、「便利なもの」を要求し、「見かけがきれいなもの」を珍重するのか、そこへ踏み入った考察はあるのでしょうか。残念ながら、ありません。
 農薬問題で言えば、消費者は農薬を使うことに批判的で、農家は農薬を使わない商品が高くても買ってもらえるなら作ると、上滑りしたような議論をしているのを小耳に挟んだこともあります。ここに、なぜ、消費者が「安いものを求めるのか」という考察が入るだけで、ずいぶん前向きになると思います。
 僕は思います。もし、消費者が添加物のことを自覚して、「製造業者はなんてもん売ってくれるんだ」なんて話になり、製造業者は「それはおまえらが安いもんばっかり求めるから、しょうがないやろ!」なんて話になれば、それは、いわゆる「被抑圧階級の分断」と呼ばれる、「郵政民営化」「公務員バッシング」でやられたものと同じになるのではないか、と。
 消費者(国民)の所得は、必ずしも、「健康で文化的な最低限度をおくる権利」(憲法25条)に見合ったものなのか、長時間過密労働の実態はどうなのか、食べものがどのようにして作られ、あるいは、どういうものなのかを学ぶ機会が十分にかつ平等に与えられているのか、そういう考察が必要だと思います。現に、食べものの教育については、家庭科の時間が減らされてきている.1ことからも、必ずしも国民一人一人の「自己責任論」ではないことが窺えます。
 大事なのは、製造業者も、販売者も、消費者も、手を取り合って自分たちに共通に降り注ぐ困難に立ち向かうことだと僕は考えます。

 …と、そんなこと言ってるはしから、夜は、インスタントラーメンに、有機野菜のサラダとかぼちゃの煮付け(煮干しでダシを取ったもの)をつけて、食べていました。なんというバランスの悪い食事!
 ちなみに、インスタントラーメンの裏の原材料名には、はち切れんばかりの添加物。

参考文献
1.『家庭科が狙われている』朝日新聞社 鶴田敦子 著 p.163

天気:快晴(東京都板橋区・茨城県取手市)

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